トヨタ 86(ハチロク) 開発ストーリー エンジン 2012年2月
スバルの水平対向エンジンと、トヨタの直噴技術、次世代D-4Sの融合。低重心と高性能、そして優れた環境性能を実現した86のパワーユニットは、2つのメーカーのエンジニアが、互いの意地を懸けた異例の共同開発から生まれた。持てるノウハウを惜しみなく注ぎ込むことで、クルマを操る楽しさを堪能できるパワートレーンを完成させていった。
「リッター100PSへのこだわり」から始まったD-4Sと水平対向の融合
86の共同開発がスタートした当時、スバルでは次世代へ向けた2リッター級水平対向エンジンの開発が着々と進んでいた。両社の技術陣の中にも、当然ながら86には、そのエンジンがほぼそのまま搭載されるのだろうという空気が漂っていた。しかしながらチーフエンジニアの多田の強いこだわりは、誰もが予想もしていなかった異例のチャレンジへとつながっていく。多田がこだわったのは、低重心、自然吸気、そして高回転までストレスなく回り、リッター100PSを発揮できるスポーツエンジン。スバルでエンジン開発を指揮した桑野(スバル技術本部 パワーユニット研究実験第一部 エンジン主査グループ 主査)は、多田から投げかけられた目標を聞いた驚きを次のように語る。
桑野「当初、このクルマはエントリースポーツだと聞いていましたし、当時開発していたFBエンジンを載せて、重心を下げることだけを考えていたんです。ですから、リッター100PSという目標を受けて、いったいどうやってそんな高出力エンジンにするんだという議論になった。いっそ排気量を上げればどうか、という話もしたくらいです。」
こうした中、多田はLFAのエンジン開発を指揮したエンジンプロジェクト推進部の岡本に相談を持ちかける。それはラインオフまで残り約3年という、通常のエンジン開発期間からすればありえないようなタイミングだった。
- エンジン技術開発アドバイザー 岡本 高光 Takamitsu Okamoto
第2技術開発本部 エンジンプロジェクト推進部
岡本「『200PS出すには、どうすればいいか』という相談を受けました。しかも燃費も狙うと言う。ポート噴射の2リッターで200PSを出そうとすると、回転数を7600以上ぐらいにもっていく必要がある。当時スバルが次期水平対向エンジンで考えていたボアは84くらいでしたから、それでは7600以上まで回すことも、そもそもリッター100PSを達成できるようなバルブ径を確保するのも難しい。一方で、燃費を確保するためにはある程度回転数を下げなければいけないし、かつ性能を出そうとするのであれば、やはり我々のD-4Sシステムだろう。同時にボアも少し拡げる必要がある、という話をしたんです。」
- エンジン技術開発アドバイザー 岡本 高光 Takamitsu Okamoto
第2技術開発本部 エンジンプロジェクト推進部
これをきっかけに、さまざまな関係者を巻き込んだ大議論へと突入することになる。トヨタのエンジン制御の要とも言える技術を他社に公開してもいいのか。1台のクルマのために、スバルの水平対向エンジンを基本設計から作り直す、そんなことがあり得るのか。侃々諤々の議論の末、エンジン部門トップの英断によって、スバルのエンジンにトヨタのD-4Sを融合し、ボア・ストロークから設計をし直すという決定が下されたのである。それは、開発中の技術も含め、D-4Sに関する技術情報を全てスバル側に開示するという異例中の異例とも言える決定でもあった。
この方針を受け、急遽プロジェクトに加わったのがトヨタ側のエンジン制御システム開発部だった。当時、次世代D-4Sの開発を進めていた大谷は、当時を次のように振り返る。
- エンジン開発担当 大谷 元希 Motoki Ohtani
第2技術開発本部 エンジン制御システム開発部 エンジン制御システム要素設計室長
大谷「お互いの虎の子を出し合う大英断。まさに清水の舞台から飛び降りた感じでしょうね。ただ、方針こそ決まったものの、とにかく時間がない。それに、最初は双方に理解し合えなかったところもありました。当初スバル側からは、D-4Sがそんなにポテンシャルがあるとは思えないとも言われたんです。それで発憤したというか。自分たちが開発しているものでしたし、計算上では必ず200PS出せるという自信があったんです。」
86への採用が決まった技術とは、既に市販化されていたD-4Sではなく、大谷たちがまさに開発を進めていた次世代D-4Sである。まだトヨタ側でも市販化していない技術を2社で同時に開発するという取り組みは、予想通り困難を極めた。あるときはスバルの技術陣がトヨタへ、あるときはトヨタの技術陣がスバルに常駐するという、まさにメーカーの垣根を越えた共同開発が進められたのである。
