カローラフィールダーは僕の青春、祖父から受け継いだ こだわりの1台。



「オーナーとして2年目ですが、物心がついた時からそばにいました。」

現在、大学4年生のMKさんは19歳で運転免許を取得し、すぐに2005年式のトヨタカローラフィールダー X Gエディション (NZE121G型) に乗り始めたという。

「カローラフィールダーは自分の青春でした。」
22歳の青年がそう語る理由には、お祖父様との思い出も関係しているのだとか。

今回は、カローラフィールダー×MKさんの物語です。

――早速ですが、カローラフィールダーとの出会いを聞かせていただけますか。

運転免許を取得するよりもっと前、僕が3歳の時に、祖父がこのカローラフィールダーを購入したんですよ。

祖父の家とは隣り合わせなので、僕が免許を取得後は、しばらく祖父のカローラフィールダーを使わせてもらっていました。その後、祖父が80歳を迎えて免許を返納することになったため、譲ってもらう運びとなったのです。

――お祖父様のカローラフィールダーを見て、いつかは乗りたいと思っていたのですか?

実は、小さいころはまだ乗用車には興味がなくて、どちらかというとショベルカーとか、建設機械とかが好きだったんですよね。なのでカローラフィールダーは、昔から日常生活の中に何気なくあったクルマっていう感じでした。

――お祖父様とカローラフィールダーの当時の思い出はありますか?

休みの日に祖父の運転でどこかに行ったりとかは、ほぼ毎週ありましたね。物心ついた時から、中学生になるくらいまでは、よくドライブに連れて行ってくれたんですよ。

実家が瀬戸内海の近くにあるんですけど、祖父も僕と一緒で、建設機械とか船が好きで、港をドライブするのが大好きだったんですよね。

その後、僕が中学校や高校に入ってからは、ドライブする頻度は減ってしまったのですが、今でもずっと仲は良いです。

――すごく素敵なご関係なんですね。カローラフィールダーを譲り受けた時は、MKさんからお祖父様にお願いをしたのでしょうか?

どちら側からお願いしたとかは特になく、自然な流れで譲り受けるという感じでした。「お前もよく乗っているし、好きに乗れば良い。」って言ってくれたんです。祖父は僕にいつかは譲るつもりでいてくれたんじゃないかなって、その時少しだけ感じましたね。

――ところで、MKさんが乗用車も好きになったきっかけって、何だったのでしょう?

高校生の時、SUZUKIのジムニーのカクカクしたフォルムに惹かれたのがきっかけでしたね。

あと、父もすごくクルマが好きで、大量のミニカーが家の棚にズラっと並んでいて、その影響も大きいですね。そのコレクションの中でも一際目立っているクルマがありまして…。それがスバルのインプレッサだったんですけど、毎日見ているうちに、なんとなくインプレッサへの憧れを抱くようになりました。

それをきっかけに、クルマへの興味がさらに広がっていった感じですね。

――インプレッサが憧れだった一方で、カローラフィールダーを譲り受けたんですね?

当時、周りにMTのスポーツカーに乗っている人が多く、自分も乗りたいなって思っていた中での出来事だったこともあり、カローラフィールダーは5MTで運転の楽しさをすごく感じられたんですよ。なので、譲ってもらえた時はすごく嬉しかったです。カスタムができるクルマでもあったので、とてもワクワクしていました。

欲しいクルマを買ってカスタムをしたかった気持ちも正直ありましたが、今はカローラフィールダーに似合うスタイルを探して、自分なりのカスタムをしたいっていう気持ちに切り替わったんですよね。

――カスタムを施した箇所はどこになるんでしょうか?

社外品のマフラーを付けているのと、実は車高も少し下がっていて、あとは所々色を塗り変えています。

元々はシルバー1色だったのですが、バンパーやミラーをマットブラックにして印象を変えました。これはバンのようなスタイルをイメージして、塗っているんですよ。

――商用車っぽい見た目が好きだったということですか?

そういうわけではなかったんですが『このカローラフィールダーで、この車体色で』と考えたら、商用車っぽい、かつ北米仕様の要素も加えつつカスタムしたら面白いことになるんじゃないかなって、友達と話していたんですよね。

ヘッドライトの端のオレンジ色は北米仕様のクルマを参考にしてカスタムしたのですが、最終的にとても納得のいくものになり、もう大満足です。

――素晴らしいです!他にもカローラフィールダーで気に入っている部分はありますか?

