エアラインパイロットが「31年落ちの初代ホンダ NSX」に今も乗り続ける理由
20年以上にわたって初代ホンダ NSXに乗り続けている北村知宏さん(仮名)の職業は、エアラインパイロット。大手航空会社A社で機長を務めている。
そんな北村さんが初代NSXと付き合い続けている理由。それは、スーパーな乗り物であるジェット旅客機と、同じくスーパーなカーである初代NSXとは操縦感覚が非常によく似ており、北村さんはそんな双方の操縦フィールを「常に感じていたい」と思っているからだ。
「……いや、そのまとめ方は大げさというか、“作りすぎ”だと思いますよ(笑)。NSXと大型旅客機の操縦感覚は、やはりぜんぜん違います。でも……『操るのが本当に面白い』という意味でなら、確かにどちらも同じかもしれません。だから僕はパイロットをやめるつもりはないし、今や31年落ちになった初代NSXを、手放すつもりもないんです」
小学生の頃は外航航路船の船長になるのが夢だった。だが中学生になって「船乗りは家にいられる時間が短い」ということを理解すると、夢は「パイロットになること」に変わった。
一般大学を経て航空大学校(公立のエアラインパイロット養成機関)に入学し、卒業と同時に「飛行機・事業用操縦士(陸上単発・陸上多発)」と「計器飛行証明」のライセンスを取得。そして大手エアラインA社に運航乗務職として入社したが、最初の3年間は「操縦訓練を受けるまでの順番待ち期間」として成田空港に配属。空港地上旅客係員として勤務した。
「で、その時期は会社の独身寮に住んでいたため、給料の大半を貯金することができたんです。そしてその結果として、旅客機の操縦ライセンス試験に合格した自分へのご褒美という意味合いで、前々から憧れていた初代ホンダ NSXの中古車を、現金一括払いで2000年に買いました。1991年式で走行1.8万kmという低走行車でしたが、外装はけっこうボロボロでしたね」
子どもの頃から船、飛行機に加えて車も大好きだった北村さんは、航空大学校へ入る前に入学した一般大学では体育会自動車部に所属した。そこでジムカーナ競技や大会運営などに鋭意携わっていたわけだが、大学祭のとき、当時発売されたばかりの初代ホンダ NSXの実車に触れる機会に恵まれた。
「当時はアイルトン・セナが駆るマクラーレン・ホンダのマシンが2年連続チャンピオンになるなどしたF1ブームの最盛期で、ホンダのスポーツカーに対する世間の関心も高まっていたからでしょうか。発売直後の初代NSXを、なぜかウチの大学祭で展示することになったんです。そのときに自動車部の部員として、NSXに少しだけ触れる機会があったんです」
北村さんがのちに初代ホンダ NSXを購入するまでは、大学祭での 「少し触れただけ」というのが唯一のNSX体験だった。つまり、初代NSXの実際の諸性能や走行フィールなどはいっさい知らないまま“憧れ”だけで、購入に踏み切ったのだ。
そうして20代の終わり頃に手に入れた初代NSXは、果たしてどんな車だったのか?
「素晴らしく楽しい車ですね。といっても、絶対的な速さはそれほどでもないんですよ。VTECが切り替わった後半ぐらいから、やっと少し速くなる程度で。直線では当然ながら飛行機のほうが速いですし(笑)、もしもサーキットで加速競争をするなら、2Lクラスの4WDターボ車にも負けると思います」
現代の基準で言えば、決して“速い”とは言えないという初代ホンダ NSX。だが北村さんは続けてこう言う。
「でもね……ハンドリングが本当に素晴らしいんですよ。まるで100ccぐらいのカートみたいな感触なんです。そして昔の車としては決して小さい車ではないのですが、それでもなぜか“ちっちゃい車”のように感じられる。だから中低速のコーナーが続く峠道では、安全な速度域で走っているだけでも十分以上に楽しめるんです」
趣味の登山へ行くときは必ずNSXの荷室にザックや登山靴などを入れ、NSXで登山口まで走っていく。
「もう1台ある家の車で山に行っちゃうと妻に怒られますので(笑)」と照れ笑いする北村さんだが、実際には「そのほうが楽しいから」というのが、登山の相棒としても初代NSXを使う理由の半分以上を占めているのだろう。
また伊丹空港へ“出勤”する際には会社の経費でタクシーを使っている北村機長だが、やや遠い関空(関西国際空港)へ行く際も同様にタクシーを使うことを、会社からは許されている。
「でも関空に出勤するときはたいていNSXですね。なぜならば、関空まで行く湾岸線はタクシーの後席に乗って行くよりも、自分でNSXを運転して行ったほうが断然楽しいからです。あんな楽しいことをしないでタクシーを使ってしまうのは、人生における大きな損失と言えるでしょう(笑)」
人生の損失といえば、初代ホンダ NSXの運転だけでなく「旅客機の着陸」においても、北村機長は思うところがあるようだ。
「今の飛行機って水平飛行だけでなく着陸も、普通に全部オートでやれちゃうんですよ。操縦桿に指1本触れないままでも、機械まかせで安全に着陸させることができるんです。でも僕は、状況が許せばほとんどの場合“手動”で着陸させています。オートを選ばない理由は、もちろんまず第一には『自分の操縦技量を維持するため』ですが、それと同時に『こんなにも楽しい行為を機械にやらせるのはもったいないから!』というのも正直あります。とにかく楽しいんですよ、ヒコーキって。
そして初代NSXは、もちろん先ほど申し上げたとおり、具体的な操縦フィールは大型旅客機とはまったく違いますが、こと『楽しい!』という部分においてはほとんど同じなんですよね。だからやめられないし、降りられない」
31年落ちで、走行距離は約8万kmとなった個体だけあって「つまらない故障」はしばしば発生するという。パワーウインドウの故障に始まり、オーディオの不具合、ウインカーリレーのトラブル、トランクリッドのダンパーが抜ける等々、年数と距離を経た車では一般的に壊れがちな箇所は、NSXというスーパーカーにおいても、やはり壊れる。
でも、だからといって「もういいや、別の何かに買い替えよう」と思ったことはない。いや「ちょっと思った」ことは正直あったそうだが、しかし本気で「初代NSXはもうやめよう。売り払ってしまおう」と思ったことは、一度もない。
「だって、これに代わる車、これを超える車って、他にないじゃないですか? 本当に楽しく走れて、軽くて、マニュアルトランスミッションで、それでいて十分以上なスペシャル感もある車って……世の中にほとんどないんですよ。特に僕が好きな“国産車”という領域では、たぶん一台もないんじゃないかな?」
これの他に欲しい車って、本当にないんです――と繰り返す北村さん。
だから、年式ゆえのマイナートラブルが発生しがちなことは知っているし、今売り払えば、折からの世界的なヤングタイマーブームのせいで「かなりの金額」になるだろうことも、よく知っている。
だが、北村機長はこのNSXに乗り続ける。
なぜならば「楽しさ=幸せ」とは、当然ながらお金で買うことはできないもので、また「最新世代の諸性能」によって代替できるものでもないことを、よく知っているからだ。
(文=伊達軍曹/撮影=阿部昌也/編集=vehiclenaviMAGAZINE編集部)
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