『ハチロクの先生』と呼ばれた家庭科教師が、自動車大学校の生徒に転身したワケ
クルマとの出会いは、時として人生を大きく変えるキッカケになることもある。例えば手に入れたことで趣味が大きく広がったり、新たな人やコミュニティとの関わりによってこれまでとは違った道が開けたり、クルマを中心としたライフスタイルに変化するなんて人もいる。そういった人にとってクルマは単なる移動ツールではなく、人生を楽しむための鍵となっていることは間違いないだろう。
そんな運命的なクルマと出会い、27年間もの間ハチロク一筋という『きゃさりん』さんが所有するのは、1985年式トヨタ・スプリンタートレノGTアペックス(AE86)だ。
ここで「いやいやトレノじゃなくてレビンでしょ」と思った方も少なくないだろうが、このクルマは紛れもなくトレノである。
そもそも“ハチロク”と一括りに親しまれているAE86だが、固定式ヘッドライトが特徴のカローラレビンと、リトラクタブルヘッドライトを採用するスプリンタートレノの姉妹車であり、2ドアクーペと3ドアハッチバックのボディバリエーションが用意されていたため同じ型式ながらも合計4タイプの選択肢が存在している。
基本的な骨格などは共通のため、きゃさりんさんのトレノのように顔まわりやテールランプなどを変更してトレノ⇄レビンへと見た目を変更することも可能なのだ。
免許を取った頃は特にクルマにこだわりはなく、なんとなく見かけた“かっとび"スターレット(EP71)がカッコいいなと思っていた程度だったというきゃさりんさん。はじめて購入したのは日産・マーチターボ(K10)で、スターレットと同じハッチバックだったこともあって違いはあまり気にしていなかったというくらい、クルマについての知識や興味は乏しかったそうだ。
「マーチも良かったんですけど、3速ATだったこともあって登り坂が厳しかったんですよ。そんな時にクルマ好きの友人から『MTの方がパワーバンドを使って走れるから登り坂も楽だよ』って教えてもらったんです。そうやって聞くとMTが欲しくなって、MTのカローラレビン(AE92)に乗り換えました。でも、その頃になるとまわりにもクルマ好きの友人も増えて、ただ走るだけじゃ物足りなくなって今度はドリフトがしたいって考えるようになって、友人から赤黒のレビン(AE86)を譲ってもらったんです。これが私にとってはじめてのハチロクでした」
クルマを通じた友人からいろいろな刺激を受けて興味を持ち始め、クルマに対する接し方も大きく変わっていったというきゃさりんさん。
とは言うものの、当時からハチロクは“イジる前提のベース車”として親しまれており、工具を触るスキルのない自分では手に負えないと思っていたため、ハチロクを手に入れる以前は「ハチロクだけは絶対に乗りたくない(乗れない)」と思っていたという。
しかし、いざ乗りはじめてみるとそんな不安も払拭され、どんどんハチロクの魅力にハマっていくことに。
そんなハチロク愛が高まったタイミングで巡り合ったのがこのトレノというわけだ。
「1台目のハチロクの面倒を見てもらっていたお店で『もっとキレイなハチロクがあるよ』って紹介されて、衝動的に購入しちゃったんです。ハチロクが2台になったので、元から持っていたレビンをサーキット用に作り変えたんですが、慣らし中に突っ込まれて廃車になっちゃったんですよ…。今も乗っているこっちのトレノは通勤で使っていたんですが、当時はハチロクで走っている女性ってほとんどいなかったこともあって、このクルマで通勤していると生徒から『ハチロクの先生』って呼ばれるようになって。こうなると引くに引けなくなって生涯乗り続ける決意が芽生えちゃったんです」
そう語るようにきゃさりんさんは、長らく学校で家庭科の先生を務めていたというから驚き。しかもピーク時にはハチロクを3台も同時所有していたというから、ハチロクの先生は的を射たアダ名とも言えるだろう。
ちなみに学校の先生は一昨年で退職し、今は自動車大学校の生徒としてクルマについて学んでいるという。その理由を伺うと「ハチロクを自分でメンテナンスしたいから」とのことで、目標はエンジンを自分で組むことだというからそのバイタリティには驚かされるばかり。
話を現在も愛車として乗り続けているトレノに戻すと、1997年に購入したあとすぐ外装をレビン化するとともに白×黒でオールペン。しかしこの時にお願いしたボディショップの技術が今ひとつだったため、数年で車内への雨漏りやボディの腐りといったダメージが徐々に進行していったという。
しばらくはそのまま乗り続けていたのだが、あまりにもボロくなりすぎて車検取得が難しいと言われてしまったため、2019年に改めてボディレストアを行い新車級のコンディションに蘇えらせたというわけだ。
ちなみにこのトレノをレストアする前に、あまりにもボロくなりすぎたため通勤車として新たなクルマを探していたところ3ドアのレビンが見つかったため、現在はピカピカのハチロク2台を所有していることになる。
ホイールはハチロク定番のトムス・井桁ホイール。もちろんこのほかにも何セットかハチロク用ホイールをストックしているというのも“クルマ好きあるある”だ。
「自宅にタイヤが溜まってしまったので、父親がタイヤラックを作ってくれたんです。だからそこに入る分は遠慮なくストックしておけるようになっちゃったんですよ(笑)」と言いながら、さらにボンネットやガラスなどのストックパーツも大量に保管しているというから、まさにハチロクに囲まれて生活しているという表現がピッタリ!
