陸前高田の復興と走行100万kmを目指す「御用聞き販売」のためのハイエースバン
「あの震災」から約1年後の2012年、岩手県陸前高田市に住む鈴木泰治さんが配達用のクルマとして購入したハイエースバン。陸前高田市内で行われた「かさ上げ工事」がまだ始まってもいなかった頃に、隣町のネッツトヨタ岩手大船渡店で新車として購入したそれの走行距離は、現在すでに30万kmを超えている。
最近はさすがに少々のガタも出てきたと言うが、鈴木さんは「でも買い替える予定はない。むしろこのハイエースバンで100万kmを目指しますよ!」と、明るく笑う。
笑顔が素敵な鈴木さんだが、あの震災、あの津波では、母と祖母を亡くしている。だが今回はそこに触れるつもりはなく、そもそも笑顔の先にある本当の心の内など、本人以外にはわかりようもない。
それゆえここでは、なぜ鈴木さんがハイエースバンを選び、そしてなぜ100万km超えを目指しているのか――ということを探っていくことにしよう。
震災前の鈴木さんは、陸前高田の人たちから約100年にわたって愛され続けた地元の醤油メーカー「ヤマニ醤油」の社員営業マンだった。営業といっても今日的なビッグデータやらAIやらを駆使するスタイルではなく、地元で100年間続いた「御用聞き」スタイルの営業だ。
鈴木さんもそこにやりがいを感じ、そして陸前高田の人たちも――特に市内からやや外れた、商店が少ないエリアに住まう人々も――それを求めていた。
だが津波により、すべてはいったんゼロになった。
そこから、陸前高田の人々に再び「ヤマニ醤油」を届けるための苦闘が始まったわけだが、苦闘の模様はここでは割愛させていただく。とにかくヤマニ醤油は2012年に再び立ち上がり、鈴木さんは、その陸前高田営業所をたったひとりで背負って立つ存在になった。
そして、営業が再開されるからには、「営業車」の存在が必要不可欠であった。
震災前はトヨタ アルテッツァの6段MT仕様に乗っていたほどのクルマ好きでもある鈴木さんは、御用聞きおよび配達用のバンとはいえ「車種」にはこだわりたい気持ちがあった。だが実際には「トヨタ ハイエースバンの一択だった」と言う。
「トヨタさん系の媒体の取材だからっておべんちゃらを言うわけではなく、ホント、こういった過疎の地域でもしっかり根を張ってくれているトヨタのディーラー網は凄いと思ってます。あとは耐久性の面でも『やっぱハイエースしかねえべ!』と思いましたので、迷うことなく大船渡のネッツトヨタに行って、ハイエースのバンを契約しましたよ。正直、お金はキツかったですけどね」
必要な条件は「ディーゼルで、そして四駆でMTで」というものだった。
市内および隣県の得意先各戸をくまなく御用聞きして回るうえでの走行距離は、月間4000kmほどに達する。そうなると燃料費の観点でディーゼルエンジンは必須となり、傾斜がきつい山間部などを走る機会も多いため、「四駆で、オートマではないやつで」ということも重要な条件であった。
それから約8年。鈴木さんが代表を務める「ヤマニ醤油 陸前高田営業所」はなんとか軌道に乗り、仮設の事業所ではなく「恒久的な事務所」を作ることもできた。そして日曜日を除く毎日、陸前高田市から宮城県気仙沼市までの得意先各戸や飲食店などに、気仙地域の人々に昔から愛用される「ヤマニ上級醤油」を届けている。
だがその代償として、2012年式トヨタ ハイエースバンの走行距離は早くも30万kmを超え、各部の経年劣化も進んだ。
「クラッチは1回交換しましたね。あとはシートが、とにかく(御用聞きのため)乗り降りする回数が異様に多いから、運転席側のサイド部分はずいぶんすり切れてきちゃいましたよ。あとはエンジンをON/OFFさせる回数も多いから、キーの先端部分がすり減ってきちゃって、たまに反応しないときもあります(笑)」
