Dr.スランプで旧車好きに、初愛車スバル360だけで過ごすカーライフ



スバル360スーパーデラックス(以下、スバル360)を所有し、溺愛する榛の字(しんのじ)さん。けれど契約の直前まで別の旧車の購入を考えており、スバル360に乗る気は、まったくなかったそう。そんな榛の字さんとスバル360のお話です。

――榛の字さんは、いつ頃からクルマ好きだったのですか?

物心がついた頃には好きになっていました。大きく影響を受けたのは「Dr.スランプ」です。

――たしかに鳥山明先生の作品には、多くの旧車やバイクが描かれていますよね。

私はアニメから「Dr.スランプ」に入りました。作中に登場したフィアット「600ムルティプラ」が勇ましくも可愛らしく、一目で心を奪われましたね。クルマを好きになった原点がムルティプラですから、どうしたって旧車が好きになってしまいます。

あとモータースポーツが好きになったのは父親の影響です。スバル360との出会いも、父親が繋げてくれた縁があってこそになります。

高校生になっても変わらずクルマとモータースポーツが好きで、1リットルのガソリンで自作車の走行距離を競う「Hondaエコマイレッジチャレンジ」への参加を目的とした部に入りました。本戦で完走を目標にするレベルでしたが、それでも自動車の基本的な造りや機械いじりを学ぶことができ、部活動に打ち込んだ意義はあったと思っています。

――本戦に参加して完走できるのは、素晴らしい記録だと思います。
さて、榛の字さんは現在、スバル360を所有されていますが、これまで、どんなクルマに乗ってこられたのですか?

スバル360が初めてのクルマで、それからずっと所有し続けています。

――最初の購入で旧車ですか!? では、一緒に実用車を所有されているとか……

いえ、ずっとスバル360の一台です。買い物もドライブも、すべてスバル360に頑張ってもらっています。ただ、雨の中の走行は不安が多いので、基本的には晴れている日にしか乗っていません。

――てっきりスバル360のほかに、実用車を所有されているのだと思っていました。ではスバル360の購入に至った経緯を教えてください。

運転免許は18歳で取得したのですが、さすがに高校生にクルマを買えるだけの貯えはありません。就職して「そろそろ買ってもいいかな」って思えるまで、3年ほどかかりました。

クルマの購入を両親に反対される一幕もあったのですが、なんとか説得に成功します。近県の輸入中古車販売店に、憧れだった「フォード・コルティナ・ロータスMk1」が売られているのを知り、購入を検討。

さっそく父親の運転するクルマで見に出かけたのですが、ひどい事故渋滞に巻き込まれてしまって……。販売店の営業時間中に到着できそうもなく、その日の訪問を断念しました。

ガッカリする私を見かねた父親が「近くに旧友の経営している旧車の自動車整備工場があるから、見に行かないか」って声をかけてくれたんです。聞けば旧車の販売も行っているそう。どのようなクルマが売られているのか興味が湧き、訪問することにしました。

そこの店長さんに事情を話したうえで勧めてもらったのが、1967年式のスバル360スーパーデラックスでした。国産だったらホンダの「N360」や「S800」が憧れで、正直、スバル360を意識したことはありませんでした。

けれど店長さんから、1967年にN360が登場し、それまで人気だったスバル360は以降、販売が伸び悩んだこと。翌年に登場した「ヤングSS」にパワーで劣り、スーパーデラックスは不人気グレードであることなど、目の前のスバル360がたどった可哀想な境遇を聞いて、同情心が湧いてしまって(笑)

試乗したところ、想像以上に乗りやすく、また乗り心地もいいんです。なにより一挙一動が、私の感性にとてもしっくりくる。ロータス・コルティナやN360をあきらめたわけではありませんでしたが、「しばらくスバル360に乗ってみようかな」と思い、契約に至りました。

――いかがですか、ここまでスバル360を所有されての感想は。

小さくて非力なスバル360が頑張って走る姿は、けなげで可愛いですね。今時のクルマならば、なんてことのない時速40kmも、スバル360の運転席からは、すごく速く感じます。まるで大きなゴーカートのようです。乗り心地はトーションバーのおかげで、小さなバスに乗っているような感覚です。

スバル360に乗っていると、スムーズに走らせるための試行錯誤が楽しくなります。ただ、周りのクルマには遅くて迷惑をかけているでしょうから、そこは申し訳なく思っています。

――スバル360がのんびり走っている姿に、癒やされている方もいらっしゃると思いますよ。納車直後の写真と今の姿を見比べると、ボディカラーが違いますね。

納車時のボディカラーはパールホワイトでした。私としては、「この時代のクルマの塗装は、ソリッドでなくては」という思いがあり、ホワイトに塗り直したんです。作業中、ボディカラーが4色の層になっていることが判明し、あらためてこのスバル360は色んな人の手を渡り、私の元にたどり着いたことを実感しました。

あと、塗ってからわかったのですが、ホワイトは汚れが目立つんですね。なにかとスバル360は人目を引きますから、常に綺麗であるよう心がけています。

――榛の字さんのスバル360は、製造から57年も経っていますが、全体的な調子はいかがですか?

