“ホンダらしさ”の原点 1972年登場の初代「シビック」を振り返る…懐かしの名車をプレイバック

  • 初代シビック

    初代シビック

米国の大気浄化法改正案、いわゆるマスキー法を世界で初めてクリアした低公害型エンジン「CVCC」を搭載し、世界を驚かせた「ホンダシビック」。2ボックススタイルとFF方式を採用した初代モデルは、チャレンジ精神あふれる「ホンダらしさ」そのものでもあった。

クルマ大好き少年をとりこに

初代シビックが誕生したのは、半世紀以上も前の1972年7月。そのスタイリングは正面から見ても横から見ても“台形”が基調で、豪華で立派に見せることにまい進し始めた当時のライバルたちとは一線を画した、独自路線をいくものだった。

そんな”昔ばなし”ゆえ、記憶違いがないとはいえないことをあらかじめお断りしておきたいが、実は個人的にもこの初代シビックにはそれなりに深い付き合いがあったことを思い出した。

  • 初代シビック

初代シビックがデビューした当時、私はまだ小学生。もちろんまだ運転免許などはなく、その後も含めて実際に運転した記憶は……残念ながらない。それでもなお、このモデルに対して深い思い出が残るのは、それが身近に存在する数年間の時を過ごした経験を持つためである。

実はこの初代シビックを、今でも時々会う機会のある叔母(父親の妹)が新車で購入。その叔母は仕事の関係で、普段からわが家に隣接した親戚宅に出入りしていたため、その姿を毎日のように見かけていた。そうしたこともあってすでに“クルマ大好き少年”まっしぐらだった私にとってシビックは、とても親近感を抱く存在であったのだ。

規制を先取りした”低公害車”

そんな初代シビックを叔母が購入したタイミングは、デビュー後まもなくというわけではなかったようだ。

というのも、かつての京王線の電車をほうふつさせる深い緑色に彩られたそのクルマの前後に「CVCC」というエンブレムが輝いていた記憶があるからだ。資料をひも解いてみればそうした仕様はデビュー当初には設定されていなかったことがわかる。

  • 初代シビック

規制を先取りした”低公害車”として世界的にも話題になったCVCCエンジン搭載のモデルは、デビューから1年余りを経た1973年末に追加モデルとして設定され、すなわち叔母が手に入れたのも当然それ以降ということになる。

さらに記憶を手繰ると、典型的な2ボックスのデザインにもかかわらず小さなリッドを持つ独立したトランクスペースを備えた4ドアボディーであったことや、MTではなくやはりデビュー後に追加設定されたAT仕様であったことも鮮明によみがえる。

CVCCとは、Compound Vortex Controlled Combustion(複合渦流調速燃焼方式)の略。火のつきやすい濃度に調整した少量の混合気を副燃焼室内に蓄えて点火プラグで着火した後、そこからの火炎で薄く燃えにくい主燃焼室内の混合気を確実に燃焼させるという後処理装置なしに有害排出物質の低減を実現したホンダの新機軸であった。ATは、トルクコンバーターのスリップによるトルク増幅効果を生かし、変速ショックレスの実現をセリングポイントとしたセミAT。これらを組み合わせたものが叔母のシビックに搭載されていたパワーパックであった。

ちなみに、「ホンダマチック」と呼称されたこのトランスミッションを当時のプレスリリースでひも解けば、ホンダ自身はそれを無段変速オートマチック機構と紹介。「従来のオートマチック機構に比べ変速ショックがなく、より快適な走行性とドライバーの意志に素直に応答するドライバビリティーを発揮。しかも廉価な価格を実現」と、その特徴が述べられていた。

世界に挑もうとするチャレンジャー

コンパクトさを隠そうともしない初代シビックの2ボックスボディーは、率直なところ当時は決してスタイリッシュとは思えなかった一方であきれるほどシンプルにまとめられていた。インテリアの仕上がりも、豪華さの演出とはまさに正反対といえるほどに素朴そのものだったのが大きな特徴である。それが良くも悪くも強く印象に残ったことは確かだった。同時に機能性の追求はたいしたもので、前席でも後席でも足元部分がとにかく広々としていた。これは今になっても強く記憶に残っている。

  • 初代シビック エンジンルーム

さらに「どうしてこのアイデアを他のクルマは採用しないのか」と思えたのが、下部が引き出し状に飛び出した棚型のダッシュボードだ。その部分に何でも置くことができた利便性の高さには、子供心にも感心させられたことを強く覚えている。

