自分が本当に乗りたいクルマはスカイラインGT-R 35年前のあの直感は正しかった

  • GAZOO愛車取材会の会場である国営木曽三川公園 アクアワールド水郷パークセンターで取材した日産・スカイラインGT-R(BNR32型)

    日産・スカイラインGT-R(BNR32型)


日産スカイラインGT-R(BNR32型)を愛車として迎え入れてから、35年の歳月が経ったと話してくれたオーナーの『しょう』さん。
自分のすべてを誰よりも知っているというR32は、親よりも奥様よりも自分を“いろいろ”理解してくれているのだと、意味あり気に笑った。そんな愛車を手放そうと思ったことは一度もないそうで、当然、車検を切らせたこともないという。

「子育て中は、年間で1000kmも走っていなかったですね。というのも、家族4人で乗るにはちょっと狭すぎるし、目的地に辿り着けないかもしれないというヒヤヒヤ感もありましたから。みんな進んで乗りたがらなかったんです(笑)。まぁ、それは今でも変わらないんですけど」

よく、“特別な日に乗る”だとか“心を落ち着かせるためにハンドルを握る”といった話を聞くが、そのどれもがしょうさんには当てはまらないということだ。

実際、家族でドライブ中に突然動かなくなってしまったことがあったそうで、車内に重い空気が流れるのを肌で感じながら、命からがら家に辿り着いたこともあったと、思い出の1ページをなぞるように教えてくれた。ちなみに、原因はコンピューター基盤の一部が経年劣化したためで、修理後はすぐに調子良く走るようになったのだとか。

「大きなトラブルは35年間でこの一度だけで、原因不明のどうしようもない故障は今のところありません。手の掛からない、本当に良い個体なんですよ。外のガレージで保管しているのに、よく頑張ってくれています」と、愛おしそうにR32を見つめ目尻を下げた。

ここ最近は、晴れの日限定で年間3000kmほど乗っているそうで、お子様が手を離れた今、どんどんR32との時間が増えていると語ってくれた。それを聞いた奥様はひと息ついて、『ここまできたら諦めています』とスパッと言い放った。

「でも…、コロコロとクルマを変えず、1台を大切にして乗り続けているということに、尊敬もしているんです。それに、天気の良い日は遠出のドライブに連れて行ってくれるから、楽しい思い出を作れるので良しとしています。ドライブ先は、主人が工事に携わったトンネルで、クルマじゃないと行けないので活躍してもらっているんですよ」

加えて、R32の方が先にしょうさんと出会っているので、愛情をたっぷりそそぐのは致し方ないことなのだと、理解のある大人な女性を冗談っぽく演じながら話してくださった。

お話を伺っていると、確かに奥様の仰る通り“溺愛”という言葉がしっくりくる。そんな、箱入り娘として大切にされているR32に出会ったのは、しょうさんが21歳の頃で、どうしてもこのクルマに乗りたくて、ディーラーにて新車購入したそうだ。

「当時はスポーティカーに乗る走り屋がたくさんいて、近所でもあちこちで見かけたんです。ソアラ、スープラ、ハコスカなど、その辺りをよく見かけましたかね。そして、僕もそういうのに憧れていました。でも、初めて手に入れたのはオートマのR31スカイラインだったんです」

走りを追求したクルマに乗りたいと思いつつも、ヤンチャなセダン乗りが仲間に多く、影響を受けて4速ATのR31を購入することにしたそうだ。しかし、それから3年弱。走りを楽しめそうなマニュアル車に乗りたいと強く思うようになったと話してくれた。

「R31は、とても良いクルマでした。ですが、免許取り立てということもあって“自分が本当に乗りたいクルマ”がよく分かっていなかったんでしょうね(笑)。乗れば乗るほど、もっと走りを追求したクルマに乗ってみたいと感じるようになったんです。そこからスカイラインGT-R(BNR32型)を選んだキッカケは、自動車雑誌を見ていると“メーカーが本気で作ったクルマ”という見出しが目に留まったからです」

1989年5月に標準車が登場した3ヵ月後に、16年ぶりの復活を遂げて話題となったR32型スカイラインGT-R。
専用設計された2.6リッター直列6気筒DOHCツインターボエンジンの『RB26DETT』は、当時国産車最強の280psを発生し、駆動方式は路面状況に応じて電子制御によって駆動力を前後に配分する電子制御トルクスプリット4WDシステム『アテーサE-TS』を採用する。

