親友との懐かしい思い出を残したまま乗り続けるAE86スプリンタートレノ

  • GAZOO愛車取材会の会場である国営木曽三川公園 アクアワールド水郷パークセンターで取材したトヨタ・スプリンタートレノ(AE86型)

    トヨタ・スプリンタートレノ(AE86型)


「私はトヨタのお膝元となる豊田市で生まれ育ったんです。そんな土地柄なのかクルマ好きな人が多くて、物心が付いた頃にはクルマに興味を持っていましたね。そして、まだ私が小さかった頃、お隣さんが通称“ダルマ”って呼ばれていたセリカに乗っていたんです。これがすごくカッコ良く見えて、その頃から『大きくなったらこれくらいのサイズのスポーティなクルマに乗りたい』って思っていました」

子供の頃にそんな思いを抱いたという『イナタク』さん。その気持ちは時が経っても変わることはなかった。

「高校生になる頃にはAE86がデビューしていて、レースで活躍していたんですよ。私もレース観戦をしに、鈴鹿サーキットとか富士スピードウェイに行きましたねぇ。当時、レースカーと言えばレビンの方で、トレノよりも人気がありました。だから私も、免許を取ったらレビンに乗るって決めていたんです」

カローラとスプリンターの2代目、E20系から設定されるようになった高性能モデルが『カローラレビン』と『スプリンタートレノ』。以後、8代目のE110系まで、レビン&トレノは走り好きの間で人気を博すると共に、モータースポーツでも活躍した。
そんなレビン&トレノの中でも、特出した人気を誇るのが1983年にデビューしたAE86型であろう。現役時代はもちろん、40年もの時を経た現在でも多くの人々から愛されている。

イナタクさんは、そんなAE86を初めての愛車として選び、そして一度は手放したものの再びAE86でのカーライフを楽しんでいるというオーナーさんだ。

「1987年に運転免許を取得して、姉貴が中古で買って乗っていた1986年式の2ドアレビンを貰ったんです。貰ったというか、正確には買い取ったんですけどね(笑)」
ちなみに、よくよくお話を伺っていくと、お姉様はたまたまAE86を選んで乗っていたワケではないということがわかってきた。

「姉貴がクルマを買うという話になったんで『いいクルマだから、買うなら絶対AE86レビンがいい』って勧めまくったんです。もちろん自分が運転免許を取ったら、すぐに譲ってもらうつもりで(笑)」と、したたかなイナタクさんの意を汲んで、お姉様はAE86を購入し、愛車にしてくれていたのだ。

イナタクさんがAE86レビンに乗り始めたころは、走り屋ブームが盛り上がりを見せてきた時代。望み通りにAE86レビンを手に入れたイナタクさんは、その走りを楽しむと共に「トムスの井桁ホイールを履いたり、ショックアブソーバーを交換したりして、今で言うカスタマイズも楽しんでいました」と、AE86ライフを満喫していたご様子だ。

しかし、そんなAE86レビンとの生活は5年で終止符が打たれた。1990年前後は、今でも名車と言われるモデルが多数登場した時代。幼い頃からクルマが大好きだったイナタクさんにとっては、乗ってみたいと思わせる新型車が続々と登場する黄金期でもあった。

「“他のクルマにも乗ってみたい”という誘惑に負けて、スーパーカーのようなスタイリングに惹かれた、2型のMR-2(SW20型)に乗り換えることにしたんです」

今でこそ、AE86と言えば『一生乗る』的な名車となっているが、当時は型遅れとなったモデルであり、5年も乗り続けていれば次のクルマに乗り換えたいと思うのは当然のこと。イナタクさんも、同じようにMR2に乗り換えたワケだ。
「もちろん、MR2は楽しみだったんですけど、レビンを売ったお店にクルマを置きにいった瞬間から、AE86を手放したことを後悔する気持ちでイッパイになっていました」と、別れの時を振り返る。