軽自動車「N360」のヒットによって好評を博したホンダが、それを足がかりに本格的に小型車の世界へと踏み込んだのがこのシビックであった。周囲との競争からは身を引いて己の考え方こそが最善の在り方なのだという思いを隠そうともしないやり方で、さまざまな事柄に勇猛果敢に挑んだこのモデルの成功がなかったら、今のホンダはなかったに違いない。そう考えると、感慨を新たにしてしまう。これは新しい舞台へ挑もうとするチャレンジャーそのものの姿であったのだろう。

とびきり破天荒で革命的

自身で操った経験はないものの、駐車場内でエンジンを始動させたり同乗したりする機会はたびたびあった。学校が休みの日には隅々まで洗車し、ワックスがけをしたうえでお小遣いをもらっていたりもした。運転経験がなく印象が断片的ながらも、思いのほか鮮明に記憶に残っているのは、そんな理由からだ。

新世代の低公害エンジンとはいってもまだ電子制御などない時代である。燃料の供給システムも今では当たり前のインジェクション方式ではなく、いつしか時代のかなたに消えてしまったキャブレターというアイテムが用いられていた。

それゆえ、特に冬季冷間時のエンジン始動は簡単ではなかった。キャブレターに入る空気量を制限し、混合気を濃くして始動性を向上させるチョーク機構を作動させるために、当時はどのクルマでも当たり前のようにダッシュボードにはチョークレバーが存在していた。

排ガス浄化の主役を触媒という後処理装置に頼る現在のエンジンでは、その効果を直接左右する混合気を手動で調整するなどとても考えられないが、“低公害”を売り物とするCVCCエンジンでさえ当時はそんなアナログなメカを採用していたのだ。ただし、それを引きっぱなしではさすがに排ガス濃度が高まってしまうゆえか、暖気が完了するとブザーがけたたましく鳴り、チョークレバーを戻すことを促す仕掛けが付いていた。他車には見られないこの装備とエンジンの回転落ちが極端に鈍いことが、CVCCエンジンならではの特徴とも思えたものだった。

こうして、ホンダが初めて参入するベーシックカーでありながら、とびきり破天荒で革命的な内容とともにスタートを切ったのがシビックのヒストリー。今振り返れば、それは誰もが納得する「ホンダらしさ」そのものでもあったのである。

(文=河村康彦)

初代ホンダ・シビック(1972年~1979年)解説

ホンダのクルマづくりの進化とともに歩んできた「シビック」。その記念すべき初代モデルは1972年に登場した。

現代でベーシックカーの多くが採用するFF2ボックススタイルをいち早く採用。クルマから排出される一酸化炭素(CO)および炭化水素(HC)、そして窒素酸化物(NOx)を90%以上減少させなければならないとされ、実現は不可能と思われたマスキー法を世界で初めてクリアしたエンジン「CVCC」を搭載したのもシビックだった。

デビュー当初は独立したトランクを持つ2ドアのみのラインナップで、後にリアにハッチゲートを採用した3ドアやホンダマチックと呼ばれるAT車、4ドア(ノッチバック)、商用モデルの「シビックバン」と、バリエーションが拡大されていった。1975年8月には全モデルがCVCCエンジンを搭載。

初代モデルのボディーサイズは、全長×全幅×全高=3405<3545>×1505×1325mm(<>は「GL」の数値)、ホイールベースは2020mmであった。1972年、1973年、1974年と3年連続でカー・オブ・ザ・イヤー(現在の日本カー・オブ・ザ・イヤーの前身)を受賞。1973年の欧州カー・オブ・ザ・イヤーに日本車として初入賞(3位)した。

初代ホンダ・シビック 諸元

シビック3ドアハイデラックスの場合
全長(m)/全幅(m)/全高(m) 3.405/1.505/1.325
乗車定員:5人
車両型式:SB1
重量:1120kg
全長:3405mm
全幅:1505mm
全高:1325mm
ホイールベース:2200mm
エンジン種類:水冷直列4気筒OHC
排気量:1169cc
最高出力:60PS/5500rpm
最大トルク:9.5kg・m/3000rpm
サスペンション形式:独立:ストラット方式独立懸架

(GAZOO編集部)

MORIZO on the Road