もはや家族とも言える2台のロードスターを息子と共に楽しむ愛車ライフ

  • GAZOO愛車取材会の会場である三角西港で取材したマツダ・ロードスター

    マツダ・ロードスター



1991年式のユーノス・ロードスター Vスペシャル(NA6CE型)を愛車として迎え入れ、30年が経ったという『フリーストーン』さん。学生時代に、赤いロードスターがオープンで駆け抜けていくCMを見てから、このクルマは自分にとってずっと憧れの存在だったと話してくれた。

働き盛りの独身時代、結婚、お子様の誕生、そして現在に至るまで傍で支えてくれた“家族”だと感じているそうだ。そんなロードスターとの出会いは1993年。パジェロに乗り換えるという友人が『よかったら乗らないか?』と声を掛けてくれたことが始まりだという。

「願ってもないチャンスでした。実は、それ以前から欲しいという気持ちはあったんですけど、就職して1年で懐事情的に諦めるしかない状態だったんです。ですから、二つ返事で『ぜひお願いします!』という感じでしたね」

友人宅に引き取りに行った日は、仕事の関係で夜になってしまったそうだ。本当は翌日でも良かったはずなのに、早く迎えに行きたいという気持ちがそうさせてしまったのだという。

足早に駆け寄ると、まるで微笑んでいるかのようなフロントデザインのロードスターが待っており、仕事の疲れが一気に吹き飛んだ、と思い出して愛おしそうに見つめていた。そんなフリーストーンさんは、もともとロードスターの親しみやすいデザインが好きで愛車にすることを決めたのだが、実際に乗ってみるとデザイン以上に心を鷲掴みにしたのが、その乗り味だったと語ってくれた。

「ハンドルを切った時に、自分中心に回転するんですよ。とにかく自分が意図するようにクルマが動いてくれるのがすごく面白かったんですよね」

当時はメカニズムに関しては今ほど詳しくなかったため、その理由のひとつに“前後の重量配分が50:50になっているから”という明確な答えを知らぬまま「なぜ運転していてこんなに楽しいのか? もっと走りたいと思わせてくれるのか? ならもっと走ってみよう!」といった具合に、どんどん走行距離を伸ばしていったという。
そんな気持ち良さの原因を追及するべく、助手席に当時は彼女だった今の奥様を乗せて、福岡県にある海の中道や志賀島あたりの海辺をドライブしたり、春は秋月の桜並木を見に出掛けたりしたとのこと。もちろん、その際は幌を開けてオープンにして。

「オープンだと、潮風の匂いを感じることができるし、桜の花びらが車内に入ってくることもあるんです。初夏は草原の香りがする暖かい風、秋から冬にかけてはキリリとした冷たい風が頬に当たって、季節を感じられるのがこのクルマの魅力です。そして、そういうクルマってなかなかないから、私はロードスターがどんどん好きになっていったんですね。このクルマでドライブに行くと、どこに行っても楽しいんです」

ところが5年ほど経ったある日、フリーストーンさんに会社から転勤が告げられる。当時、家族のクルマとして軽自動車とロードスターの2台体制をとっていたそうだが、転勤先は環境的にそうとはいかず、2シーターのロードスターを手放すことを余儀なくされてしまったのだ。
ただ、今まで一緒に時を過ごしてきた大切な相棒が知らない人の手に渡るのが寂しかったというフリーストーンさんは、会社のクルマ好きな先輩が引き継いでくれないかと考え、一計を案じたという。

「クルマ好きなら一度乗ったら欲しくなるとはずだと踏んだんです。その結果…先輩は社内の道路を一周しただけで、見事ロードスター乗りになりましたよ」

フフフ…とニヒルに笑う姿は、なかなかの策士だと見受けられる。そうして2年半の月日が経ち転勤先から戻ってきた頃、今度は先輩の海外赴任が決まったそうだ。運命とはこのことか? すべてのタイミングが上手く重なり、先輩がフリーストーンさんの元にロードスターを返してくれたのだという。

相棒が戻ってきて、何より喜んだのは奥様だ。なぜなら、ロードスターを手放したその日から夫が大後悔している様子を見て、無理をしてでも転勤先に持ってきた方が良かったのでは? と感じるほどだったそうだ。

「いやぁ、自分でもそこまで沈むとは思っていませんでしたよ。でも、人生のターニングポイントを一緒に歩んできたという感覚があったから、大事な相棒と離れ離れになってしまったという気持ちになってしまったんですね。だから、再び迎え入れることになった時は嬉しかったです。心に空いた穴が埋まっていくような、そんな感じでした」