そんな後悔の念は、それまで乗っていたクルマに特別な思い入れがあれば誰でも抱くものだが、その多くは一時的なもの。新たに納車されたクルマに乗ることで消えていくのが常となるが、イナタクさんの場合は違った。
「その後もずっと後悔していて『AE86に乗りたい』という気持ちが薄れることはありませんでした」

しかし、イナタクさんの生活環境の変化が、再びAE86に乗ることを許さなかった。
「結婚して、スポーツカーに乗っていられる環境ではなくなってしまったので、MR2は当然手放して、ファミリーカーとして使えるカルディナに乗り換えたんです」

当時はまだまだ一家に1台が常識の時代。さすがに2台持ちとはいかず『またAE86に乗りたい』という気持ちを飲み込んだまま、家族のためのクルマを乗り継いでいったという。

そんなイナタクさんが再びAE86を愛車にしたのは2001年のことである。
「学生時代からの親友が、ずっとAE86トレノに乗っていたんですが、それを手放すことになって、私がAE86を手放したことをずっと後悔していたことを知っていた彼は、真っ先に声を掛けてくれたんです」

このAE86トレノは、パワーの上がったAE92後期エンジンに載せ替えられているのだが、「エンジンを私が見つけてきて、一緒に載せ替えをしたんです」というように、イナタクさんにとっても、思い入れのある1台なんだそう。
そんな経緯もあり、ありがたく譲り受け、現在まで乗り続けているという。

譲り受けたトレノは、譲ってくれたご友人がジムカーナを楽しんでいたこともあり、強化エンジンマウントや強化クラッチ、軽量フライホイール、機械式LSD、ビルシュタイン製のショックアブソーバーなどが組み付けられていた。

「エンジンマウントが変わっているので、振動が凄いんです。それから軽量フライホイールにしてあって、低回転域での粘りがないのに、半クラッチがシビアになる強化クラッチに交換されているので、徐行で走らせるようなシチュエーションとかだと、運転が結構大変なんですよねぇ(笑)」

ちなみにイナタクさんは、前オーナーのようにジムカーナなどの競技には参加するわけではなく、ワインディングの風情を楽しむような乗り方がメイン。クルマいじりも大好きで、このAE86トレノのメンテナンスもほぼ自分でこなしているという。
にも関わらず、ジムカーナ仕様のまま乗り続けている理由を伺うと「できるだけ当時のままの乗り味や見た目を保ちたいんですよね」というお答えが返ってきた。

「腰痛持ちなもので、シートはカルディナの時から使っているレカロ製に替えましたが、それ以外は内外装とかも譲ってもらった時のままです。旧車をピカピカに再生する人が多いですけど、私は、ずっと使い込んできた、イイ感じにヤレたクルマの雰囲気が好きなんですよ」
ボディの塗装は工場出荷時のままのオリジナルペイント、インテリアもしっかりと手入れがされて綺麗な状態を保っていて、シートやステアリングを除けば部品交換や大掛かりな再生を行っていないという。

「離れると分かりづらいですが、ルーフにはスキーキャリアを付けていた痕が残っています。スキーブームの頃は、AE86の屋根にスキー板を付けて、皆でスキー場に行ったりしてたんです。そんな時代の名残なんですが、そういう痕跡もこのAE86の歴史のひとつだと思うんです。ピカピカに仕上げたクルマに乗りたい人にしてみれば、スキーキャリアの痕が気になってしまうかもしれませんけどね」

元オーナーであるご友人から譲り受けて、四半世紀弱の時が経過。今や、前オーナーであるご友人よりもイナタクさんの方がオーナーとしての時間が長くなっているわけだが、1980年代当時のAE86らしい見た目と乗り味はそのまま。
今後も『いい感じのヤレ』という年輪を重ねていきながら、ワインディングロードを心地良く流していくのであろう。

(文: 坪内英樹 / 撮影: 清水良太郎)

※許可を得て取材を行っています。通常は園内へ車両を乗り入れることはできません。
取材場所:国営木曽三川公園 アクアワールド水郷パークセンター(岐阜県海津市海津町福江566)

[GAZOO編集部]

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