ジャガー乗りが惹かれたレパードJ.フェリーの魅力とは

  • GAZOO愛車取材会の会場である国営木曽三川公園 アクアワールド水郷パークセンターで取材した日産・レパードJ.フェリー タイプL(JPY32型)

    日産・レパードJ.フェリー タイプL(JPY32型)


1992年にデビューを果たした日産レパードJ.フェリー(JPY32型)。
2代目レパードが生産終了となって後継モデルが必要になったことから、北米向けモデルとして発売されていたインフィニティJ30を日本国内に投入して名前を変え、3代目のレパードとしてラインナップされたモデルだ。

初代モデルは加山雄三氏のCMで鮮烈なデビューを果たし、2代目のF31はテレビドラマの劇中車として人気を博したことで大人気車種となったレパード。
2代目まではソアラの競合車というポジションだったレパードだが、J.フェリーは4ドアセダンとなったことでクラウンやセルシオがライバルとなり、ゴージャスな雰囲気を身に纏うモデルとなっているのが特徴だ。

例えば本革シート。2種類が設定されていて、シュミットフェルトバッハ製本革シートは約50万円、さらに高級仕様となるポルトローナ・フラウ製本革シートはなんと約80万円と、J.フェリーの車両価格が358万〜469万円だったことを考えると、かなりゴージャスな本革シートを選ぶことができるという商品設定がなされていた。

そんなJ.フェリーがデビューした1992年に登録された初期型車両を、ほぼオリジナルに保ちつつ、とてもきれいに乗り続けているのが、現在のオーナーである『りょう』さんだ。

ちなみにJ.フェリーがデビューした当初のグレード構成は、V8エンジンを搭載するタイプX、V6エンジンを搭載するタイプLとタイプFの3種類。りょうさんの愛車は「V6の3Lエンジンを積むグレードではお高い方のタイプLで、さらにその中でも革シートが『高い方』と『そこそこ高い方』の2種類のうち『そこそこ高い方』が付いているみたいです」とのことだ。

J.フェリーは、1992年から1996年までの4年間生産されていたものの、総生産台数は販売目標に遠く及ばず低迷が続き、あまり人気のなかったモデルである
そんなJ.フェリーを愛車に選ぶということは、何か強い思い入れなどがあるのかと伺ってみると「そういうのはまったくないです(笑)。というか、そもそも知らなかったんですよ、J.フェリーの存在を」という予想外のお答えがかえってきた。

りょうさんが、J.フェリーを認識したのは先輩宅だったという。
「先輩が所有していたJ.フェリーを初めて見せてもらった時に、他と被らない尻下がりのスタイルとか、内装の意匠がちょっとジャガーっぽいっていうのが高評価でしたね。こういうクルマもありかなって」

初見で『ジャガーっぽい』と、りょうさんが感じたのは、その当時、自分がジャガーに乗っていたからというのもあったという。
愛車としてジャガーを選んだ理由を伺うと「完全に見た目です。当時、大物芸人さんがジャガーに乗っている映像がテレビで流れて『めっちゃカッコイイ』って一目惚れしたんです。ジャガーもJ.フェリーも、革シートとかウッドパネルとかにすごくいいものを設えているのに、それを強調してないんですよね。押し出しが無いっていうか、悪く言えば、すごく地味なんです。そのあたりにジャガーっぽさを感じましたね」と、ジャガーとJ.フェリーに感じた共通点についても語ってくれた。

ちなみに、初めて先輩にJ.フェリーを見せてもらったこの時点では「自分でも乗りたい」と思ったワケではなく、自分の好みにハマりそうな1台という程度の認識であったようだ。
しかし、それから数年が過ぎた今から7年前のこと。りょうさんは、このJ.フェリーのオーナーになった。

「先輩は車検が切れたまま数年、自宅の倉庫でJ.フェリーを眠らせたままにしていたんです」 その理由は、先輩の情熱がJ.フェリーからバイクの方に移ってしまったというものだったようだ。
「それで、J.フェリーを手放されるとなったんですが『売りたいけどお金にならないんだ』って先輩がおっしゃるので『それなら僕でよければ乗らせてもらいます』と、譲ってもらうことになったんです」

