スバル車好きフリーライターが3台の愛車とともに群馬の古民家へ移住した想いと人生の移ろい
3台の愛車とともに暮らすため、群馬県太田市にある家賃5万円のガレージ付き古民家に移住した高野博善さん。一部の人にとっては、高野博善さんと呼ぶよりも「自動車ライターのマリオ高野さん」と言ったほうが、通りは良いだろう。
いずれにせよ、イナバ物置的なガレージの中に約30年物の初代スバル インプレッサWRXをしまい込み、さらに奥に見え隠れするインプレッサG4の前で青空の下、スバル BRZの洗車に励む高野さんの姿は「重度のカーマニア街道を一直線に歩んできた男の現在地」にしか見えないかもしれない。
だが地球上で暮らすほぼ全員の人生に、さまざまな紆余曲折があるのと同じように、高野博善さんのカーマニア人生にも、当然ながらそれがあった。
東大阪市の母子家庭に生まれ、車にはまったく興味のない青年として育った高野さんだったが、家庭の事情で起伏の多い奈良県に家族で転居すると、山を越えて移動するための安価な道具として、軽自動車の「スバル ヴィヴィオ」を買った。
生まれて初めての“愛車”ではあったが、当時は車というものに何の興味もなかったため、トランスミッションは当然(?)ATを選択した。
しかしその「オートマのヴィヴィオ」が、高野さんの自動車観を変えた。
小さな、何ということもない軽自動車なのだが、まるで自分の手足のように、思い通りに動いてくれる。「……車って、こんなにも“面白いモノ”だったのか!」と衝撃を受けた高野さんは、オートマのヴィヴィオ購入から半年もたたずして「初代スバル インプレッサWRX」に乗り替えることになる。
そしてその後さまざまな仕事を経験したのち、車というものの面白さに開眼して以降の夢だった「自動車雑誌の編集記者」になることができた。28歳の時だった。
自動車専門誌の出版社で経験を積んだのち、フリーランスの自動車記者として独立。以降の高野博善さんは「ちょっと変わったスバルマニアの自動車ライター、マリオ高野」として順調な活動を続けることになる。
各メディアには署名記事が掲載され、著名自動車評論家の清水草一さんとともに自主制作した自動車関係のDVDも、まずまずの数が売れた。車好きの人生としては順風満帆にも見えた。
だがその裏で、高野さんは苦悩していた。
「いや苦悩というほどのことではないのですが、今から10年近く前の2013年頃……なんと言いますか、車というものに、決して飽きたわけではないものの、以前ほどの熱情は感じられていない自分に気づいてしまったんです。冷めていたというか。そしてちょうどその頃に仕事の量も減ってしまって、正直、生活がやや苦しくなりました」
当時すでに約20年選手だった初代インプレッサWRXを、それなり以上の予算を投入してメンテナンスしながら乗り続けていた高野さんだったが、「……WRXはしばらく眠らせて、これからはダイハツ ミラ イースのOEM版である『スバル プレオ プラス』にでも乗ることにしよう」と思い、実際にスバルディーラーまで出向いたという。
だが軽自動車であるプレオ プラスでは、さすがに仕事での長距離移動がちょっと厳しい――ということで思い直し、同じスバルの普通車セダン「インプレッサG4」を買うことに決めた。
選んだグレードは「1.6i」という、アイサイトも付かない超廉価グレードのMT車。何やらマニアックで素敵なチョイスにも思えるが、ご本人いわく、その選択は“素敵”うんぬんとは何の関係もなかったという。
「『一番安いやつならギリギリ買える』というだけの理由で選んだまでです。そんな地味なグレードは試乗車もありませんから(笑)、それまで一度も運転したことはなかったですし、期待もしていませんでした。『手間がかかるようになった初代WRXと違って新車だから、まぁ普通には動くでしょ? それだけで十分ですよ』みたいな……きわめて冷めた感じでしたね」
だがそんな地味な最廉価セダンが、再び高野さんの自動車観を変えた。というか正確には、再び活性化させた。
「スペック的にはまったくもって何の変哲もない車なのですが、MTで操作すると意外なほど、エンジンは高回転域の伸びやかさが気持ちいいですし、足回りも、ちょっと昔のフランス車のように懐が深い。そういった類の良さを持つ車があるというのは、往年のプジョー 406スポーツの試乗車などを通じて知ってはいました。
でも、いざ自分の車として毎日のようにそれを味わうことになると……『やっぱり車ってすげえな、面白いな!』と、再び心の底から思えるようになったんですよね」
自動車へのリスペクトと情熱を取り戻したことが、自然と自身が書くものの内容に反映されたからだろうか。減少していた仕事量は再び増加へと転じ、2021年には現行型のスバル BRZを――長期ローンを使ってではあるが――新車で購入できる状況にまで至った。
だがちょうどその頃、高野さんの母親が亡くなった。
「同居していた姉が病気で亡くなった後は、埼玉県所沢市の家で僕が、寝たきりになった母のいわゆる“面倒をみる”というのを1人でずっとやっていて――
