ピアッツァ・ネロの芸術的な造形に心を奪われ、出会った翌日に購入し31回目の春

  • GAZOO愛車取材会の会場である群馬県 つつじが岡公園で取材した1992年式のピアッツァ・ネロ 181XE/S(JT221F)

    いすゞ・ピアッツァ・ネロ



時代に合わせたデザインのリファインや各種性能強化によって、商品の魅力を高めるために行われるクルマのモデルチェンジ。特にフルモデルチェンジともなると、エクステリアデザインはもちろん、シャシーや搭載するエンジンに至るまですべてが刷新され、前モデルとは違った新たな魅力を確立することもある。

たとえば初代いすゞ・ピアッツァはイタリアのカーデザイナー『ジウジアーロ』によるデザインで、日本車なのにヨーロッパ車のようなスタイリングを持っていた。
そしてANSWERWINDさんが所有する1992年式のピアッツァ・ネロ 181XE/S(JT221F)は、2代目へのモデルチェンジによってそのスタイリングの方向性は大きく変化し、どちらかと言えば北米の車種に近い雰囲気が取り入れられた。

当時いすゞはアメリカのGM社と資本提携を行なっており、いすゞがGM社の『GEO=ジオ』ブランド向けに3代目ジェミニを改良して生産したジオ・ストームから、さらに派生して2代目いすゞ・インパルスが誕生。そのインパルスを日本仕様にアレンジして誕生したのが『2代目ピアッツァ』なのだ。そんな事情からも、そのデザインの根幹にアメリカ的エッセンスが加わっているのも納得だろう。
ちなみにANSWERWINDさんの愛車は、いすゞディーラーで販売されていたピアッツァではなく、GM社と提携していたヤナセで販売されたピアッツァ・ネロ。基本的には同様のモデルながら、輸入車ディーラーのヤナセが販売していたことで、よりアメリカナイズドされたキャラクターを印象付けている。

そんな異色の誕生秘話を持つピアッツァ・ネロと、ANSWERWINDさんの出会いは1993年のこと。留学先のウィーンから帰国した直後のこと。
「高校生の頃から絵画や彫刻が好きで、いろいろな作品を創っていたのですよ。企業のロゴや学校の校章なども手がけたことがあるんですが、結局芸術の道に進むのではなく大学は法学部に進学しました。ちょうどその頃にウィーンへ留学したのですが、現地では“友人がルノーに乗っていた”というくらいの記憶なので、とくにクルマに興味はなかったのですね。けれど、帰国してからは違いました。通りすがりの販売店に置かれたこのクルマを見た瞬間、そのデザインに惚れちゃって。直線的な中にも曲線をうまく取り込み、流れるような艶かしいラインが脳裏に焼き付いちゃったんですよ。『クルマは何でもいいや』って思っていたのですが、気が付いたら翌日には購入していました(笑)」

クルマには興味を持っていなかったものの、芸術家肌のANSWERWINDさんにとって、このピアッツァ・ネロのデザインは琴線に触れる特別な魅力を発していたというわけだ。

ANSWERWINDさんが特に気に入っているのが直線的なデザインに盛り込まれた曲線美。さらに半目状態のリトラクタブルとダブルライトの表情だという。特にリトラクタブルは1980〜1990年代に先進的なカーデザインとして多くもモデルに取り入れられた装備。現在のモデルでは採用できないと言われているだけに、デザインの特徴としても際立つポイントとなる。

ジウジアーロがデザインしたクルマの造形評価は高い。2代目ピアッツァのデザインも、特にリヤウインドウの中央部を凹ませて空気の流れ道を作る独特な形状を採用しているところなどは見どころ。通常なら平面にした方がコストも節約できるのだが、こういった細部まで手間とコストを惜しまず設計しているのは1990年代初頭のモデルならではとも言える。そして、そのデザインセンスと設計思想はANSWERWINDさんが最も評価している点でもあるのだ。

デザインに加えて購入の決め手となったのがボディカラーだそうだ。鮮やかなレッドメタリックは日光の下と日陰ではその色調が変化し、陰に入るとより赤が強調されるのだとか。このペイントは基本的には当時の純正カラーが残されているが、前後バンパーなどは補修のためリペイントされている。とは言っても、32年前の塗装とは思えないほどの艶が残っており、大切にしてきたことが窺える。

そんなピアッツァ・ネロに搭載されるエンジンは、1.8リッター直列DOHC4気筒の4XF1。初代ピアッツァには1.9リッターと2.0リッターの2タイプが用意されていただけに意外とも言えるが、ベースとなるインパルス(ジオ・ストーム)の原型が3代目ジェミニで、それ搭載されていた4XE1型が1.6リッターエンジンであったことが起源となる。
小型セダンのジェミニ用のエンジンではあまりに非力で、スペシャリティカーに位置付けられるピアッツァには力不足。そのためストロークを伸ばすことで排気量を1809㏄まで引き上げたという事情があるようだ。

