「永遠に走らせ続けたい」愛しいジェミニ イルムシャーR

  • GAZOO愛車取材会の会場である呉ポートピアパークで取材した1990年式のいすゞ・ジェミニ イルムシャーR

    1990年式のいすゞ・ジェミニ イルムシャーR

ひと目惚れで受けた鮮烈な衝撃というのは、いくつになっても忘れられないもの。広島県在住のセカンドロウさんの場合、その“お相手”は3代目いすゞ・ジェミニ イルムシャーR。初めての出会いは1990年、高校3年生の頃だった。

「通学路の途中にあった、いすゞディーラーのショールームにジェミニが飾られていたんです。当時はカローラレビン(AE92)やグランドシビック(EF9)、セリカ(ST18系)など、カッコいいクルマが他にもたくさんあったのに、なぜか特別カッコいいワケでもない(ほかのオーナーの皆さん、ゴメンナサイ!)ジェミニに惹かれたんです」

この出会いをきっかけに、就職したら絶対ジェミニを買おうと決意した。
しかし、初恋は成就しないというジンクスはクルマにも当てはまってしまうものなのか…セカンドロウさんの社会人デビューと同時に、いすゞが乗用車の生産から撤退してしまったのだ。ジェミニの名称は他社から供給を受けるOEM車(ホンダ・ドマーニ)へと受け継がれたものの、その姿はかつての憧れとはほど遠いものだった。
それでも諦めきれず1台でも在庫車が残っていればとディーラーに問い合わせるも、時すでに遅し。そんな失意の中、せめてジェミニの面影に触れることができればと、初めての愛車として4駆のビッグホーン・イルムシャーRSを購入。コレはコレで面白いクルマではあったが、同じチューナー名を冠しているとは言え、ジェミニとのギャップを埋めるには至らず、数年でシビック5ドアに乗り換えることになった。

ところが、それからしばらくした後、中古車雑誌でダークブルーのジェミニ・イルムシャーRを発見! 遂にこの時が、と購入を即断した。ようやく待望であったバラ色のカーライフが始まることになったのだが…。

「見た目はそこそこキレイでしたが、機関部分の状態はイマイチ。しかも長年、北国で使われていたクルマだったようで、フロアまわりは融雪剤の影響で腐食が進んでいました。できる範囲での補修も試みましたが、資金的な問題に加えて、当時は情報を共有できるジェミニ乗りの仲間や主治医もいなかったので、まさに字のごとく、泣く泣く手放してしまいました」

こうして、一度は叶えられたかのように思えたジェミニとの生活は3年足らずで突然ジ・エンド。その後はトヨタ・アリスト、マツダ・アテンザなどを乗り継ぎ、ジェミニの存在を忘れかけていた。
しかし、そんなある日、今度はSNSを通じて知り合ったジェミニ乗りの友人から『兵庫県で赤いイルムシャーRが売りに出ている』との情報が飛び込んで来た。

「まさに20年前に衝撃を受けた姿そのものでした。その方が勧める個体なら間違いないだろうと、すぐに販売店に電話して『絶対に買うから、商談中のボードを出しておいて』とお願いしました。そこからの数日間は誰かに買われるんじゃないかと、気が気じゃ無かったですね。お店を訪ねると、ジェミニはリフトに上げられていました。下まわりの状態の良さを見せたかったようです。それから私を助手席に乗せてデモ走行に出かけたのですが、エンジンをブン回しながら『どうです? 調子がいいでしょ!』って。こっちは今から買おうとしているのに“そんな乱暴に扱わないでくれ~!!”と言いたい気持ちでした(笑)」

ちなみにその個体は販売店の社長が愛車として大切に乗り続けられていたもので、各部は基本的にオリジナルの状態が保たれ、純正オプションのフォグランプ付きグリルも装備。ステアリングはピアッツァ・イルムシャー用が装着され、ボディカラーは純正同色で全塗装が行なわれていた。また、試乗時に壊れていた“空調モードの切り替えモーター”は修理を頼んでいないにも関わらず、先方からのご好意で手作りのワイヤー調整式に変更修理して頂いていた。