全体的に、デザインや機能性は可もなく不可もなくって感じで、100点満点ではないけど、不満も特にはないですね。なんだかんだ気に入っているんだと思います(笑)。

カローラといったら世界の大衆車というイメージだと思うんですけど、本当にその言葉を体現しているクルマだなって、日々感じています。

――MKさんがカローラフィールダーに乗り始めたころ、お友達のリアクションはどうでしたか?

そうですね…。カローラってご高齢の方も乗られているイメージのクルマだからか、最初は「おじいちゃんのクルマを譲り受けたんだ。」程度の反応なんですけど、ふと車内を覗き込んだ時に、MTのシフトノブが付いているから「え!?これMTなの?おじいちゃんすごい!」みたいな反応があって、それは印象的です(笑)。

祖父のこだわりもおそらくMTで『生涯MT車のみ』っていう思いを貫き、免許を返納したんじゃないかな。

――お祖父様もこだわりのある人だったんですね。

祖父も父もすごくクルマが好きで、雑誌をよく買って読んでいたのを覚えています。ただ、自分のクルマを選ぶとなると、値段であったり現実的な条件があると思うのですが、MT車というのは絶対条件だったんじゃないかなと思います。僕の知っている範囲だと、祖父は7台くらい乗り換えているんですけど、全てMT車でした。

――お祖父様と共有していた時期を含め、カローラフィールダーに約3年間乗り続けた中で、印象的な出来事はありましたか?

カスタムがうまくいって、いろんな方に興味を持ってもらえたのがすごく嬉しかったです。アルバイト先であったり、今までクルマの話を全くしてなかった人に「珍しいクルマに乗っているね」って言われたり…。

あと、色を塗り替えただけで全体の印象がかなり変わるみたいで、クルマに詳しい人にも「元々のクルマはなんですか?」って聞かれることがありました。それもなんだかんだ嬉しいんですよね。

――ここまでカスタムするのには、かなり苦労されたんじゃないですか?

大学に行きながらバイトもしつつ、ちょっとずつ進めていったので、確かに苦労しましたね。
1番大変だったのは塗装の時で、ドアミラーとドアハンドルは外すのが困難なので、クルマ全体をマスキングしなくちゃいけないんですけど、それがめちゃくちゃ大変でした。

――想像するだけで大変そうです…。全ての作業を自力でやられたんですか?

実は、整備士として働いていらっしゃる先輩がいて、道具を貸してもらったり、ご協力をいただけたおかげで完成したんですよ。当時は経済的に外注することができなかったので、自分たちでやった方が良いなって判断したんですが、結果良かったですね。大学生ってお金はないけど、時間はあるのでね(笑)。

――MKさんのカーライフの中で、楽しさとか幸せを感じる瞬間って、やっぱりカスタムが関係しているときですか?

そうですね。やっぱり、カスタムを褒めていただくのが1番嬉しいです。

どうやら、この年式のカローラフィールダーでバンパーを黒にしている人がなかなかいないみたいで、「このクルマにこのカスタムをしても、こんなに似合うんだ!」って言っていただけたことがありました。

その時は、もうめちゃくちゃ嬉しかったです。頑張りが認められた感じがして、苦労した甲斐があったなって感動しました。

――約3年間乗られてきたカローラフィールダーは、MKさんにとってどういう存在になりましたか?

そうですね…。僕の青春、全てじゃないかなって思います。幼少期から身近にあって、大学生活を思い返すと、ほぼ全てのシーンにカローラフィールダーがありました。あと、カローラフィールダーがいたことで休日も充実しましたし、それで友達の繋がりも増えたんですよね。

だから、ほんまにありがとうって感謝を伝えたいです。

最後に名残惜しそうに、彼がそう話した理由。
それは、就職先の都合上、どうしてもカローラフィールダーを手放さないといけなくなってしまうからなのであった。

祖父との思い出、そして彼が初めてカスタムをしたクルマということもあり、できれば大切においておきたいが、おそらく手放すことになるだろうと言う。

「初めてカローラフィールダーを運転した時、祖父と父と3人で駐車の練習をしたんですよ!」
そう楽しそうにカローラフィールダーの話をする彼。

カローラフィールダーにとって、約20年間MKさん一家に大切にされ続けてきた思い出は、たとえオーナーが移り変わっても、その個性的な見た目のように、色褪せることは無いだろう。

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MKさん

(文:秦 悠陽)