還暦を過ぎて知った、トヨタ 86で1/1000秒に挑む快感

今回の取材者との待ち合わせは走行会が行われている富士スピードウェイのピット。この日は豪雨で、コース上は川のようになっていた。コンディションの悪いコースを走るクルマを眺めていると、真っ白なトヨタ 86がピットに帰ってきた。ボディやホイールには大量の芝生がついている。

「1コーナーでブレーキングしたらハイドロプレーニングでそのままコースアウトしちゃってね。あわや撮影前に廃車にするところでした。無事に帰ってこられてよかった(笑)。残念だけれど、これじゃ今日はタイムを出せないな」

オーナーは小野明則さん(66歳)。富士スピードウェイから峠を越えた山中湖でバーベキューハウスやイタリアンレストランを営んでいる。生活圏に国際サーキットがあるので、てっきり若い頃から富士を走っているのかと思ったら、なんとサーキットを走るようになったのは3年前、63歳の時だという。

「僕には30年以上の付き合いになる親友がいて、2人の間には『どちらかが新しい遊びを始めたら、もう1人も絶対にやらなければならない』という決め事があってね。彼は今福岡に住んでいるんだけれど、3年前に『友達からレースに誘われた。だから小野ちゃんのクルマも用意したよ』と連絡が来て。すると本当にアウディTTクーペが陸送されてきたんですよ(笑)」

なんとも豪快なエピソードだが、それで「じゃあ俺もやってみるか」と本当にサーキットを走り始める小野さんもすごい。

「若い頃、僕が遊びでカートを始めた時は有無を言わさず彼をショップに連れて行ったから。『とにかくやってみる』というのは30年以上続く約束。これは反故にできないですよ。もちろんやってダメならすぐやめればいい。そこはお互い文句を言いません」

小野さんはもともとスピードが好きで、10代から20代の頃はアルペンスキー・ダウンヒルの選手だった。レースでは130km/hを超えるスピードで斜面を滑降する。普通のゲレンデでは練習できず、スキーのジャンプ台で練習していたという。

現役引退後は、仕事で大阪や東京、フィリピンなど各地を転々とした。その後、たまたま湖畔に桟橋を持っていたホテルから水上スキーのスクール運営を任されて山中湖にやってきた。5月〜11月は山中湖、そして12月〜4月は福島県のスキー場でスキースクールを運営する生活が続いた。

水上スキーのスクールは雨が降るとお客さんが来ない。そこで雨でも商売ができるようにとバーベキューハウスをオープン。店は空いた時間に自分で作っていったという。

速さを好む小野さんのことだ。事業が軌道に乗った後はスーパーカーなどを愛車にしていたのだろうか。

「確かに速いクルマが好きだけれど、これ見よがしなやつは好みじゃなくて。どちらかというと見た目は普通なのに走ると速いセダンが好きなんですよ。これまで乗ってきたクルマで忘れられないのはW124の500 Eですね」

500 Eは、メルセデス・ベンツのW124型ミディアムクラスにポルシェがチューニングした5L V8エンジンを搭載したスペシャルモデルだ。見た目は普通だが(よく見るとボディはワイド化されていた)、ひとたびアクセルを踏むとスーパーカー顔負けの強烈な加速力を見せる。

若い頃はスキーに打ち込み、クルマも速いものが好きだった小野さん。きっかけは意外な形だが、モータースポーツにのめり込むのも自然なことだったのかもしれない。

「スピード競技の面白さは、タイムという言い訳ができないもので結果が見えること。とくにモータースポーツは1/1000秒の差でも速いほうが勝ちになる。そのドライな部分が楽しいんですよ」

最初の1年間、小野さんはTTクーペで富士を走っていた。だが夏場は熱対策に苦しみ、1周アタックしては数周クーリングしなければならないのがもどかしかったという。そんな話を友人にしたら86を勧められ、合わせて懇意にしているMCRというチューニングショップを紹介され、86に乗り換えた。

