すべてがまぶしかった 初代「いすゞ・ピアッツァ」を振り返る・・・懐かしの名車をプレイバック
コンセプトカーそのままのようなスタイリングで登場し、世の中を驚かせた初代「いすゞ・ピアッツァ」。テレビに映る姿に度肝を抜かれ、街で見かけては感動したものだが、後年になってステアリングを握ったときのことは、今では笑い話だ。
いすゞに育まれた幼少期
家に「いすゞ・ベレット」がやってきたのは、小学校低学年のころだったと思う。それまでの「日野コンテッサ」が大好きだったのでちょっとガッカリしたものの、引き締まったフォルムに新しさを感じた。日本初のGTとされる“ベレG”ではなく2ドアセダンだったが、クルマの知識がなかった小学生にとってはどうでもいいことだ。4輪独立懸架がどうのとかも、もちろん分かっていない。
夏休みには家族4人で旅行もした。全幅1500mmに満たないサイズでも、当時はファミリーカーとして十分とされていたのだ。搭載されるエンジンは何種類かあったようで、どれだったのかは覚えていない。たぶん一番小さい1.3リッターだった。1.8リッターとか2リッターはぜいたくな大排気量エンジンとされていた時代である。
「和製アルファ・ロメオ」と呼ばれていたことは後で知るわけだが、僕が最初のクルマとして「ジュリア クーペ」を選んだのはこの時期の刷り込みが影響していたのかもしれない。余談だが、後にミケロッティデザインの「ダフ44」を衝動買いしたのは、コンテッサの記憶が残っていたからだと思われる。
それなりに充実していたわが家のベレットライフは、いきなり奈落に突き落とされる。ある日、向かいの家のガレージに、超絶カッコいいクルマが鎮座しているのを見たのだ。「117クーペ」である。同じいすゞのクルマだと聞き、さらに悔しさが募った。117クーペの価格は170万円ほどだったようで、おそらくベレットの2倍以上だったのだろう。4ドアより安い2ドアで小排気量のモデルを選んだわが家の財政状況では、とても手が届かなかったはずだ。
117クーペは、それまで見たどのクルマとも似ていなかった。横から見るとショルダーラインが絶妙な曲線を描いていて、ルーフがなだらかに後方へ下がっていく。ボンネットが低いのにトランクリッドの中央部がふくらんでいるのが、奇妙なバランスで面白かった。
それが当時最先端のイタリアンデザインだなんて、知る由もない。日本の自動車メーカーでは、イタリアのカロッツェリアに教えを請うことが流行していた。いすゞはカロッツェリア・ギアに4座クーペのデザインを依頼する。担当したのは、若くしてチーフデザイナーを務めていたジョルジェット・ジウジアーロである。彼は経営危機に陥っていたギアを退社してイタルデザインを設立し、いすゞとの関係を続けた。
見かけるたびに心が動いた
ジウジアーロは新進気鋭のカーデザイナーとして飛ぶ鳥を落とす勢いだった。同じ時期に手がけた「フィアット・ディーノ クーペ」は、117クーペとの類似性が指摘されている。世界的なトレンドの先頭に位置する斬新なデザインだったわけだ。モータリゼーション初期の日本人には、まぶしいほどの輝きだったことは想像に難くない。
よく考えてみると、道をはさんだ2軒にいすゞのクルマがあったのは相当にレアなケースである。名古屋に住んでいたので、まわりはほとんどがトヨタ車ユーザーだった。マイナーないすゞ車に乗っていたのは、いけ好かないインテリ気取りかよほどのへそ曲がりに決まっている。
大学進学を機に東京に移住し、クルマとは無縁の生活になった。4畳半の木造アパート暮らしで、移動手段は電車とバスだけだ。自宅住まいの学生のなかには家のクルマを使える者もいたが、そういう環境ではなかった。よりによってロシア文学という華のない専攻を選んでしまったのが間違いである。親のマイナー志向を受け継いでしまったのだろうか。英文や仏文の連中は男女のグループで楽しそうにドライブに出かけていたが、露文学性は暗い顔でドストエフスキーの小説を読んでいるしかなかったのだ。
報われない青春に鬱々(うつうつ)としていた1981年、大学の生協で買った4万9800円の13インチブラウン管テレビに映った未来のクルマに度肝を抜かれた。驚くほどスタイリッシュで、シンプルながらシャープなフォルム。いすゞ・ピアッツァだった。まだ運転免許を持っていなかったが、これは欲しい、と感じたのだ。