そうして3年ぶりに我が家に戻ってきたロードスターは、いささかキャラクターチェンジをしていたとのこと。というのも、サーキットを走るのが趣味だった先輩は、足まわりを固め、マフラーは大きな音のするものに変更、フロントマスクはオースチンヒーレーのようなデザインに…久しぶりに会った親友がまるで別人に変わってしまっていたように感じたとのことだ。

「それはそれで良かったんですけどね。お前…こういう一面もあったのか! と、しばらくはこのまま乗っていました。けれど、ひとつ問題がありましてね。住んでいるところが田舎なので、皆さんがこのクルマを珍しがって覚えてくださったんです。それで『今日は○○にいたね』『〇〇で見たよ!』みたいな感じになってしまって…結局はノーマルに戻すことにしました(笑)」

「さて、どこから戻していこうか」と考えていた時、地元熊本に同じロードスター乗りのコミュニティがあることを知り、どんなものだろうと集まりに足を運んでみると、そのメンバーの方々がメンテナンスのやり方について教えてくれたり、解体業者で廃車のロードスターをバラして部品を分け合ったり、ロードスターがどんな機構をしているのかなど、今まで知らなかったロードスターの楽しみ方を教えてくれたそうだ。
そのコミュニティでできた友人たちとのつながりも、今ではロードスターそのものと同じくらい大切な宝になっているとのこと。

「自分でいじる気なんてまったく無かったんですけど、自分で手を掛けて走りが良くなっていくのを実感すると、より愛着が湧いてくるというんですかね〜。そんな体験にも見事にハマってしまいました。以前は簡単な整備をチョコッとやるくらいだったのに、もっと重作業をやりたいと思うようになったんですよね。でも、今乗っているロードスターでそれをやろうとすると、通勤車として使っているから日曜夜には仕上げなくちゃいけないわけじゃないですか。それは初心者には難しいだろうと、もう1台購入することにしたんです」

そういった理由で2台目を購入して、3年間かけてメンテナンスしたクルマが、現在息子さんが乗っている1993年式のロードスター Sスペシャル(NA8C)だという。

クラッチまわりのリフレッシュ時にミッションとエンジンを繋ぎ止めているアクセスの悪いボルトに泣きたくなるほど手こずったこと、3月の冷たい雨に凍えながらウォーターポンプやタイミングベルトを交換したこと、缶スプレーで全塗装して人差し指が腱鞘炎になったことなどなど『苦労した』という言葉とは裏腹に、手を入れた箇所を指差しながら終始笑顔で教えてくれた。
そして、それほど手塩にかけて修理したクルマに、いま、息子さんが乗っているのだ。

取材日間近の夜に『一緒に取材会場に来て欲しい』と電話してみたところ、OKしてくれたのだと、平静を装って話しをしていたが…その表情は嬉さを隠し切れていなかった。そんな息子さんに、ロードスターについて伺ってみた。

「最近のクルマと比べると、ロードスターは利便性に劣るなぁという印象でした。加えて、それほどスピードが出でいなくても体感速度的に速く感じるのが…。幼少期の頃に怖かった記憶がありまして…。でも、いざ自分で乗り出すと、車内が狭いのも案外悪いものではないと感じているんです。狭そうだと思っていた車内は無駄な空間がなく、むしろすごく落ち着くんです。また、運転する側になると、比較的低速でもハイスピードなドライブ感を味わえるので“アリ”だと思うようになりました。あとは、ロードスターに乗ることで、世代を超えた交流が生まれたのも良かったですね」

自分でハンドルを握れば息子もきっとハマるに違いない、と思ったというフリーストーンさんの思惑は、今回もまた当たったのである。
懸命にメンテナンスしている夫の姿を見て、奥様が息子さんに『あなた(息子)に乗って欲しいと思っているみたいよ』と伝えてしまったため、息子さんが気を使って乗ってくれているんじゃないか?というフリーストーンさんの心配は杞憂だったことをここに記しておく。

これからは、派手にいじらずに少しだけモディファイしながらコンディションを維持していきたいというフリーストーンさん。ちなみに目標は朽ちるまで乗り続けることだそうだ。

いっぽうの息子さんは宮崎方面はあまり行ったことが無く、今後是非行きたいということなので、日南海岸あたりが良いのでは? と、ここに提案しておこう。

これから先、どんなロードスターライフがフリーストーンさん一家で繰り広げられるのだろうか。ひとつ分かっていることは、稀代の名車である相棒達が一家の道先案内人として大活躍してくれる未来である。

(文: 矢田部明子 / 撮影: 西野キヨシ)

※許可を得て取材を行っています
取材場所:三角西港(浦島屋、旧三角簡易裁判所ほか)(熊本県宇城市三角町三角浦)

[GAZOO編集部]

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