小さなボディーに魅力がいっぱい! 日本が生んだ傑作スポーツカー「ホンダ・ビート」を振り返る・・・懐かしの名車をプレイバック

  • 1991年5月に発売になったホンダ・ビート

    1991年5月に発売になったホンダ・ビート

エンジンをキャビン後方に搭載する、軽規格のスポーツカー。登場するや世のクルマ好きを仰天させ、その乗り味で多くの人を笑顔にしてきた名車「ホンダビート」の魅力を元オーナーが熱く語る。

ある意味“究極の一台”

マイ・ファースト・カー。それがホンダ・ビートだった。まつわる思い出はウフフ、限りなく多い。100万円をわずかに切るくらいの価格で手に入れた「ブレードシルバー・メタリック」の中古車は、トラブルらしいトラブルをほとんど起こすことなく、さほどパッとしない筆者の青春の1ページに一閃(いっせん)の光をもたらしてくれた。それは福音といってもいい。……クリスチャンじゃないけど。

間違いだらけの選択をしまくったハタチのあの頃、ビートを手に入れたことだけは間違いじゃなかったといまでも100%信じている。

なぜビートが欲しかったのか? 購入した当時のことを思い返しても、ほかのクルマと比べて「アレがいいけどコレもいいな」などと迷った記憶は一切ない。

まずオープンカーという乗り物への憧れが強烈にあった。加えて大好きだったホンダ製で、さらにその響きがたまらないミドシップレイアウト。あのピニンファリーナがデザインしたとのウワサに留飲を下げ、2人乗りということにもこの上ない潔さを感じた。しかも金銭的に維持がしやすい軽自動車。そしてルーツはあの「S600」。

なんだかもう、二浪してやっと大学生になれたばかりの自分には恐ろしいほど“ぜんぶのせ”じゃないか? 排気量がちょっとアレだけど、カンペキじゃないか!

  • 軽自動車として初めてのMR(ミッドシップ・リアエンジン)

    軽自動車として初めてのMR(ミッドシップ・リアエンジン)

たかが軽と言うなかれ

もちろんタイトな1395mmの車幅ゆえの、助手席のカワイ子ちゃん(仮)との密着度の高さも大きな加点ポイントだった。もはや一挙両得どころの騒ぎではなく、ピンク色のキャンパスライフはビートとともに鳴り物入りでやってくる。そう信じて疑わなかった。手に汗かき呼気あらく鼻腔(びこう)をふくらませ、「ため込んだものを一気に解放させるのは、いま!」という充血した妄想をマッハで走らせていたのである。

いつものことだが、だんだん何を書いているのかわからなくなってきたのでいったんわれに返ろう。色あせかけている二十代の記憶とともに。

ビートのデビューは1991年、浪人2年目。本田宗一郎さんが亡くなるわずか3カ月前の発表だった。アイルトン・セナ&マクラーレン・ホンダが優勝したり、湾岸戦争が始まって、さらにはソ連が崩壊したり、ニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」がヒットしたり。そうそう、「マツダ787B」がルマン24時間でポディウムのトップを勝ち取ったのもこの年だった。人類はバトルが大好きみたい。

そんな気ぜわしい情況のさなかに、専用設計のミドシップレイアウトを採用したピュアスポーツカーは発売されたのである。積まれたエンジンは「E07A」。その直列3気筒SOHCは軽自動車用自然吸気エンジンとしてただひとつ、自主規制値めいっぱいの最高出力64PSをマークした。そのピークパワーは「バイクかよ」とほくそ笑みたくなる、なんと8100rpmで発生したのである。ウゥォーーーーンッとね。

  • 幌をあけて走ればバイクのように楽しめた

    幌をあけて走ればバイクのように楽しめた

非力だけれど超気持ちいい!

いや、パワフルだったかといえばそれほどではない。“パワフルな感じ”がしていただけで、乾いた排気音とともにヒルクライムであえぐ“3発”と1対1で向き合うと、痛々しくてクーラーのダイヤルなんて回せなくなる。最大トルクではるかに勝っていた「スズキ・カプチーノ」のDOHCターボのほうがずっと速かったし、そのころ「ホンダCB-1」(399cc直列4気筒のネイキッドバイク)に乗っていた自分にとっては「よく回るけどクルマはクルマ」というところが本音だった。

しかし、である。自動車用エンジンとしてはずぬけてよどみなく高回転まで吹け上がるE07Aは、MTREC(Multi Throttle Responsive Engine Control System)搭載のおかげで、フルスロットルがいつでもどこでもためらうことなく楽しめた。「過給システムなんかにゃ頼らん」と、あくまで自然吸気にこだわったホンダ開発陣の思いも伝わってくる。ほろを閉めているといささか騒々しいが、ひとたび開け放ってしまえば爽快さにニンマリ。まるでノーヘルで乗るバイクだ。サイドウィンドウを閉めてさえおけば、ヒーターとダウンジャケットで寒風の真冬をやり過ごせる。

シフトフィーリング。これも抜群にクイックで素晴らしかった。短いストロークでスパスパッ! とダイレクトに決まる。このスポーティーな感触は当時、すでに人気者だった「ユーノス・ロードスター」よりもはるかに気持ちいいとひそかに思っていた。理由はいまも昔もわからんけど。

あれからだいたい30年。自分にとってビートはどんな存在だったんだろう? 初めて付き合った彼女、というベタな表現がピッタリすぎて恥ずかしいが、たぶんそれ。

そんな初恋のビートに2年前、まるで「あの人はいま!?」的なタイミングで引き合わされてしまった。試乗と撮影に際して借り出したそのビートは、超ミントコンディション。久方ぶりの再会を果たしたビートとまる一日を過ごして筆者は、頬を赤らめ、ついにここに思い至るのである。

「も、もう一度付き合ってください!」

  • ターボなんてない、8000回転まで軽快に回せるエンジンだった

    ターボなんてない、8000回転まで軽快に回せるエンジンだった

(文=宮崎正行)

ホンダ・ビート(1991年~1996年)解説

1991年5月に発売された、軽自動車初のミドシップスポーツカー。当時、世界最小のミドシップスポーツカーでもあった。ボディーサイズやエンジンキャパシティーなどは日本の軽自動車規格におさめられていたものの、隅々に至るまで本格的なつくり込みがなされており、大いに注目を集めた。

シートの背後に横置きされた656ccの直列3気筒エンジンは、「トゥデイ」用をベースに純スポーツカーユニットとして仕立て直したもの。過給機なしのSOHCながら3連スロットルなどでチューンされ、自主規制の限界となる64PSのパワーを搾り出した。

スタイリッシュなオープンボディーは、長めのホイールベースを確保したうえで高い剛性を実現。オートバイを思わせる独立3眼メーターパネルや、ゼブラ柄のシート表皮など、遊び心に富んだインテリアもファンの心をとらえた。

ホンダ・ビート 諸元

乗車定員:2人
車両型式: E-PP1
重量:760kg
全長:3295mm
全幅:1395mm
全高:1175mm
ホイールベース:2280mm
エンジン型式:E07A
エンジン種類:直列3気筒横置
排気量:656cc
最高出力:64PS/8100rpm
最大トルク:6.1kgf·m/7,000rpm
サスペンション形式: マクファーソン式式

(GAZOO編集部)