ホンダが生んだ奇跡のオープンスポーツカー「S2000」を振り返る…懐かしの名車をプレイバック

前例のない一台を目指して開発された、ホンダの“リアルオープンスポーツ”「S2000」。その走りは、発売から四半世紀を経た今もなお、多くのファンを魅了し続けている。

“クルマ以上の存在”だった

なぜ手放してしまったのだろう。筆者がS2000のことを思い浮かべるとき、湧き起こるのはこの後悔だけ、というのが偽らざるところだ。1999年の発売の前から、それはもうS2000が載っているものなら何でも収集して部屋に飾り、毎日S2000のビジュアルに囲まれて生活すること約3年がたった2002年、念願かなって新車のS2000を手に入れた。セブリングシルバーメタリックに赤い革シートの組み合わせだった。

S2000に興味を引かれた根源は、オープン2シーターへの憧れと、ホンダのVTECエンジンへの興味(あるいは、敬意)に尽きた。F20C型2リッター直列4気筒エンジンは量産エンジンとして最高レベルの9000rpmという回転数を許容し、リッターあたり125PSを絞り出した。その一方で(懐かしの)10・15モード燃費は12.0km/リッター。さらにS2000は発表当時、平成12年排出ガス規制適合の第1号車だったから、べらぼうに回ってパワーを出す自然吸気エンジンなのに、最新の環境性能もしっかり併せ持っていたことが、当時まだ若かった筆者には新鮮で、直感的にかっこいいと思われた。

「日産スカイラインGT-R」や「マツダRX-7」などが平成12年排出ガス規制適合せずに生産終了となったこともあり、S2000は新しい時代のスポーツカーに映っていた。ある意味、非常にホンダらしいアプローチ。創業50周年記念車にふさわしい視座の高さも感じられ、ううむ、これは日本人のクルマファンとして所有しないわけにはいかん、と決意したのだ。

当時の私は二玄社に入社し『カーグラフィック』誌の編集者になった頃で、現代につながる黎明(れいめい)期にあった次世代車をどう誌面で扱うか、編集部内での世代間ギャップに悩んでいた時期でもあったから、時代の趨勢(すうせい)が変わろうとしているなか、「すべてを両立」させてさっそうと登場したS2000に、なにかクルマ以上のものを感じていたのかもしれない。

唯一無二のドライブフィール

S2000の価値は、あの9000rpmも回る痛快極まるVTECエンジンに象徴されているかもしれないが、ともかく全方位的にフィーリングが磨かれているのが大変印象的だった。このクルマのために設計された6段MTの、節度感あふれるショートストロークのシフト感、適切な配置で剛性感もあるペダル類、まさにロックソリッドというべきステアリングフィール。そしてなにより、猛烈かつ軽快な一体感が堪えられない魅力だった。取材の過程でさまざまな新型車に試乗したあとに編集部に戻り、自分のS2000に乗り換えて帰路についた瞬間、「ああ、これこれ」と独り悦に入った。どんな疲れも吹き飛ぶご褒美で、思わず声に出して笑ってしまうほどだった。

自動車雑誌の編集部員として過ごすなかで、「NSX」やS2000のLPL(ラージプロジェクトリーダー)として知られる上原 繁さんに長い単独インタビューをさせてもらう機会もあった。S2000のフィールは、ブリティッシュライトウェイトをひとつの指標としたそうで、いろいろ研究するなかで、絶対的にボディー剛性を上げていけば、小さく軽量なボディーでなくても、同じようなフィーリングを現代のクルマでも再現できることがわかったということだった。

S2000で一番記憶に残っているのは、そんな凝縮感さえある軽快なドライブフィールだ。当時の感覚では、オープンボディーのモデルには大なり小なりワサワサした感覚があり、オープンカーはゆったりと楽しむクルマが主流だったと記憶するが、S2000は対局だった。1240kgという車重が信じられないくらい軽快だったし、自分とクルマはまるで一個の剛体であるかのような感触だった。

よくぞ生まれてきてくれた!