おかげさまで好調です。小さなトラブルは頻繁に発生しますが、それをトラブルと思わない程度には鍛えられました(笑)

今でこそエンジンがストップしても「ご機嫌斜めだね、今度はどうしたの?」って、余裕を持って対応できますが、はじめてエンジンストップに遭遇した時は、うろたえてなにもできず、結局、JAFに助けてもらいました。

スバル360を購入したお店に持ち込んで診てもらったところ、原因は点火系のトラブルで、対処法を知っていれば、その場で応急処置ができた類いのもの。こんなことで慌てふためいたのはオーナーとして恥ずかしく、「もっと、スバル360のことを知らなければならない」と思い至り、本や配信動画で勉強しました。事細かに整備方法や対処法の動画を配信してくれる先達には、本当に感謝しかありません。

エンジンを分解し、組み上げられるようになるのが目標ですが、道のりは遠そうです(笑)。

――機関部の理解には、エコマイレッジチャレンジの経験も生かされますね。

あと、調子とは違うのですが、納車直後くらいはパーツの欠品が深刻で、純正サイズのチューブタイヤをみつけるのも一苦労でした。けれど2016年にスバル360が「機械遺産」に登録されてからは、ずいぶんと(パーツをみつけるのが)楽になりましたね。

――スバル360に乗っていることで体験できた、思い出深い出来事はありますか?

やはり多くの人に助けられたことです。先のタイヤ探しの件ですが、タイヤ専門店ではどうしても見つからず、ダメ元でトラックのタイヤを扱うお店に問い合わせたことがありました。お店の方は事情を聞いてくれ、(旧車は)専門外なのに「全力で探します!」と言っていただき、元気づけられました。

とはいえ「難しいだろうな」と半分、諦めていたのですが、本当に2セット分もみつけてもらえ、ありがたさに涙が出そうになりましたね。ほかにも人づてにみつけてもらえたり、時にはストックを譲ってもらえたりと、多くの方のやさしさに触れることができました。

――たしかに、旧車だからこそ得られたやり取りですね

スバル360が繋げてくれた友人も、また宝物です。出先でクルマを停めていれば、同じスバル360オーナーや、別の車種の旧車オーナーが声をかけてくれます。また、その方が別のオーナーを紹介してくれ、ますます輪が広がります。

SNSでも一緒で、多くのスバル360オーナーや旧車オーナー、スバル360に興味を持つユーザーがフォローしてくれました。分からないことがあったら、すぐに大勢の方々が教えてくれるので、本当に助かっています。

――榛の字さんは積極的にSNSを活用されていますね。ポストの際に心がけていることはありますか?

スバル360や旧車の魅力を伝えたいのはもちろんですが、私は地元の里山風景が大好きなので、この土地の魅力を伝えられたらと思っています。あと、モータースポーツ観戦や旧車イベントに行った日は、どうしても熱を入れて語ってしまいますね。

――これまでに参加されたミーティングやオフ会で、特に思い出深いものを教えてください。

家から10分くらいの所に、よく旧車オーナーがドライブにくる場所があります。ぷらりとこの場所に出かけ、たまたまいる顔見知りと談笑するのが、今の一番の楽しみです。

――そんなに会えるものですか?

かなりの頻度で出会えます。訪れた時にいなくても、缶コーヒーを飲んで待っていれば、誰かしら現れます(笑)

参加したいと思うオフ会やイベントは多々あります。「Tokyo Bayside Classic Cup」、「JCCA筑波ミーティング」、スバル工場見学やビジターセンターに里帰り訪問、等々……。いずれも遠方での開催、施設なので、スバル360で訪れるには不安があるため、参加できずにいるのが正直なところです。

これまでに参加した大きなイベントは、富士スバルライン開設60周年を記念して開催された「富士スバルライン パレードRUN&五合目スペシャルイベント」です。多くの良い経験と思い出をいただいたのですが、より思い出深いのは、予行大会に位置する「富士山360フェス」です。

――「富士スバルライン パレードRUN&五合目スペシャルイベント」とは、どのようなイベントなのか、もう少し詳しく教えてください。

富士スバルライン開設60周年を記念し、また、親密な関わりを持つスバル自動車を盛り上げたい、地元の山梨県をPRしたいという目的のもと、立ち上がったイベントです。スバル車を中心に約130台が参加し、大変賑やかなイベントになりました。

――スバル360がこんなにたくさん! 盛観ですね。どういった経緯で参加に至ったのでしょう?

SNSの相互フォローに運営スタッフの方がいて、声をかけてもらったのがきっかけです。「富士山360フェス」は本大会の半年前、昨年の11月に開催されました。富士スバルラインで富士山の五合目を目指すのですが、「参加したものの、果たして私のスバル360で着けるのだろうか」と不安でいっぱいでした。

当日は三合目まで雲海状態で、一部のスタッフが先行して状況を確認。「来られますよ」との連絡があったので、私たちも出発。五合目の少し前で雲が薄くなり、到着する頃にはすっかり晴天になっていました。あの時の嬉しさと見事な光景を、私は一生忘れないと思います。

――スバル360の調子に変化はなかったんですか?

私も標高が上がることで、キャブレターの調子が悪くなると思っていたのですが、予想に反して終始好調でした。「この子(スバル360)は、頑張ればできる子」だって、あらためて確信しましたね。

――遠乗りの自信が少しついたのではないですか?
では最後になりますが、榛の字さんにとってスバル360の関係を一言でいうと何ですか?

定番ですが、やはり相棒です。恋人とは違う、お互いに「もっと頑張ろう!」って言いあえる間柄だと思っています。

ロータス・コルティナやN360も変わらず憧れではありますが、今はスバル360を手放してまで欲しいとは思っていません。この先、スバル360とはずっと一緒にいたいですね。

コロナ禍以降、旧車に関わるイベントは減ってしまったのが寂しいという榛の字さん。少しでも盛り上げるべく、今後も積極的にスバル360や旧車に関わるポストを続けるそうです。

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榛の字さん

(文・糸井賢一)

MORIZO on the Road