いすゞ・アスカとドップリ40年「人もクルマも動くうちはボチボチと」

  • GAZOO愛車取材会の会場である平城京朱雀門ひろばで取材したいすゞ・アスカ

    いすゞ アスカ

現在はトラックメーカーとしての印象が強い、いすゞ自動車。かつては乗用車の生産にも携わり、今も海外市場では乗用のピックアップトラックなどを展開している。だが、日本国内向けに話を絞れば、乗用車の自社生産と開発からは2000年代初頭に撤退済みだ。

そんないすゞが、かつて生産していた乗用車、特に117クーペやベレットなどは今も高く評価されている。昭和世代にとっては、もはやヴィンテージカーとして垂涎の的だ。また、『街の遊撃手』のキャッチコピーと斬新なテレビCMで知られる2代目ジェミニは根強い人気を誇り、乗用車を作っていた頃のいすゞを語る上で欠かせない存在である。

そして、その2代目ジェミニとほぼ同世代、1983年から1990年にかけて生産された、知る人ぞ知る4ドアセダンが初代『ASKA(アスカ)』だ。発売当初の正式車名は『フローリアン・アスカ』で、当時いすゞが業務提携していたGMのグローバルカー構想に基づいて開発された。そのため、海外市場にはシボレー・キャバリエや、オペル・アスコナといった姉妹車が存在していた。

アスカは合計4世代に渡って販売されたが、いすゞが自社で開発・生産を行ったのは初代モデルのみ。2代目はスバルのレガシィ、3代目と4代目はホンダ・アコードのOEMとなっている。
初代アスカは駆動方式に2代目ジェミニと同じFFを採用。エンジンは1.8リッター直4ガソリン、2.0リッター直4ガソリン、2.0リッター直4ディーゼルを搭載している。各2.0リッター車にはターボ仕様も設定され、ガソリンターボ車は最高出力150ps、最大トルク23.0kg-mを発揮した。アスカ自体がいたってコンサバな大衆セダンだったにも関わらず、そのイメージを覆す強烈な加速力は当時話題となったそうだ。

その生き証人とも呼べるのが、30歳の時に新車でアスカを購入し、それから40年に渡って所有し続けている『boxman_77』さん。もともとアスカを買うつもりはなかったのだそうだが、いすゞのディーラーでガソリンターボ車を試乗したところ、考えが180度変わったと話す。

「私も若い頃は、スカイライン(ジャパンの愛称で知られる5代目モデル)のバンをフルチューンして遊んどったんよ。金もかなり注ぎ込んだし、あれはあれで今もあったらなぁ、と思ったりね(笑)。いすゞのディーラーには『冷やかしで乗ったろ』くらいの気持ちで行ったんやけど、ターボの過給が本当に良くて。それで、これは買いかもって考えが変わったんよ」

地元の教育委員会でお仕事もするようになり、さすがにフルチューンのスカイラインバンでは周囲の声が気になるようになっていたboxman_77さん。それで『見た目は普通に見えるけど速いクルマを買おう』と考えたのが、アスカと出会うきっかけになった。

「ランサーのターボとも比べたんやけど、三菱のディーラーは一切値引きせんと言うから、じゃあアスカにしよかと決めたんよ。けど、いすゞはいすゞで、2000ターボLJを買うた1年後にイルムシャー出しよって。そん時は、やられた~思たわ(笑)」

『イルムシャー』とは、2.0リッターターボ車をベースに、その名の通りドイツのチューナーであるイルムシャーがサスペンションなどの専用チューニングを施した特別モデル。エアロパーツやRECAROシートも備わり、好評を博したため、その後ジェミニにも同じくイルムシャーが設定される流れを生み出した。

boxman_77さんは後年、アスカ・イルムシャーの部品取り車を購入し、そこからRECAROシート2脚を移植。さらに、当時いすゞ車の競技用パーツの開発やチューニングを行っていたオリエントスポーツのコンプリートモデル『TC2000』のエアロパーツも装備した。TC2000の外装とイルムシャーの内装を組み合わせたオリジナル仕様が、boxman_77さんの誇りである。

