このMR2と、生まれたときから一緒に過ごしてきた

1985年式のトヨタMR2を、免許取得からずっと乗り続けているという。実は赤ん坊の頃から一緒に過ごしてきた愛車であり、さまざまな出会いをもたらしてくれたという。このAW11入手の経緯、旧車ならではの悩み、こだわり、今後について語ってもらった。

今も昔もクルマは人と人との出会いをもたらしてくれる相棒でもある。同じ車種やジャンルの車を所有するオーナーは趣味趣向が似ていることも多く、イベントなどでの出会いから自然発生的にコミュニティが形成されることも少なくない。
そんな人との縁を楽しみながら、1985年式トヨタ・MR2(AW11)に10年乗り続けているのがオーナーのAt462さんだ。

「このMR2は父が新卒の時に新車で購入したものなんです。結婚しても父はそのまま乗り続けていたため、僕としては母のお腹の中にいた頃から乗っていたクルマってことになるんですかね。そう考えると年齢=MR2歴って言ってもいいのかな(笑)」
一緒に育ったといっても過言ではないMR2を、仮免許取得のタイミングでAt462さんが譲り受け、免許取得中もこのMR2に『仮免練習中』のボードを掲げて練習したそうだ。

MR2といえば1984年にトヨタが送り出した日本車では初となる量産型ミッドシップスポーツカー。その初代となるAW型には1.5リッターの3A-LUエンジンを搭載するAW10と、1.6リッターの4A-GEエンジンを搭載するAW11がラインアップされ、後期モデルではスーパーチャージャーを組み合わせた4A-GZEエンジン搭載のハイパフォーマンスモデルも追加されて人気を集めていたのだ。

At462さんの愛車は前期モデルで4A-GEを搭載するGグレード。15psほどパワーアップしたスーパーチャージャーを搭載する後期モデルは、このクルマが納車されたタイミングで発表されたため、お父さん的には少々心残りがあったという話だ。
しかしAt462さんにとってはスーパーチャージャーの有無よりも、幼い頃から家にあって当然のMR2が何よりの宝物。とりわけパフォーマンスに不満はなく、通勤から週末のドライブ、さらにはオーナーズミーティングへの遠征など気軽に使えて安心して乗れることが重要なのだとか。

「譲ってもらった時の走行距離は8万5000キロだったんですが、10年近く乗り続けた現在の走行距離は20万キロをちょっと超えたくらいです。エンジンは積み替えました。そのエンジンがブローしたのでオーバーホールを行ないました」
旧車を維持するには、万が一の修理時にパーツをどのように調達するかが最大の悩み。その解決策として部品取りも用意しているのだ。ちなみにストックしている部品取り車は母親の友人から譲ってもらった車体だという。長く家にあるMR2を息子が受け継いだことで、家族も維持に協力してくれるのはMR2がファミリーで愛されている証拠ともいえるだろう。

外観は極端に車高を落としたり、大径ホイールといったイマドキのカスタマイズは行なわず、基本的に譲ってもらった当時のままをキープするのがAt462さん流。
ホイールは当時モノのブリヂストン・ドラッグ902(フロント14インチ/リア15インチ)を装着し、サスペンションは純正形状のカヤバ製ニューSRに交換してリフレッシュを行ったという。
また、現在はHKS・リーガルマフラーを装着しているが、以前はフジツボ・レガリスを装着していたため、今後は当時のイメージを取り戻すために再びフジツボ・レガリスへ交換することも考えているのだとか。

インテリアに関しても当時のスタイルを大切にしていて、ステアリングはモモのニキラウダモデルを装着し、ホーンボタンとシフトノブはTRD製をチョイス。
「MR2でスポーツ走行などはしないんですが、やっぱり運転する時の雰囲気は大切かなって。そう考えるとスポーツカーらしいパーツチョイスで、しかもクルマの年代に合ったパーツを組み合わせたいんですよ。大きなカスタムは行わないぶん、こうしたパーツの時代考証はこだわりたいところですね」