ボディのリフレッシュをおこなった際に、エンジンルームもリメイクを敢行。ヘッドカバーのお色直しやエキマニのバンテージ巻きなどは自分で作業をおこなったという。
プリントが消えてしまったヒューズボックスの蓋には、同僚だった書道の先生に描いてもらったという配置図を貼り付けている。市販ステッカーも販売されているが、こちらの方が味わいがあってお気に入りのポイントになっているそうだ。
そして、このハチロクの特徴と言えるのが、手作りされた内装パーツの数々。工具を握って作業をするのではなく、こういった手作業で行えるリペア&カスタムは元家庭科教師のスキルを活かせる得意分野というわけだ。
特にリアシートやパネル、カーペットを取り去ったラゲッジ部にはキルティング素材を利用したカバーをセット。ひと昔前はタイヤなどを積み込んで走っていたため、ハーネスを傷つけてしまうのを防止していたというが、見た目をスッキリさせる役割としても効果的だ。
紫外線による劣化を防ぐダッシュマットも自作アイテムで、カローラレビンの刺繍を施しているのはトレノではなくレビン派の証。
またリアゲートの内張も圧縮ボードを購入して自作したというが、ペイントを行なった面が裏になってしまったのは取り付け時に発覚した痛恨のミス。しかも材料費よりも安いリプレイスメントパーツが売っていると発覚したのも完成後だったというが、これも今ではいい思い出としてそのまま使っているという。
ドア内張なども染料スプレーを使ってDIYで塗り直しているそうだ。
製造開始からすでに40年も経過しているハチロクでは、インテリアパネルなど欠品しているクルマも少なくない。その点では内装のコンディションもよく、しっかりと残されているのはこれまで大切にしてきた証とも言えるだろう。
いっぽうで、購入してすぐにリアシートやラゲッジをドンガラ状態にしたのはきゃさりんさんのこだわり。
「リアシートって人を乗せることがないのですよね。だから軽量化のためにもリアの内装は購入してすぐに外しちゃいました。もちろん2名乗車に記載変更しているので、私にとってハチロクは2シータースポーツなんですよね」
助手席には置かれたカエルのぬいぐるみは『無事に帰る』ことを願った験担ぎ。旧車と呼ばれる世代のクルマだけに、過去には燃料ポンプのカプラーが溶けてしまったり、オルタネーターの故障といった定番トラブルで帰りつかないこともあったというが、致命的な状況には陥っていないのは「おまじないが効いている証拠」なのだとか。
ハチロクと末長く付き合っていくため、教師という職業から自動車大学校の学生へと転身したきゃさりんさん。「ほかに欲しいクルマがない」と断言するだけに、2台のハチロクを免許返納まで乗り続けるための下準備も着々と整えているというわけだ。クルマに対する意識を変革し人生の楽しみの幅を広げてくれたハチロクは、彼女にとってまさに運命のクルマだったのである。
取材協力:トヨタ東京自動車大学校(東京都八王子市館町2193)
(⽂: 西本尚恵 撮影: 中村レオ)
[GAZOO編集部]
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