そして、この4XF1エンジンは、この2代目ピアッツァにしか搭載されておらず、その影響もあって今では補修部品を見つけるのが難しい。辛うじてエアコンコンプレッサーなどはインパルスを販売していた北米から取り寄せることができたが、それ以外はなかなか目にすることもないのだとか。

デザインにひと目惚れして以来、31年の間所有し続けているピアッツァ・ネロ。購入時は新古車で500キロだったという走行距離も、現在13万キロに達している。はじめの18年間は通勤にも活用していたが、8万キロほど乗っていてもノートラブルで過ごしていた。その後、都内に移り住むことになってクルマが不要となった際にも、手放すことなく実家のガレージに保管していたという。

「思えば購入当初に整備工場で“このクルマは苦労するよ”と言われて以来、30年以上所有していますが、あまり苦労した記憶はないんですよね。裏では整備工場の方が苦労したのかもしれませんけどね。トラブルと言っても交差点でぶつけられたり、雹害にあったり、台風でビニールハウスが飛んで、バンパーがゴリゴリ削られたくらいですかね。機関系にはダメージがないトラブルなので、頭を悩ませることもなかったですよ。現在は川越にある専門店で面倒を見てもらっているため、安心感はかなり増しました」

ANSWERWINDさんの愛車はAT搭載車ながら、マニュアルモードを使って気持ちの良い走りも楽しんでいるという。また、特徴的なクラスターパネルに装備されるサテライトスイッチは、『オーガニックカプセルシェイプクラスタースイッチ』という長い名前が付けられているが、各種機能のON/OFFを、前方へと向けられている視線を移動することなく操作するためにレイアウトされたもの。こちらも1990年代に流行った装備のひとつだ。

先代に引き続き、イギリスのロータス社との技術提携によって、MOMO製のステアリングやBBS製のアルミホイールと言った豪華なアイテムを散りばめつつ、ロータスチューンのサスペンションで軽快な走りを実現させた『ハンドリング by ロータス』というスペシャルなグレード。
純正として採用されたレカロ製シートは、専用センターパッドとレザーのサイドサポートが組み合わされた贅沢なもの。スペシャリティを名乗るに相応しいパッケージングである。

ただし走行距離や経年劣化でヘタってしまったサスペンションはリニューアルされている。

「純正のままが理想だったのですが、乗り心地が悪化してきたこともありサスペンションは一新しています。純正品は探しても出てこなかったので、いろいろなところで評価が高いカヤバ製の『NEW SR』を装着してみました。純正のロータス仕様と比べると若干柔らかく感じるのですが、それでも抜けてしまったダンパーと比べれば格段に乗り心地が改善されたので満足度は高いですね」

現在は両親の介護・介助のため実家に戻っているというANSWERWINDさん。その際の用途ではピアッツァ・ネロは少々使い勝手が悪い。そのため両親のためには別のクルマも用意しているが、やはりメインはピアッツァ・ネロ。それ以外のクルマは考えられないのだとか。

唯一、ピアッツァ・ネロと同等に愛着を深めているのがサイドカーだそうで、車体はトライアンフ・ボンネビル、側車はワトソニアンという組み合わせで、映画ハリーポッターにも出てくるモデルを所有してツーリングやイベント参加も行なっているそうだ。

現在も彫刻や陶芸、絵画など創作活動も行なっているというANSWERWINDさん。この日に持参していただいた『眠り猫』の彫刻など、柔らかな表情を持つ作品を見ると、形の捉え方そして曲線の表現など目の付けどころは芸術家ならでは。その視点でいくと、ピアッツァ・ネロに隠れていた魅力は、氏にとっては浮き出て見えていたということもできる。

芸術面だけでなく、多彩な才能を持つANSWERWINDさんは、ウィーンへの留学だけでなく、その翌年の弁論大会で優勝したことでドイツ政府から招待を受け、1年間のドイツ留学も経験している。持ち前の芸術的センスと、幅広い見地で磨かれたその感性によって選ばれた『ピアッツァ・ネロ』は、はじめての愛車にして唯一無二の存在と明言する。

いすゞ自社開発・生産最後の乗用車となったピアッツァ・ネロ。ANSWERWINDさんにとって、その最終モデルチェンジは大成功であったのは紛うことのなき真実である。

(文: 渡辺大輔 / 撮影: 平野 陽)

許可を得て取材を行っています
取材場所:つつじが岡公園(群馬県館林市花山町3278)
[GAZOO編集部]