117クーペの後継車に位置づけられるスペシャリティーカーで、やはりジウジアーロがデザインを手がけている。しばらくすると路上でも姿を見るようになり、しびれるカッコよさに心が揺さぶられた。117クーペとはまったく異なる手法だが、天才は幅広いアイデアを高度なレベルで実現させるものだと感心した。ピアッツァはイタリア語で広場を意味する言葉である。だから、藤沢工場の隣にあるミュージアム「いすゞプラザ」の入り口は「PIAZZA」と名づけられているのだ。
実家に帰ると、ガレージに収まっていたのは「ジェミニ」だった。ピアッツァでないことは分かっていた。ジェミニはベレットの後継車だから、妥当な買い替えといえる。実家は引っ越していたので、かつてのお向かいさんがピアッツァを購入していたかどうかは確認できなかった。
いすゞの最後の花火
実際にピアッツァに乗る機会があったのは、かなり後のことである。2代続けての憧れのクルマであり、ワクワクしながらステアリングを握った。走りだしてしばらくすると、高揚する気持ちが次第に冷めていくことに気づく。思っていたより遅いのである。フォルムからは目の覚めるような加速がイメージされるのに、なんだかもったりしている。
1.9リッター直4エンジンの最高出力は135PS。グロス値だから、現在の基準ではまったくもってパワー不足だ。運転感覚は平凡である。風を切り裂いて進むような見た目でも、スポーツカーではない。デザインと動力性能が必ずしもシンクロしないということを思い知った。後にハイパワー版が追加されたのは当然だろう。
ピアッツァは1991年にこれといった特徴のない2代目になり、1995年に生産が終了した。これは、いすゞが乗用車の生産から撤退することを意味する。長い歴史を持つ名門自動車メーカーは、大量生産大量消費の波から取り残されていた。記憶に残る名車を生み出したものの、厳しい競争を勝ち抜く体力はない。2002年にはSUVの生産も終了し、商用車専業メーカーとなった。
その前年に行われた東京モーターショーに、いすゞは伝統的かつ前衛的なデザインを持つ奇怪なコンセプトカーを出展した。「SUVの楽しさと商用車の機能性を新次元で融合させた、日本の伝統美を採り入れたクロスオーバー・ビークル」と銘打った「Z・E・N」である。ルーフラインは扇がモチーフで、リアゲートは雪見障子からヒントを得たという。フロアマットは畳というぶっ飛び具合で、和のエッセンスを過剰にちりばめていた。
どう考えても実際に販売するのは無理なつくりだったが、この年のモーターショーで最も強いインパクトを残した。117クーペとピアッツァという型破りのクルマを世に出したいすゞは、最後にでっかい花火を打ち上げて乗用車の世界から去っていったのである。
(文=鈴木真人)
初代いすゞ・ピアッツァ(1981年~1991年)解説
「117クーペ」の後継として1981年にデビュー。デザインは引き続きジョルジェット・ジウジアーロが担当し、1979年の「ジュネーブモーターショー」で披露されたコンセプトカー「アッソ・ディ・フィオーリ」をそのまま市販化したかのようなフラッシュサーフェスとウエッジシェイプが話題に。
サテライト式コックピットを採用したインテリアもコンセプトカーからほとんど変わっておらず、エアコンやハザードスイッチなどをステアリングから手を放さずに操作できるのが新しかった。メモリー式チルトステアリングやデジタルメーター、車速感応型パワーステアリングなど、当時の先進装備を数多く装備していた。
エンジンは最高出力135PSの1.9リッター4気筒DOHCと120PSの1.9リッター4気筒SOHCの2タイプで、のちに180PSの2リッター4気筒SOHCターボを追加。1985年には旧西ドイツのイルムシャーが足まわりをチューニングしたその名も「イルムシャー」を追加設定し、1988年にはロータスとの技術提携の成果である「ハンドリング・バイ・ロータス」を投入。1990年に最終モデルとして「ハンドリング・バイ・ロータス リミテッド」を設定し、1991年に2代目に道を譲った。
初代いすゞ・ピアッツァ諸元
JR130型
乗車定員:5人
重量:1190kg
全長:4,310mm
全幅:1,655mm
全高:1,300mm
ホイールベース:2,440mm
エンジン型式:G200
エンジン種類:直列4気筒
排気量:1,949cc
最高出力:135PS/6200rpm
最大トルク:17.0kgf·m/5000rpm
サスペンション形式: (前)ダブルウィッシュボーン式、(後)3リンク式
(GAZOO編集部)
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