「子供が男2人、女2人の4人おってね。いっぺんに出かける時は別のクルマを使うこともあったけど、アスカでもようあちこち出かけたよ。淡路島まで行ったり、伊勢湾フェリーに乗って伊良湖まで行ったりね。いわゆるドッカンターボやから、結構危なっかしい時もあるけど、やっぱり速いから長距離乗ってても楽しい。家内の実家が横浜やったから東名高速を走って、よく行ってたな(笑)」

「アスカなんて当時は教習車とかタクシーによく使われてた、まあ言うたら使い捨てのクルマやからね。昔はなんぼでも走ってたはずやのに、今では希少車やから、なんとなくそれだけでワーっと言ってもらえるんよ(笑)」

お子さんもすっかり成長し、今では孫が5人いるboxman_77さん。さすがにアスカに乗る頻度は減ったが、今もイベントにはちょくちょく参加するそうだ。とあるイベントでは、参加者から最も多くの『ええなぁ!』をもらい、表彰までされたというから、アスカをきっかけに若いクルマ好きとの交流も楽しんでいるようだ。

新車から40年が経っている割に外装が綺麗なのも、「2〜3年前までハゲハゲやったけど、鈑金屋のバイトの兄ちゃんが練習がてら安く塗ってくれたんよ」とのこと。好みで各部のエンブレムは目立たなくしているが、本来は『ASKA』のステッカーが貼られる右リヤには、姉妹車であるアスコナを展開していたオペルのエンブレムを付けるのもおもろいかな? と画策中だ。

ボンネットに設けたエアダクトは、boxman_77さんが自作で取り付けたもの。ドリルを使ってボンネットに穴を開け、ボルトで留めるなかなかの力技だが、おかげでTC2000にもイルムシャーにもない、独自のスポーティムードが生み出された。

内装は年式相応の雰囲気ではあるが、インパネには大きな傷みなどは見当たらない。オドメーターには14万kmを超える走行距離が刻まれていた。また、天井に設置された空気清浄機や、当時のスキーブームを偲ばせるトランクのセンタースルー機構など、時代背景を感じるアイテムも健在。助手席の足元には、何かあった時に備えて工具箱も用意している。

「トラブルは、もうしょっちゅうあるよ。JAFにはようお世話になったし、4〜5年前には一回オーバーヒートもしたなあ。でも、幸い知人や整備工場の人らが心強い人ばかりでね。部品が手に入らんで難儀するけど、ブレーキのマスターシリンダーとかは、まだ一応新品が出たりもするんよ。関西にはアスカ乗りの知り合いはおらんけど、関東にはFacebookで2〜3人繋がってる人がおるかな。中には、いすゞの社員の人もおったりするんやけど、いろんな人との繋がりや支えを感じると、ほなもうちょい頑張って乗ろかと思うよね(笑)」

地元の近鉄五位堂駅の駅前で、レトロなホビーや雑貨を集めたギャラリー兼カフェを営んでいるboxman_77さん。仕事柄、アスカの当時物のグッズもコレクションしており、撮影会には貴重な下敷きとトレイを持参してくれた。
おそらく当時の販促品と思われるが、下敷きにはアスカ・ディーゼルターボがFIA公認のインターナショナル・スピード・チャレンジに参加し、1時間のスプリントトライアルで214.18km/hの最高速を叩き出したことが、高らかにアピールされている。

大きなスポットライトが当たる存在ではないが、それでなければ得られない確かな温もりを大事にするboxman_77さん。

「人もクルマも、まあ動くうちは…と思てます(笑)」と、孫の成長を楽しみながら、アスカとのカーライフもぼちぼちマイペースで楽しんでいる。

(文: 小林英雄 / 撮影: 平野 陽)

※許可を得て取材を行っています
取材場所:平城京朱雀門ひろば(奈良県奈良市二条大路南4-6-1)

[GAZOO編集部]