そんな経緯で、数年前まではその存在すら知らなかったJ.フェリーを愛車として所有することとなったりょうさん。
『数年、倉庫で眠っていた』と聞くと、手も掛けられず放置期間中に、クルマが傷んでしまっていたのでは? と勘繰ったのだが…。
「先輩は、クルマへの愛情があり、さらに言えば整備士免許も持っていらっしゃる。当然、メカに詳しい方だったので、車検が切れてからもクルマを傷めないように、エンジンを掛けるだけでなく、自宅の敷地内で動かしたり定期的にオイル交換したりと、しっかりコンディションが保たれた状態でした。ですから、譲り受けて車検を通すのも、ファンベルトを替えたぐらい。問題なく、普通に乗れるようになりました」

譲り受けたJ.フェリーは、元々はカスタムを施すことを前提に先輩が手に入れた車両だったそうだが「あまりにも程度が良いので、先輩もリヤスポイラーを装着したり、ホイールを18インチのBBSに変更するといったライトなカスタムしか施さなかったようなんです」

りょうさんも、先輩の意思を継ぎ、フルオリジナルに近い状態を維持しているという。
「僕が変更したのはホイールだけです。セドリック純正の17インチを履かせています。それ以外は先輩から受け継いだまま。今時ならナビとかあると便利ですが、あえて付けていません」

そんな極上のJ.フェリーだが、これまでの7年間でトラブルがゼロだったわけではない。
「もう30年以上前のクルマですから、キーレスが壊れたりドアミラーが動かなくなったり、細かいのはたくさんありますよ」とはいえ、ジャガーに乗っていたりょうさんに言わせれば『かわいいモノ』ばかりなのだとか。

ただし、ひとつだけ修理に悩まされたものもあったという。
「突然、エンストするようになったんです。エンスト自体も困るんですけど、ある時、長い坂道を走っている時にエンストして、エンジンの負圧が発生しないので、ブレーキのサーボが働かなくて、ぜんぜんブレーキが効かずとても怖い思いをしました」

そのエンストの原因究明と修理をしてくれるところを探すのも大変だったそうで「古いクルマなんで、ディーラーには断られてしまい、たまたま見つけた修理工場で、やっと原因を特定してくれたんです」

原因は、パワートランジスタのトラブルだったそうだ。
「パワートランジスタを交換するのに、インマニなどの補機部品をたくさん外さなくてはならず、車検1回分ぐらいの修理代が掛かりましたね」

そんなJ.フェリーは、りょうさんにとって休みの日にだけ乗る完全なる趣味グルマだそう。
「クルマのイベントに行ったり、用事が無くても近場を軽く流したりしてます。奥様からは『いい加減にしろ』と言われていますが、カスタム系の人みたいにお金が掛るわけじゃないので、大目にみてくれてます(笑)」

イベント会場や出先では、知らない人からよく声を掛けられるという。
「『懐かしい』って声を掛けてくれるおじさんがよくいますね。あと『U13ブルーバードですか?』なんて声を掛けてくれる方もいますね」
ちなみにU13型のブルーバードは、1990年代前半にラインナップされたモデルで、J.フェリー同様に尻下がりのスタイリングが特徴であった。

「乗り始めたころは、イベントに行ってJ.フェリーを見かけることがほとんどなかったんですが、最近は何台か見かけるようになってきたんです。しかも、その中にはコンテストなどで賞を取ったりするJ.フェリーもいて、注目度が上がってきている気がしますね」

手に入れた当時はただ珍しいだけのクルマだったが、ここ数年で、界隈ではマニアックな希少車へと格上げされた感のあるJ.フェリー。不人気時代から乗り続けるりょうさんとしては、今後、益々J.フェリーを所有する喜びが増していくのではなかろうか?

(文: 坪内英樹 / 撮影: 清水良太郎)

※許可を得て取材を行っています
取材場所:国営木曽三川公園 アクアワールド水郷パークセンター(岐阜県海津市海津町福江566)

[GAZOO編集部]

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