割とエイヤで決められたという9000rpmのレブリミットは、大変な苦労で実現したというが、その実9500rpmくらいまで余裕なのでは? という勢いで回った。なにせ最高出力は8300rpmで、最大トルク218N・mは7500rpmで発生するのだ。今の基準からすれば「まともに街乗りできるのか?」と心配になるほどの特性だった。6段MTは6速100km/h巡航で3300rpmくらい回った(と思う)超ローギアードだから「トルクで押す」感覚はなく、まさに「回転で走る」感覚を味わえた。

2005年の大きなマイナーチェンジで2.2リッター化されたときには、レブリミットは8000rpmに落ち、少し「トルクで走る」感じも出て、シャシーともども大変乗りやすくはなったが、初代の世界観に心酔していた身としては、それを「進化」と表現するべきか内心は複雑な気分でもあった。

1999年から25年が経過したが、S2000のようなクルマはもはや生まれようがないといわざるを得ず、少々寂しい気分になる。それは排ガス規制や燃費規制が……という話にとどまらない。自社にとって前例がないモデル、しかもボディー、エンジン、ギアボックス、アクスルなど専用設計で、かつ他モデルへの流用も困難。生産だって鈴鹿に移管されるまでは今はなき高根沢工場でこつこつと行われていた。何台売れるかの予測も難しい。クルマとしては最高だが、ビジネスケースとしては誰も責任を取りたくはない恐ろしすぎる企画に、どういう経緯ではんこが押されたのだろう。

発売当時、338万円のプライスタグには筆者も「思ったより高い」と肩を落とした一人ではあるが、25年前という時間を考慮しても、奇跡のように安価だったと訂正したい気持ちでいっぱいだ。クルマに対する社会全体の熱量が今より高かったからこそ、生まれ得たという側面もあるだろう。現代のクルマを取り巻く世界環境と、経営の常識からして「ワクワクするクルマをつくりましょう」という純粋なモチベーションが形になることは、(超高級車を除いて)もはや許されないように感じる。

そんな意味でも、ホンダS2000は記憶に留め置くべき名車となったと思う。排ガス認可取得まで含めたクルマの開発を、あの1999年のタイミングに合わせ切ったプロジェクト管理も尊敬に値する偉業といいたい。そういえば初期S2000の本体に時計が備わらないのは純粋に忘れたからということになっているが、尋常ならざる舞台裏の証左のようで、むしろ生々しく感じてしまう。

(文=八木亮祐)

ホンダS2000(1999年~2009年)解説

本田技研工業の創立50周年記念企画として開発され、1999年4月に発売されたオープントップのFRスポーツカー。環境性能・安全性能に配慮しつつ、極めて高い運動性能をオープンボディーで実現することがメインテーマとされていた。

技術的なキーポイントは、フロアトンネルをメインフレームとする「ハイXボーンフレーム構造」。これによりクローズドボディーと同等以上の剛性を確保したうえで、ホンダの元F1エンジニアが手がけた2リッター4気筒DOHC VTECエンジン(最高出力250PS、最大トルク218N・m)を搭載。そのレイアウトをフロントアクスル後方とするなど理想的な前後重量配分を実現し、ドライバーとクルマとの一体感を追求した。

生産台数は、国内累計2万台。全世界累計で11万台と公表されている。

ホンダS2000 諸元

ベースグレード
乗車定員:2人
重量:1240kg
全長:4135mm
全幅:1750mm
全高:1285mm
ホイールベース:2400mm
エンジン型式:F20C
エンジン種類:直列4気筒
排気量:1997cc
最高出力:250PS/8300rpm
最大トルク:22.2kgf·m/7500rpm
サスペンション形式: (前後)ダブルウィッシュボーン式

(GAZOO編集部)

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