兄との思い出を繋ぐ絆カローラレビン(AE86)といつまでも

  • GAZOO愛車取材会の会場である霞ヶ浦緑地公園で取材したトヨタ・カローラレビンGT-APEX(AE86型)

    トヨタ・カローラレビンGT-APEX(AE86型)



今回の取材対象者であるオーナー『ゴルゴ86』さんのお兄様は、生真面目で曲がったことが嫌いで、悪く言えばあまり融通が効かない人だったそうだ。
オートバイが好きで、高校に通うための愛車として購入したのは、50ccにしては車体が大きく、オフロードっぽいデザインのホンダ・MT50。1980年代の鈴鹿8時間耐久ロードレースが盛り上がり始めた時代には、暇があったらオートバイの専門誌を眺めている、そんな兄だったと、当時を懐かしむように話してくれた。

「とにかく、喧嘩をした覚えがあんまりないほど仲が良かったなぁ。自分も兄の影響を受けて、高校を卒業したらすぐに原付免許を取って、兄のバイクを借りて乗りまわしたりしてたな。そんな兄やったけど、26歳の時に心臓発作で突然他界してしまってね。このクルマを残して…」
そう話す目線の先には、1985年式トヨタカローラレビンGT-APEX(AE86型)が、しとしとと絹糸のように降り続ける雨に打たれながら凛とただずんでいる。

お兄様がこのAE86を購入したのは1985年6月のこと。通勤用のクルマを買おうということになり、親子で近所のカローラ店に足を運ぶと、展示車として飾ってあったのがこの赤黒ツートンのカローラレビンだったそうだ。
お兄様はどちらかと言うと石橋を叩いて渡るタイプなのに『これにする!』と即決したのは、おそらく一目惚れだったのだろう。そして当時のゴルゴ86さんは大学に通うため県外に出ていたため、あの堅物のお兄様の心を射止めたクルマはどんなものか? と、次の帰省を楽しみにしていたのだと懐かしんでいた。

そう話すゴルゴ86さんだけに、兄が旅立ってしまったことで『このクルマ、どうしょうか?』という話が出た時にも、お兄様が大事に乗っていたクルマを売るという選択肢は考えられなかったし、現在もその気持ちに変わりはないという。

「39年前のクルマやけど、このクルマも、兄との想い出も、まったく色褪せてないと感じるんで。これで、深夜に鈴鹿峠へドライブに連れて行ってもらったことがあったんやけど、すごく楽しかったのを今でもよく覚えてるな。僕が引き取った時は走行距離が6万kmくらいやったかなぁ。それで、今が14万5640kmやから、そうか…もう兄が走った以上に乗ったことになるんかな…」

AE86と言えば、1983年から1987年にかけて生産されたライトウェイトFRスポーツで、モータースポーツファンや、スポーツ走行が好きなユーザーの心をグッと掴んできた名車である。そのため、当時から少しヤンチャなカスタムをする人も見受けられたそうだが、ゴルゴ86さんがこの個体を引き取った際には、実に“兄らしい”仕様だったそうだ。

「フルノーマルで、きちんと手入れされとって、大事に乗ってきたのが伝わる状態やったな。前後座席ともシートカバーがされててね、兄らしさが容易に想像できるもんな(笑)。今、内装が綺麗なのはその時の影響が大きいかな」

だからこそ、その愛車を引き継いだゴルゴ86さんも、ボディはノーマルのままフェンダーの爪折りもせず、オールペンも敢えてしていないということだ。

ただ、諸事情により、一部分だけ塗装しているとのこと。その理由を伺うと、ガレージの窓をカーテンなどで遮光していなかったことが原因で、ボディサイドの一部分が日焼けしてしまい、鮮やかな赤が“白っちゃけた赤”に褪色してしまったのだという。

これによって手を焼いたのは鈑金屋さんだった。
『できるだけ兄の乗っていたままの状態を維持したい』という、ゴルゴ86さんの要望を叶えるために、オールペンはせずに“色褪せた赤”を再現しなければならなかった。年月を経て褪色した赤を再現するのは、純正色の赤でオールペンするよりも格段に難しかった…と苦笑していたそうだ。

内装は運転席まわりを自分好みに変更しているそうだが、いつでも元の状態に戻せるように、ステアリングやシフトノブは元々装着されていたパーツをしっかり保管してあるということだ。