スバル側からしてみれば暗中模索の状態で開発した次世代D-4S付試作エンジンは、実に1回目のベンチテストで目標の200PSをクリアする。エンジン制御システム開発部の部長を努める岸は、スバル側の技術力と意地を感じたと言う。
- エンジン開発担当 大谷 元希 Motoki Ohtani
第2技術開発本部 エンジン制御システム開発部 エンジン制御システム要素設計室長
- エンジン開発指揮 岸 宏尚 Hirohisa Kishi
第2技術開発本部 エンジン制御システム開発部長
- エンジン開発担当 渡辺 健二 Kenji Watanabe
第2技術開発本部 エンジン制御システム開発部 制御システムパッケージ開発室 主幹
- 製品企画 エンジン担当 中村 和人 Kazuto Nakamura
製品企画本部 ZR主幹
- 両社の技術交流会のワンシーン。「リッター100PS」の実現に向けて、文字通り企業の垣根を超えた共同開発が進められた。
岸「D-4Sのコンポーネントと燃焼室全体をトータルで設計する難しさを考えた時、それを他社さんで単独でやってもらうのは難しいだろうと思ってましたから、基本的な技術の伝承はしっかりさせていただきました。しかしレイアウトの異なるエンジンでの実現には不安がぬぐえなく、ある時『この技術は僕らでも手ごわいので、本当に開発は苦しいですよ。スバルでも一発で出来るとは思えないし。』って言ったんです。それを聞いて逆に奮起したんだと、後になってスバルの方に聞きました。その結果、一発目で200PSをあっさり超えた。それで、みんな安心したし、お互いに信頼できたっていうかね。『あぁ、やれるぞ』っていう空気が生まれたんです。」
桑野「どんな手段を使うにしても、高回転まで回るエンジンにしておく必要はある。ですから、裏では7000回転を超えるための研究は進めていたんです。岸さんに『本当に200PS出るの?』と言われて、やってやろうじゃないか、と奮い立ちましたね。」
量産化に向け、D-4S+水平対向エンジンの仕上げを担当したエンジン制御システム開発部の渡辺も、スバル側の高い技術力に感動したという一人である。
渡辺「それまでスバルの水平対向エンジンって、ドロドロを低回転で響く感じで、高回転までスコーンと回る印象ではなかったんです。ところが今回のエンジンを積んだ試作車に乗らせてもらったら、7000回転まで気持ちよく回り切る。それで一気にイメージが変わりましたよ。今回は吸排気を等長化したりして凄く気持ちのいい音が出るようになって、あぁ、一緒に苦労して良かったなと。」
最後の味付けとも言える「音」のつくりこみについて、エンジン開発を統括した製品企画本部の中村も、その苦労を振り返る。
中村「実は、そのエンジンの良いサウンドをドライバーの耳に届けるのが大変でした。各国の車外騒音規制が益々厳しくなる中、エンジンの放射音を抑えなければならず、排気音のレベルもあまり上げることができません。こういったことを配慮して仕上がってきた試作車では、スポーツドライブした際のドライバーの耳に届くサウンドは、音量が不足し、物足りなくなっていました。実際、社長が試乗された時に、このサウンド、つまりクルマの声が不足していることも一因で、『クルマと会話ができない』と指摘がありました。そこから、開発のこの段階では通常ありえない程、大きく手を入れました。具体的には、サウンドを直接車内に取り込んでいます。これはトヨタ車初のシステムです。」
リッター100PSへのこだわりからスタートし、数多くのエンジニアたちの知恵と葛藤を通じて実現した、スバルの水平対向エンジン技術とトヨタの直噴技術の融合。D-4S+水平対向は、メーカーの壁を超えて開発を進めた「チーム86」を象徴する成果のひとつである。当初から商品企画を推進してきた沖野は、このエンジン開発が最大の難関だったと振り返っている。
沖野「当時議論していたタイミングで、全くの新エンジンを開発するという提案は大変重いものです。議論の行方次第では、このプロジェクトがつぶれるという局面でした。しかし、最終的にはD-4Sと、86x86というボア・ストロークを持つ理想のスポーツエンジンが生まれた。ここが本当にこのプロジェクトのキモでしたね。両社の技術者の意地と情熱の結晶だと思います。」
- エンジン開発指揮 岸 宏尚 Hirohisa Kishi
第2技術開発本部 エンジン制御システム開発部長
- エンジン開発担当 渡辺 健二 Kenji Watanabe
第2技術開発本部 エンジン制御システム開発部 制御システムパッケージ開発室 主幹
- 製品企画 エンジン担当 中村 和人 Kazuto Nakamura
製品企画本部 ZR主幹
- 両社の技術交流会のワンシーン。「リッター100PS」の実現に向けて、文字通り企業の垣根を超えた共同開発が進められた。
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