【連載全11話】第3話 トライアンフ2000/日野コンテッサ1300/トライアンフ1300・・・やっぱり似てる? デザイナーが同じクルマ特集

「よく似たヒトは世界に3人いる」などといいますが、クルマにも驚きの“そっくりさん”が存在します。デザイナーが同じと聞けば、それも納得。そんな名車を週替わりで紹介します。

トライアンフ2000/日野コンテッサ1300/トライアンフ1300

1963年にデビューしたトライアンフ2000は、四輪独立懸架を備え、2リッター直6 OHVエンジンを搭載したシャシーを、ミケロッティの手になる6ライトのサイドウィンドウを持つスタイリッシュなボディーで包んだ4ドアサルーンである。同年に登場しライバルとなったローバー2000(P6)とともに、旧態化していた英国の中型サルーン市場に新風を吹き込んだモデルとして注目を集めた。1968年に2.5リッターのインジェクションユニットを積んだ2.5PIを加えるなどして1977年までつくられた。

ルノー4CVのライセンス生産によって乗用車市場に進出し、そこから会得したノウハウをベースにつくられた日野初のオリジナル乗用車がコンテッサ。その発展型として1964年にデビューした4ドアセダンがコンテッサ1300である。1.3リッター直4 OHVエンジンをシャシー後端に積む4CV以来のリアエンジン車で、国産の同級他車に比べてやや大きめでスマートなボディーはミケロッティがデザイン。サイドウィンドウは一般的な4ライトだが、マスクの雰囲気はトライアンフ2000に似ていた。1965年には2ドアクーペを加えるなどしたが、翌1966年に日野がトヨタと業務提携を締結。中型・大型車に専念することとなり、1967年にコンテッサ1300の生産を終了し乗用車市場から撤退した。

1965年にトライアンフ初のFF車として誕生したのが、トライアンフ1300である。先に紹介した2000の弟分で、ボディーは同様にミケロッティがデザイン。ゆえに、ヘッドライトを2000の4灯式から2灯式に改めたような顔つきだった。いっぽうサイドビューは駆動方式こそ真逆ではあるものの前年に登場したコンテッサ1300に似ており、リアクォーター付近の意匠などはそっくりだった。1970年にはトランクルームを拡大すべくテールを延長するなどボディーを改め、前輪を駆動する縦置きエンジンを1.3リッターから1.5リッターに拡大したトライアンフ1500に発展した後、1973年に生産終了した。

ただしそのボディーはマスクなどを改めつつ1970年以降に登場した後輪駆動(FR)のトレド、1500TC、ドロマイトなどに流用されて1980年まで生き延びた。つまり同じボディーにFFとFRという駆動方式のモデルが存在する、非常に珍しい存在となったのである。

[GAZOO編集部]

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