組み合わせるパーツのこだわりはオーディオにも注がれ、1DINのスペースには当時物のナショナル製カセットデッキも搭載済み。しかも、見掛け倒しのウケ狙いパーツではなく、実際にドライビングソングはカセットテープで楽しんでいるのだという。
スマホ1台でナビから音楽まで楽しめる現在では、逆にカセットテープの出し入れもエモさを感じる動作なのだとか。

これだけ大切にされていても、時にトラブルは起こってしまうもの。過去に、叔父さんが乗っていた時に事故にあってしまったことがあり、さらにAt462さんが受け継いだ後にもフロント周りをぶつけてしまったことがあるという。
また、エンジンブローのほかにもミッションブローなど大きなトラブルも経験してきたが、その都度しっかりと直して復帰。昨年5月にもクラッチ交換とともに大規模メンテナンスも行なって万全の状態を保っているそうだ。

「自分がぶつけてしまった時はかなりショックでした。その戒めとしてその時に付いていて曲がってしまったエンブレムは今も手元に残しています。コレを見るたびに慎重に運転しようって思い起こすので、MR2同様にこれからも大切に保管しておきますよ」

At462さんのMR2へのこだわりは中学生の頃から集めたグッズにも注がれる。ちょうど同じカラーのスケールモデルやTRDのジャケットをはじめ、4A-GEを製造したのがヤマハということで現在はバイクもヤマハ・FZ750(2MG)の輸出仕様を購入。さらには型番が“AW”ということでデジタルカメラも購入してしまうほど、身の回りすべてMR2づくし!?

ここまで愛情を注いでいると、ほかのMR2オーナーの存在も気になってくるのは必然。そのため毎年行われるMR2の全国ミーティングはできる限り参加しているという。
ここで出会った新たな友人には深いマニアも存在しているだけに、同じ趣向の仲間とともにMR2の楽しみをさらに突き詰めているというわけだ。

「ちょっと前に右フロントを当て逃げされちゃったんですよ。それほど重症ではなかったんですが、板金修理が必要になっちゃって。でも純正のストライプは絶版なのでここだけストライプなしになりかけたんですが、全国ミーティングで知り合った友人からストック品を分けてもらったんです。もしこのストライプがなかったら、乗り続けるモチベーションも失われていたかもしれません。そういった意味でも友人は救世主なのかもしれませんね(笑)」

部品取り車を所有していても、中にはストライプのように移植できないパーツもある。そういったアイテムは同じクルマを所有する仲間内でなら見つけられることもある。やはり人との繋がりは旧車を維持するうえで重要な鍵となるわけだ。

MR2が運んできた縁は友人の輪だけでなく、At462さんの人生も大きく変える出会いももたらしている。
「今働いている会社は自動車関係なんですが、このMR2に乗っている時に声をかけてくれた人の縁で就職したんです。MR2を見て懐かしいって言ってもらえて、話が弾んじゃったんですよね。僕にとってMR2は色々な人と出会わせてくれて、さらに人生の転換点をくれた、なくてはならない存在なんだって再認識したんです」

「一生乗り続けていこうと考えているので、定期的なメンテナンスはもちろんですが、日々の気遣いも忘れません。高回転まで回したらしっかりとクーリングを行うとか基本的なことなんですが、忙しいと忘れがちになっちゃいますよね。でも細かいことも積み重ねによってコンディションの差につながると思うんですよ。だからこそ、精一杯の思いやりを持って乗るのがMR2への恩返しかなって思っています」

今回の撮影前日にもコーティングを追加施工してボディのツヤを完璧な状態に仕上げるなど、少しでもキレイな状態を保ち大切に乗り続けるための努力も怠らない。
10年乗り続けてもなお色褪せることなくAt462さんを魅了し続けるMR2は、これからもAt462さんにさまざまな出会いや体験をもたらしてくれることだろう。

取材協力:
『神栖1000人画廊』(茨城県神栖市南浜)
『日川浜海岸』(茨城県神栖市日川)
かみすフィルムコミッション

(⽂: 渡辺大輔 撮影:土屋勇人 編集: GAZOO編集部)

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