他にも、新開発された4輪マルチリンク方式のサスペンションを装着するなど、まさにしょうさんが欲しいと思っていた、走りを追求した魅力的な機能がふんだんに搭載されているモデルであった。だからこそ、このクルマしかないと確信したのだそうだ。
早く契約したいとディーラーに向かう速度も自然と早まったという。そして実際に実車と対面した際、標準車とは少し違うワイドボディのブリスターフェンダーに胸が高鳴ったとニヤリとしていた。ただ、ひとつだけ大誤算があったそうだ…。

「このクルマの実力を試さなければと、友達とサーキットに足を運んだりもしたのですが…自分は運転が上手ではないと気付いたんです(笑)。コンマ1秒のタイムを競うのではなく、シフトアップやダウンの際に回転数がピッタリ合い、ショックを感じずにスムーズに走れた時に気持ち良さを感じるタイプでした」

けれど、だからこそ、ココまで形を変えずノーマルのまま生き残れたのであろう。
もし、速く走れてしまっていたら、愛読書がチューニングカー雑誌の『オプション』というしょうさんのこと、それこそゼロヨン仕様のようなハードなカスタマイズが施されていたかもしれないからだ。

実際、速く走れる仕様にしたいという気持ちもあったそうだが、イジったところでパワーの持ち腐れになるのだからと、早々にシンプルに乗るスタンスを固めたということだ。
しかし、雑誌を読むとさまざまな情報が掲載されていたため、マフラーやエアクリーナー、サスペンションにコンピューターなど、ライトチューンの範囲内で楽しむことはやめられなかった、と悪戯が見つかった時の子供のような表情をした。

「私は、とにかく車高が低くて、窓はフルスモーク、マフラーが爆音というヤンチャなセダンが流行っていた時代の人間ですからね(笑)。その時代を引きずっているから、若干それっぽいところを隠しきれていないんです」

なにより、自分でイジってクルマが変わっていくのが面白かったのだそうだ。クルマに関する仕事に就いているというわけではないが、昔から機械いじりが好きだったそうで『このネジを外せばこうなるな』と想像したり、機構自体の仕組みを理解していくと知的好奇心が満たされていったのだという。ブレーキをオーバーホールした際は、本当に元に戻せるのだろうか? という嫌なドキドキ感はあったそうだが、成功した時はそれ以上の感動があったと笑っていた。

「いつだったかな…このクルマが50万円くらいの底値で買える時代があったんですよ。友達に、いつまで乗るんだ? なんてバカにされたこともあったけど(笑)、どうしても手放す気になれなかったんです。乗っていると楽しいし、ずっと付き合っていると、もはや体に馴染んで、これ以上のクルマは見つからないと思ったからなんです」

購入して3年くらい経ったある日、何故だったか詳しく理由を思い出せないほど自然に『R32に死ぬまで乗っていたい』と感じる瞬間があったのだそうだ。

そう決めてからは、すぐに2台持ちとなって、R32を通勤で使うのをやめ、今日乗りたいなと思った時にだけハンドルを握ってきたという。その結果、35年での走行距離は9万600km。故障しそうな箇所を注意深く観察し、メンテナンスとリフレッシュを繰り返しながら、元気に走ってくれているということだ。

「私にとってこのR32は、例えるなら若い時にできた子供のような存在なんですよ。長男か長女かは分からないけど(笑)、自分がいないと走れなくなるわけで、ずっとお世話をしていかなくちゃという気持ちにさせられると言いますか。ですから、これからもずっと愛情を注いでいきたいと思います」

思い返せば購入してから35年、ずっとR32のことを考えているという。どうすれば元気でいてくれるのか? それを考えるのが楽しくもあるそうだ。

無償の愛とは、しょうさんとこのスカイラインGT-Rのための言葉かもしれない。

(文:矢田部明子 / 撮影: 平野 陽)

※許可を得て取材を行っています。通常は園内へ車両を乗り入れることはできません。
取材場所:国営木曽三川公園 アクアワールド水郷パークセンター(岐阜県海津市海津町福江566)

[GAZOO編集部]

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