イタリアンデザインとハイレベルな走りの融合 初代「トヨタ・アリスト」を振り返る・・・懐かしの名車をプレイバック

イタリアのデザイン会社が手がけた優雅なスタイリングに、パワフルなエンジンとハイテクがかなえた圧巻の走り! 新世代のハイパフォーマンスセダン「トヨタアリスト」がもたらした衝撃を、当時を知る人物が懐かしく振り返る。

懐かしく思い出されるセダンの黄金期

2023年は、トヨタ自動車がどっと新型車を発表・発売したのが印象に残っている。そのうちのひとつが「クラウン」。今のクラウンには4つの車形があるが、ストレートに「クラウン」とだけ呼ばれるのは、セダンだ。メーカーのニュースサイトを見ても、他の姉妹は「新型クラウン(スポーツ)を発売」等となっているのに対し、セダンだけは見出しが「新型クラウンを発売」と潔い。

フロントマスクのアグレッシブな造形は賛否両論あるんじゃないかと私は思っているのだけれど、ハードウエアの出来はよい。静かだし、広いし、なにより乗り心地がすばらしく、印象に残るクルマなのだ。

それにしても、セダンはどうしてここまで退潮してしまったのか。いいかげん、SUVも飽きたろうと私なんかは思うのだけれど、現実はそうはなっていない。セダンは乗り降りがしやすいし、リアにバルクヘッド(荷室と後席を仕切る隔壁)が設けてあって、静粛性や空調効率などの面で有利だ。サスペンションの動きの自由度が高くて乗り心地もいいし、重心高が低いので操縦安定性も高い。つまりメリットがとても多い車型なのだ。

クラウン セダンに乗って思いをはせたのが、往年のトヨタのセダンの隆盛ぶりだった。なかでも私の印象に強く残っているのは、1991年登場の初代「アリスト」だ。

開発陣の気合を感じた直6エンジン

私が強くおぼえているのは、セダンにかけるトヨタの意気込みである。かつてクラウンには、フォーマル志向の「セダン」とパーソナル性の強い「4ドアハードトップ」があった。他のラインナップを見ても、かなり豊富である。「センチュリー」は別格としても、クラウンの上には「セルシオ」があり、下には「ウィンダム」、さらに下には、「マークII」「チェイサー」「クレスタ」の3姉妹や、「ビスタ」と「カムリ」の姉妹、「コロナ」と「コロナエクシヴ」の姉妹(ハッチゲートを持つ「コロナSF」を入れれば3姉妹)がいる、というぐあいだ。

それだけではない。「カリーナED」と「コロナExiv」という姉妹もあったし、「カローラ」と「スプリンター」、そしてボトムラインには「ターセル」と「コルサ」があった。姉妹と書いたモデルの多くは、販売系列に応じて車名を変えていたモデルだ。

そんななかでアリストが異彩を放っていたのは、トヨタ開発陣のヤル気を感じさせたからだ。少なくとも私にはそう思えた。このクルマはハイスペックな2997cc直列6気筒エンジンとともにデビューしたのだ。

2基のエンジンのうち、高性能仕様はシーケンシャル方式の「2ウェイターボ(チャージャー)」をそなえていた。エンジン回転に応じてターボの作動が変わる機構で、低回転域では1基、回転が上がると2基のセラミック製タービンが回る仕組みと凝っていた。

BMWなんするものぞ

じっさい、しっかりしたハンドリングとパワフルな加速感はすごかった。ターボ仕様の最高出力は280PSとされていたが、それは「ここまでが妥当」としていた監督省庁の意向をおもんぱかった、当時のメーカー自主規制の数値である。本当は、さらに上をいっていたはずだ(「日産スカイラインGT-R」なども同様)。

怒濤(どとう)ともいえる大トルクを感じさせる操縦感覚は、当時、トヨタのテストドライバーによる「官能評価」(たんに数字だけでなく、運転者がどう感じるかをテストの評価で重視する)も盛り込んだもので、それもアリストのセリングポイントになっていた。どこまでも加速が続くような感覚の大型セダン(全長4865mm)なんて、当時の日本車においては本当に斬新で、BMWの「5シリーズ」にだって引けをとらないんじゃないかって思われたものだ。

