少年時代に強烈な印象を受けた真っ赤なマツダ・ファミリアクーペとの日々

  • GAZOO愛車取材会の会場である稲佐山公園で取材したマツダ・ファミリアクーペ

    マツダ・ファミリアクーペ

今から50年以上も前のお話。中学校の陸上競技大会に出場するために、電車に乗って地元の大村市から長崎市内の競技会場へと向かっていた中尾さん。窓越しに流れる景色をぼんやり見ていた時に、ふと目に止まった赤いクルマがあった。これがファミリアクーペとの初めての出会いだった。

「なんて綺麗なカタチなんだろうと、強烈な印象を受けたのを今でもはっきり覚えています。それがファミリアクーペだと知ったのは、しばらくしてからでした。父親の影響もあって、クルマやオートバイが好きになったのは高校生くらいからですね。昭和40年代初頭の大村界隈は、自家用車を持っている家はまだ珍しかったんですが、家にはダイハツのフェローSSやホンダの125ccオートバイなどがあって、子供の頃はよく乗せてもらいました」

自動車免許を取得後は、中古の日産サニー1000を購入。このクルマは大学の通学から、大分県に住んでいた彼女(のちの奥様)に会いに行くための交通手段としても大活躍したという。当時は現在のように九州各所への高速道路は整備されておらず、大村から大分までは相当な時間を要したはずだが、それでも学校を卒業して就職した後も遠距離交際の期間は長く続いたそうだ。
そんな努力の末、めでたく結婚の話がまとまりかけた頃のこと。いつもどおり奥様を助手席に乗せて大分市内をサニーで走っていると、とある中古車店の店先にポツンと置かれたファミリアクーペを発見した。

「スポーツカー専門店とかではなく、ごく普通のクルマ屋さんでした。驚いたのと同時に、これを逃すともうファミリアクーペとは出会えないような気がして、その場でお店の方と掛け合って、購入の話を付けました。今考えるとお金の算段があった訳でもないのに、よく即決できたと思います(笑)」

ファミリアクーペの魅力は、独特のスタイルとクーペ専用のエンジンだと語る中尾さん。
4ドアのファミリアセダンがOHV・800ccであったのに対し、クーペはマツダ初となるオーバーヘッドカム方式を採用したツインキャブのPA型OHC・1000ccを搭載。最高出力はセダンを26馬力も上回る68馬力を発揮するというものだった。この日、取材会場に持参頂いたカタログには『最高時速 145キロ 0→400メートル 18.9秒』という性能データが誇らしげに表記されていた。

そんなファミリアクーペには当時のクルマならではの装備が。フロントのナンバープレート後方に設けられた穴に『クランク棒』を差し込んで回すことで、バッテリーが上がった時などに、手動でエンジンがかけられるのだ。今まで使用した経験は無いが、理屈上では始動は可能だろうとのこと。

ちなみに、奥様もクルマ好きで、そもそも当時はオートマチック車の方が珍しかったこともあり、マニュアルシフトの操作もお手のモノ。中尾さんの自宅にはクルマ2台を置くスペースが無かったため、ファミリアクーペは購入後しばらく奥様の実家で預かってもらい、結婚式の前日に大分から長崎まで自ら運転して来たという。

それから5年ほどの間、日産チェリークーペや三菱ランサーセレステ、日産スカイラインRSターボなど、メインカーは定期的に入れ替えられていたという中尾家。しかし、その傍でファミリアクーペはセカンドカーとして趣味の時間を楽しませてくれていたそうだ。
しかし、子供の誕生や東京への転勤が決まるなど、生活環境の変化に伴って次第に乗る機会が減少。東京から定期的に様子見で帰郷する訳にもいかず、当面の間、車検を切って実家の納屋で“冬眠保管”することを決断した。

「売却ですか? それはまったく考えなかったです。お気に入りのクルマですし、いつか仕事を引退した時、絶対にまた乗ろうと決めていましたから。この点については家内も何も言いませんでした」
そこからは熊本、東京、鹿児島、福岡、奄美大島、再び鹿児島と転勤に次ぐ転勤が繰り返されるなど、文字通り多忙を極める日々に。三人の子供たちがそれぞれ独り歩きを始め、勤務地が地元長崎・大村へと回帰するまで、気が付けば30年以上の時間が過ぎ去っていた。

ようやく故郷に腰が落ち着き、ファミリアクーペを冬眠から目覚めさせること思い立った中尾さん。しかし屋内での保管だったとはいえ、30年もの間不動状態であったためエンジンは内部が完全に固着。車軸部分も錆びつき、移動すら困難な状態に。いつの日か復活をと、ネットオークションで少しずつ部品を揃え始めていたものの、劣化の程度はとても素人の手に負えるものでは無かった。そんな時、以前国道沿いで見かけた整備工場の存在を思い出す。
「お店の前を通ると、いつも旧いクルマが止まっていました。あそこだったら話を聞いてもらえるかもと思い、飛び込みで訪ねて写真を見せながら現状を説明したところ、“これくらいなら、なんとかなるでしょう”と、心強い言葉をもらいました。そして数日後には納屋まで積載車で引き取りに来てくれました。その言葉の通り、レストア作業に預けてから9カ月間ほどで、見事な状態へと仕上げて下さいました」

当初ホワイトだった車体は塗料をすべて剥離した上で、中学生の頃に衝撃を受けたクルマそのものの純正レッド(メーカーでの呼称はトロピカルレッド)へと全塗装。内装に関しては40年ほど前の購入時のままだが、大きな問題はなかった。

また、自慢のOHCエンジンも入念な整備が行なわれ、近県で開催される旧車イベントに参加する際の高速巡航走行も余裕でこなした。雨天時の走行は極力避けているために、毎日乗ることは困難だが、コンディション管理のため週に一度は通勤に使用しているという。

「いたって普通に乗れますよ。クルマは定期的に動かすのが一番ですね。レストア後はオーディオも取り付けてベンチャーズやサンタナを聴きながら、のんびり走らせています。街を走っていると“コレはなんていうクルマですか?”と声を掛けられるんです。リヤには“Coupe”としか書いてないですから。よくよく考えると、セダンとクーペで搭載するエンジンまで変えるなんて、ほんと贅沢なクルマですよね」

「今の悩みといえば、補修用の部品探しとその値段の高さですね。納屋にもう一台、部品取り用のクーペを保有していますが、それでもカバーできないような、細々したパーツの入手には苦労しています。いつの日か、エンジンをオーバーホールするためにと、ネットオークションで見つけた純正のヘッドガスケットは4万5000円もしたんですよ!」

そんな苦労も、少年の頃に心を奪われた流麗なスタイルを前にすると許せてしまうという中尾さん。
ファミリアクーペの他にも、ホンダN360、趣味の釣り用のダイハツ・アトレー、そして平成3年に登場した日産フィガロは販売方式が抽選ということもあって軽い気持ちで申し込んだら当選してしまい購入したという代物だ。それらに加え、ホンダのCB750Fボルドールやモンキーも所有しているという。

クルマとバイクに囲まれた羨ましすぎる生活を満喫中で、現在、楽しみにしているのが、再メッキ加工から仕上がってきたバンパーの交換だという中尾さん。
その人生のパートナーとして、本当に大切に付き合っているファミリアクーペは、今後も月日が経つほどに手をかけて磨き上げられ、より一層の輝きを放ってくれることだろう。

(文: 高橋陽介 / 撮影: 平野 陽)

  • 許可を得て取材を行っています
  • 取材場所:稲佐山公園(長崎県長崎市大浜町)

[GAZOO編集部]