AE86を引き取った直後は、通勤に、スーパーへ買い物にと、四六時中一緒に過ごしていたというゴルゴ86さん。不思議なもので、ふとした瞬間にお兄様の気配を感じることがあり、運転をしていると兄が守ってくれているとの思いがあるという。その甲斐あってか、このクルマでは長年、無事故の記録を重ねていると腕を組んでしみじみと語っていた。

いっぽうで、結婚や通勤などのタイミングでAE86に乗る機会がどんどん減っていってしまい、やがてガレージに眠ったままになってしまった時期もあったというが、家族旅行で行った南紀白浜でAE86の復活を決める出来事があったのだと瞳の奥がキラリ輝いた。

「宿泊先に『頭文字D』のコミックが何巻か置いてあったんで読み進めていくと、めちゃくちゃ面白くて、ハマってさ。そういや家にもAE86があるなぁ! もう1回乗りたいなぁ! と思って、復活を決めたんよな」

そんなわけで、公道復帰に向けてメンテナンスをしてくれるショップ探しから始めたというゴルゴ86さん。どうしようかと悩んでいると、往復80kmの通勤路にロードスターが並んでいるお店があったのを思い出したそうだ。
「どっちも1.6リッターエンジンやしスポーツカーなんやから、何とかなるかもしれんと声をかけたんです。そしたら予感は大的中で、何とかなったというわけやな(笑)」
お店に入った瞬間にロードスター以外のスポーツカーが目に入り、予想は確信に変わったというゴルゴ86さん。加えて、AE86用の部品もあるとのことで、安心してこのショップに任せたのだそうだ。

長年乗っていなかったためにエンジンは掛からず、ガソリンタンク、燃料ポンプ、燃料ホース、ブレーキキャリパー、ブレーキローターなどの交換やオーバーホールを行って公道復帰を果たすことができたという。また、公道だけに留まらず、サーキット走行もするようになったという。

「復活させて、初めて鈴鹿サーキットのフルコースを走ったのは2011年だったかな。率直な感想はね…怖かったな。各部の剛性感がふにゃふにゃで、命の危険さえ感じるほどだったな(笑)。せやから、これはちゃんとせんとアカンと思って。足まわりや吸気系、排気系をカスタムしたんよ」

ちなみにこのAE86は『見た目はノーマルだが、実はこだわりの改造がしてある』というのがコンセプトで、4A-Gエンジン本体がオリジナルのままというのもポイントなのだとか。こうすることで、その他のカスタマイズによって、サーキットでのラップタイムがノーマル時からどの程度速くなったかどうか? を明確に確認できるからだという。

運が良かったのは、カスタムベースとして人気のAE86には、数十年前の旧車にも関わらず専門のプロショップとカスタマイズパーツの選択肢が沢山あったことだ。そのため、雑誌で欲しいパーツを選び、実際にショップに足を運んで、現物を自分の目で確認することもできたそうだ。

カーランド製のステンレス製エキゾーストマニホールドとマフラー、アペックス製のエアクリーナーなどでカスタム。制動系はウィルウッド製のフロント4ポットブレーキキット、リヤには260φのローターキットを装着している。その他、駆動系などについてもミニサーキットを満足に走れる仕様にしているそうだが、特に思い入れがあるのは、コシミズモータースポーツ製の16段調整式スポーツサスペンションキットだと言う。

「サスキットを付けてもらうために、筑波まで行ったんよ。ちょうど東京モーターショーが開催されとったから、1泊2日で観光を兼ねてという感じやな。AE86をお店に置いて駅まで送迎してもらったんやけど、なんと運転手はコシミズモータースポーツの代表でサスペンションキットを開発した輿水さんご本人! なんか東京モーターショーよりも、そっちの方がインパクト強かったなぁ(笑)」

ちなみに、エキゾーストマニホールドを装着した際は京都のお店まで行ったそうで、AE86に自転車を載せて行き、現地ではしっかり京都観光してきたとのことである。

「このクルマを愛車として迎え入れて、すごく楽しいカーライフを送らせてもらってます。これからも現状維持で、大切に乗り続けていきたいと思います」

クルマというものは単なる移動手段だけでなく、ドライブする事で気分転換ができたり、趣味としての大切な存在であったりと、各人にとって様々な役割を担ってくれている。
そしてゴルゴ86さんにとってこのAE86は、ずっと途切れることのない、お兄様との絆なのかもしれない。

(文: 矢田部明子 / 撮影: 清水良太郎)

※許可を得て取材を行っています
取材場所: 霞ヶ浦緑地公園(三重県四日市市羽津甲5169)

[GAZOO編集部]

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