ただし私には、ツインターボモデルはやりすぎで、その下の230PSの自然吸気モデルで十分、と思われた。いまならどうだろう。

当初は2種類の6気筒エンジンと後輪駆動のみの設定だったが、そのあと、1992年に電子制御フルタイム4WDと3968cc V型8気筒エンジンを組み合わせたモデルが追加された。同じタイミングで、BMW 5シリーズにもV8搭載モデルが設定され、世界中のメーカーが北米市場を重要視しているのだなあと思ったものだ。

北米でのアリストは「レクサスGS」として1993年に、まず6気筒モデルの販売が開始され、のちに8気筒が追加された。しかし当時は超円高の時代。1995年などは1ドルが90円台にもなっており、車両価格の上昇が販売の足かせになったそうだ。「1ドル140円台になった!」(2023年12月)とかすかな円高を喜んでいる今からすると、ウソみたいな話。

日伊合作の躍動するスタイリング

初代アリストを語るとき、必ず話題になるのがボディーデザインだ。低めのノーズとフラッシュサーフェイス化されたヘッドランプやグリル、それにプレスドアなどは、空力で売ったアウディもかくやの質感の高さだった。厚みをもたせたトランクのハイデッキは空力的にも考えられたものだったはずだが、加えて、従来のトヨタ車とは一線を画す個性を感じさせた。

当時ささやかれたうわさは、この初代アリストが、イタルデザインによる最後のトヨタ車になる、というものだった。じつはトヨタは、1980年代からイタリアのプロダクトデザイン会社、イタルデザインとコンサルティング契約を結んでいたのだ。もっとも、それは公然の秘密というあつかいで、イタルデザインの作品集にも「トヨタ(具体的には故・豊田英二氏)との関係は長いが、トヨタはいっさいそれを公表しなかった」と、ジョルジェット・ジウジアーロ氏のコメントが記されている。

そうしたなかにあって、唯一「イタルデザインの手になるもの」と公開されたのが、このアリスト/GSなのだ。もちろん、上がってきたプロポーザル(デザイン提案)に手を入れて、最終的なプロダクトに仕上げたのは、トヨタの社内デザイン部の仕事。ハイデッキの提案は当初からだが、プロポーザルはノーズもテールも長いラテン的なデザインだった。いま見ても目を惹く、躍動感のある個性的なスタイルは、よいコラボレーションの成果といっていいだろうか。

1997年8月に、アリストは2代目へとモデルチェンジ。スタイリングはさらにアグレッシブになるとともに、エンジン性能が上がり、後輪操舵システムなど足まわりにも新しい機構が採り入れられ、その内容は凝ったものだった。

ただそれでも、私のなかで初代の存在感は薄れなかった。グローバルな市場で通用するスポーティーセダンをつくろうという、開発陣の思いが印象的だったからだろう。

(文=小川フミオ)

トヨタ・アリスト(1991年~1997年)解説

1991年10月に登場した、新世代のハイパフォーマンスセダン。ラグジュアリーなモデルでありながらスポーティーな走りを前面に押し出すという、それまでの国産車にはないコンセプトが特徴で、特に3リッター直6ツインターボエンジンを搭載したグレードは、圧倒的な加速でファンを魅了した。足まわりやドライブトレインも非常に高度で、4輪ダブルウイッシュボーン式サスペンションやピエゾTEMS(電子制御サスペンション)、トルセン式LSDなどをグレードに応じて設定。パワフルな走りに加え、高い運動性能も併せ持っていた。

もうひとつの魅力が、やはり国産車離れした堂々としたスタイリングだ。「クラウンマジェスタ」と共用のプラットフォームの上には、イタルデザインに素案を求めたという優雅な意匠のボディーを架装。なめらかなフォルムは空力性能にも優れ、空気抵抗係数(Cd値)は0.30を達成していたという。

こうして完成したアリストは、日本のみならず海外でも活躍。1993年からは「レクサスGS」の名で北米に投入され、レクサスの基幹車種としてブランドを支えることとなった。

初代トヨタ・アリスト諸元

グレード:3.0V
乗車定員:5人
車両型式: E-JZS147
重量:1680kg
全長:4865mm
全幅:1795mm
全高:1420mm
ホイールベース:2780mm
エンジン型式:2JZ-GTE
エンジン種類:直列6気筒縦置きツインターボ
排気量:2997cc
最高出力:280PS/5600rpm
最大トルク:44.0kgf·m/3,600rpm
サスペンション形式: ダブルウイッシュボーン式

(GAZOO編集部)