「私の元へと納車する日が近づくにつれ、実は売却したくないという気持ちになられていたようなんです。キーを受け取る際にも『万一、いつか手放す時がきたら真っ先にウチに声を掛けてくださいネ』と念押しを頂きました」

ようやく20年越しの恋を成就させたセカンドロウさん。1990年式の愛車(JT191S)は2024年現在で所有期間5年となった。数々の苦労を乗り越えてきた嬉しさもあり、購入した当初は毎日の通勤や地元近郊のドライブなど積極的にマイレージを伸ばしていたという。
しかし、オーナーズクラブの先輩諸氏から『貴重な絶滅危惧種だから、そんなにガンガン乗ってはいけないヨ』と諭されたそうだ。今では若干ペースを抑え、普段乗りはセカンドカーのダイハツ・アトレーを使用するように心掛けているとか。

とは言っても、長年の憧れだったクルマが手元にあれば乗りたくなってしまうもの。最低週2回はガレージから引っ張り出して、毎年愛知県で行なわれているいすゞ車のクラブイベントには往復1000km以上の道のりを自走で参加している。
乗降時の摩擦でサイドサポート部の生地が破れている純正レカロシートも、セカンドロウさん的にはジェミニと過ごした日々を物語る証として、あえて布テープでの簡易的な補修に留めている。

「先輩諸氏のご意見はごもっともですが、私としては大事に保管しておくことよりも、やっぱり日常的に乗っていたいですね~。そう思うのは、長距離を走らせると音や振動など、各部の異変に早めに気づくことができるので、トラブル防止という点でも有意義だと思うんです。幸い、いすゞは今でも純正部品が割と手に入りやすいし、20年前と違ってジェミニ仲間が増えたので、入手困難なパーツで例えばインジェクターならば『同じ4XE1-Tエンジンを搭載する2代目ロータス・エランと共通』といったような、他車種用を流用する数々の知恵も貰っています」

各部のメンテナンスについては、友人が営む地元の整備工場に依頼。劣化が激しいゴムホース類は丈夫なシリコンホースへと交換が進められ、走行距離に関係なくオイル交換は半年に1度のペースで行なうなど、常に予防整備を心掛けている。

「私は別に旧車が好きなワケじゃないんです。たまたま好きになったクルマが1990年に作られたJT191S型のジェミニだったというだけ。こんなこと言うと他のファンから怒られるかも しれませんが、仮に日産やトヨタがこのクルマを作っていたとしても、おなじように好きになっていたと思います」

このように、言葉の端々からジェミニへの一貫した想いが伝わって来るセカンドロウさん。将来の課題として日頃から取り組んでいるのが、このクルマを文化遺産として継承して行くための環境作りだそうだ。

「私は間違いなく免許を返納する日まで乗り続けますが、問題はそこから先。私がいなくなった後も誰かの手を借りながらあと900年、西暦3000年頃までは走り続けてほしいと思っています。スペアパーツをこまめに集めているのも、そのための準備。化石燃料が枯渇した時にはモーターに載せ替えてもらっても構いません。冗談のように聞こえるかも知れませんが、私は本気です。『そんなにジェミニが好きなら、お前の墓石代わりにしてやるよ』、と言ってくれる友達もいますが、墓石に使うと3000年まで走らせることができなくなるので断りましたヨ(笑)」

まるで『2001年宇宙の旅』、そして『3001年終局への旅』を著した、アーサー・C・クラークの小説のような独創的な世界観だが、夢は大きい方が気持ちにも張り合いが出るというモノ。何より、この壮大な計画を実現するためには、1日1日を無事故で。そして自身も健康に過ごして行くことが不可欠である。頑張れ、セカンドロウさん!

(文: 高橋陽介 / 撮影: 西野キヨシ)

許可を得て取材を行っています
取材場所:呉ポートピアパーク(広島県呉市天応大浜3丁目2-3)

[GAZOO編集部]