だが逆に言えば大きめな劣化はその程度で、エンジンにも足回りにも特に大きな問題はないという。鈴木さんが前述した「運転席側シートのサイド部分がすり切れてきた」というのも、筆者の見立てとしては「逆に30万kmで、しかも御用聞きのためにしょっちゅう乗り降りしてて、これしかすり切れないんですか?」というレベルだ。
「ニッポンの働くクルマ」の代表格であるハイエースバンの耐久性の高さに、今さらながら驚かされたというのが、鈴木さんが使うハイエースバンを見ての率直な感想だ。
「もちろん、月に一度は大船渡のネッツトヨタで点検してもらって、そんでもってエンジンオイル交換もやってもらってるから――というのも、このハイエースバンがまだまだ元気な理由なんでしょうが」
とはいえ8年選手の30万km超ともなれば、さすがにこれからさまざまな経年劣化が顔を出すことも十分考えられる。そのため「新しいハイエースバンに買い替える」というのも、経営者としての合理的な選択ではあるはずだ。
しかし鈴木さんは冒頭で申し上げたとおり、「買い替えるつもりはない。むしろこの個体で100万kmを目指す」と言う。
それにはいったいどんな理由があるのか。
「もちろん、ハイエースバンは決して安いクルマではないから……というのもあるんですが、本当のところは愛着というか思い入れというか、そういった部分ですよね。同じハイエースバンでも他の個体じゃなく、“このハイエースバン”に、僕はずっと乗っていたいんです」
さまざまな思い出が、このクルマには詰まりすぎるほど詰まっているのだという。
「今でこそ、震災後に結婚した妻と、生まれた子供たちと、そして僕の父と、最近建てることができた家で仲良く暮らせています。でも震災後の数年間はずっと父と二人、仮設住宅で暮らしていましたので、このハイエースバンが言わば唯一のプライベート空間だったんです。夜とか、走らせるわけではないのですが、このクルマの中でひとりの時間を過ごしたりもしました。そして……」
こういうことはあまり言いたくはないのですが――と前置きしたうえで、鈴木さんは言った。
「いろいろな涙を、このハイエースバンの運転席で流しました。そういった時間と記憶のすべてが詰まっているこのクルマを、『古くなったから』といって手放す気にはなれないんですよ。もらい事故とかで修復不能になったらさすがにあきらめますが、そうでない限りは必ず“100万km”を達成してみせるつもりです。さらには……」
鈴木さんには夢があるそうだ。
このハイエースバンが見事走行100万kmを達成したあかつきには、鈴木さんが大好きな『ガンダムシリーズ』の“百式”にならって、2012年式トヨタ ハイエースバン スーパーGL 3000ディーゼル 4WDのボディを金ピカに全塗装すること。そしてその金ピカのハイエースバンで、陸前高田の人々に醤油を届けて回ること。
それが、鈴木泰治さんが抱いている「いくつかの夢」のうちのひとつだ。
夢というのは、得てして夢のまま終わること、つまり達成されない場合のほうが一般的には多いだろう。
だが鈴木さんのこの夢は、どうも達成されるような予感がしてならない。
ハイエースバンというクルマの耐久性。鈴木さんのメンテナンスに対する姿勢。そしてこのクルマと、ヤマニ醤油と、陸前高田の町と人々を大切に思っている鈴木さんのマインド。
それらの足し算というか掛け算の結果として、近い将来、復興まだ半ばと言える陸前高田の町をキンキラキンのハイエースバンが、醤油を載せて元気に駆け回るという光景は――決して荒唐無稽な夢物語ではないはずだ。
手元の電卓によれば、「金ピカのハイエースバン」が陸前高田の町に出没するのは――2034年の秋になる。
(取材・文/伊達軍曹 撮影/スズキミサオ)
[ガズー編集部]
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