母が生きていた頃は周囲に『アホなオカンですみませんねえ(笑)』みたいなことを言っていましたが、やはり、49年間ずっと一緒だったオカンがいなくなるということは、自分にとってはデカかったというか、心にぽっかりと穴が開いたような気がしてしまうというか……」
そうして高野さんは“リセット”を行うことを決めた。
どうしたって母の幻影を見てしまう住み慣れた家を離れ、どこか別の場所で暮らそうと思ったのだ。
「さまざまな候補地があるなかで、僕が大好きなスバルの工場がある群馬県太田市に住むことには漠然とした憧れがあったのですが、とはいえそれは漠然としたものでしかありませんでした。でも……出会ってしまったんですね、この家に」
太田市の家賃相場などを漠然と調査する日々を重ねながら、取材で太田市に出向いた際、「そういえばこのあたりに、先日ネットで見かけた物件があったはず。ちょっと覗いてみるか」と思って現地付近まで行ってみると――あったのが、現在住まうこちらの借家だ。
「もうね、ひと目見ただけでぶわーっとイメージが膨らみました。このイナバ物置みたいなところにGC8(初代インプレッサWRX)を入れて、庭先にG4とBRZを停めて普段づかいして、そして奥の庭でバーベキューをしたり野球のバッティング練習をしたり、そしてたぶんあるはずの床の間には書を飾って、昔から好きでやっている茶道も、もっと本格的に追求して――みたいな」
いずれの町へのリセット的な転居を敢行するにせよ、引っ越しはゆっくりぼちぼちと……とイメージしていた高野さんだったが、その物件を見てからはもう居ても立ってもいられなくなり、“即座”といえるほどのスピードですべての手続きを済ませ、今年8月に晴れて「太田市民」となった。
仕事の発注元が多く集合している東京都内からは遠く離れたが、近頃はリモート環境での取材や打ち合わせも多く、また「所沢の奥地から都内へ行くのも、群馬県から行くのも、実は30分から1時間ほどしか変わらない(笑)」というリアルな事情もあって、特段の不便は感じていないという。またご近所さんたちとも良好な付き合いが始まっており、徒歩圏内に大型スーパーもある。
そんな家で今、高野博善さんは静かに暮らしながら3台の車を代わるがわる愛し、そして仕事にも励んでいる。
充実していそうに見える。住まう建物自体は古いが、日当たりはきわめて良好で、縁側にたたずみながら広い庭を眺めているだけでも気持ちの良い場所だ。そして何より、愛する3台の車が“置き放題”であるという、自動車愛好家にとっては何より好ましい条件もそろっている。
だが「……寂しくないのだろうか?」とは、正直思う。
地縁や血縁、あるいは友人関係などが確かにあった場所から遠く離れ、ひとりで暮らす日々には、「静けさ」という充足感と表裏一体の寂寥感のようなものも、確実に存在するように思えるからだ。
そんな質問に対して、高野博善さんは答える。
「昔であれば、つまり自動車趣味とは、目を三角にして峠道やサーキットをうおおおおお!っと激走することであるとばかり思っていた頃の自分だったら(笑)、確かにここでの暮らしには寂しさのようなものを覚えたかもしれません」
だが、今の高野さんは「自動車の楽しみ方」というものを、もっと広い意味でとらえられるようになっているという。
「ただ走るだけではなく、車を通じて知己を得た友人たちと、まさにこの家の庭でバーベキューをしたり、ドライブの目的地付近でアウトドアっぽいことを楽しんだり――ということを、さすがの僕も最近は覚えました。あと、そもそもインターネットを通じて『いつだってつながってる』と言えなくもないのが現代ですしね。
だから、これは強がりでも何でもない心の底からの本心として、ここでの暮らしには“大満足”以外の感想はいっさいないんです。このガレージハウス……というほどのものではありませんが、それをもっと素敵なものに仕上げていきたいし、戦国時代の武家と関わりが深い太田市の歴史も、もっともっと知りたい。
大げさに言うなら『人生の新しいステージが始まったな……』みたいな(笑)充実感が今、あふれまくってるんですよ!」
移住記念として、友人から贈られた「人間五十年」との書。織田信長がこの言葉を吟じながら舞っていた時代であれば、49歳となった高野さんの日々は“晩年”に相当するのだろう。
だが今は時代が違う。高野さんの群馬県太田市での暮らしは、ジョン・レノンが1980年に歌った「(Just Like)Starting Over」つまり「新たな始まり」に、どちらかといえば近い。
身体と心が動く限り、人は何歳になっても人生の第二章・第三章を、車とともにリスタートさせることができる。
群馬県太田市の庭先で高野さんが身をもって教えてくれたのは、そんなことであったような気がする。
(文=伊達軍曹/撮影=阿部昌也/編集=vehiclenaviMAGAZINE編集部)
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