小野さんの86はナンバーこそ取得したが、足回りやブレーキなどに手を加えたサーキット専用車になっている。

「手を加えてあるとはいえ、真夏に30分以上全開で走ってもまったくタレない。すごいクルマですよ。僕は回数を走るから耐久性が優れているのも助かっています。パーツも輸入車に比べると手頃な価格で手に入りますしね」

若い頃にカートを始めた時は、ただ走るだけで楽しかった。仲間とカートコースに行き、何も考えずに遊んでいただけだから、どれだけ走っても上手くならない。そして文字通りちょっとかじっただけで終わってしまった。それから数十年経ち、60歳を過ぎてもう一度モータースポーツに触れた時、本気で上手くなりたいと思った。

「長くクルマを運転してきたとはいえ、競技として速く走らせることに関してはまったくの無知ですからね。そこで富士スピードウェイで織戸学選手が開催しているPARKトレーニングでライン取りやブレーキングの方法を教わりました。走行会でも、ロガーのデータを見て次のアタックに活かしています」

地道な練習を続けたことで、3年前と今では明らかに走りが変わった。最初はがむしゃらに走っていたが、今は当時とはまったく違うライン取りになり、しかも安全に走っているのを実感できるという。もちろんその結果はタイムにも現れている。

「たとえば以前はアクセルかブレーキを踏むことしかできなかったけれど、今はブレーキを残しながらコーナーをクリアする感覚もわかるようになりました。これはプロに教わった上で何度も練習しないと身につかないものです」

86は絶対的なパワーがあるモデルではない。その分FRの特性を感じ、それをコントロールしながら走る楽しさがある。うまくレコードラインをトレースしてタイムを縮めた時の快感は何ものにも代え難い。しかし一か所でもミスをするとたちどころにラップタイプが1〜2秒遅くなってしまう。

「とくに最終コーナー手前は一番神経を使います。あそこは走行会でもクルマが一番ゴチャゴチャする場所だし、86はパワーが小さいからここでミスをすると立ち上がりでスピードをのせられないから」

2020年1月には織戸選手のチームから7時間耐久レースに86で出場した。無事に完走し、ベストシニア賞を受賞した。

「たまたま僕が出場選手の中で最年長だったからもらえたのですが、富士の表彰台に上がるなんてまずできない経験だから嬉しかったですね」

現在は仲間とチームを組み、2021年から耐久レースへの出場を計画している。中古車でZ33型 日産 フェアレディZを共同購入し、現在レース用に仕上げている最中だ。

それにしてもだ。60歳を過ぎてサーキットデビューし、60代後半でレース参戦。普通なら定年を迎え、体力が衰える中で第二の人生をどうするか考える年齢で、モータースポーツに打ち込むバイタリティはどこからくるのか。

「そんな大それたことではないですよ。興味をもったことは迷わずやってみる。そしてやる以上は一生懸命やる。ただそれだけです。年齢なんて関係ないでしょう」

できない人は20代だってやらない。だって“できない理由”を一生懸命探すのだからと笑う小野さんの言葉を聞いてハッとした。確かにその通りだ。私もこれまで、やりたいと思ってもなかなか重い腰を上げない時、何かとできない理由を探して言い訳をしてきた。あなたにも思い当たる節があるはずだ。

ダウンヒルの選手だった20代は、夏に死に物狂いで稼ぎ、そのお金をすべてスキーに注ぎ込んだ。山中湖にやってきた時も、どうすれば水上スキーやレストランの事業を成功させられるか必死に考え、実行してきた。

「大切なのは、どこまでのめりこめるか。そうすれば自分でなんとかするための方法を見つけられるものですよ。レースの世界には70歳を過ぎても現役で走っている人もいます。それを考えたら僕なんかまだひよっこです(笑)」

もっと歳を取ったらクラシックカーでのんびり走っていたりするかもしれないけれど、今は速く走れるようになるのが楽しくて仕方ない。86に出会ったことで始まった小野さんの挑戦はまだまだ続きそうだ。

 

(取材・文/高橋 満<BRIDGE MAN> 撮影/柳田由人)

[ガズー編集部]

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