新車から58年。生涯寄り添うと誓った相棒のトヨペット・コロナ

  • 横浜ヒストリックカーデイで取材させていただいた1965年式トヨペット・コロナ(RT40-D)

    新車から維持してきた3代目トヨペット・コロナ

1957年にデビューしたトヨペット・コロナは、カローラとクラウンの間を担う乗用車の主力モデルとして、2001年まで40年以上に渡って生産されたロングセラーモデル。昭和の時代にはライバル車種だった日産ブルーバードと国内新車販売台数の首位争奪戦を繰り広げ、両者の頭文字をとった「BC戦争」と称されるほどの注目を集めたモデルだ。
横浜の赤レンガ倉庫前広場で開催された『横浜ヒストリックカーデイ』で出会った三嶋さんのコロナは、その3代目となる1965年式のRT40-D型。ナンバープレートの種別分類番号は一桁で、旧車マニア用語で言うところの“シングルナンバー”。つまり、当時のままのナンバープレートが装着された車両である。

そんなシングルナンバーを保っているオーナーの三嶋さん。なんと新車で購入してから現在に至るまで、半世紀超となる58年もの間、乗り続けているという。
「免許を取った19歳の時に、私たち兄弟が乗るクルマとして父が買ってくれたんです」
3人兄弟の兄は自動車免許を取得済みで、姉も取得予定。父は免許もクルマも持っていなかったので、兄弟が乗る家族のクルマとして、父の憧れであった“自家用車”を購入することを決めたそうだ。
数ある選択肢の中からなぜコロナを選んだのかを伺うと「人気があったというのもありますが、“アローライン”と名付けられた、フロントが後傾したスタイリングが気に入って、コロナに決めたんです」とのこと。
1960年代の国産車は丸みを帯びたスタイルが主流だったが、3代目コロナは角基調のボクシィなデザインを採用。“アローライン”の始まりとなるフロントマスクは、後方に傾斜したデザインを組み合わせ、それまでの乗用車とは異なる新しさを一目で感じさせてくれるものであった。

時は流れて三嶋家にコロナが来てからほぼ10年が経過した頃。
「結婚して娘が生まれたのを機に、埼玉に転居することになったんです。その時に、転居先で不便がないようにと、コロナを貰えることになりました」
それまでは三嶋さん兄弟の共同所有だったコロナだが、このタイミングで三嶋さん個人の愛車となったワケだ。

ちなみにそれまでの10年間、しっかりと定期点検や車検整備をディーラーで行なっていたので、大きなトラブルや不具合に見舞われることはなかったという。しかし、三嶋さんの個人所有となって初めての車検を受ける直前に、大きなトラブルが発生した。
「デファレンシャルギヤが欠けてしまって、動けなくなってしまったんです」
ちなみにデファレンシャルギヤというのは、エンジンの力を駆動輪に伝える歯車のひとつ。
立ち往生したのは、運よくこれまで整備を行ってきたディーラーの近くだったので、すぐにレッカー移動となったそうだが、ディーラーでは修理ではなく乗り換えを勧められたという。

現在でも車検直前にクルマが壊れてしまった場合には乗り換えを勧められることが多いが、当時は車検制度が現在とは異なり、新規登録から10年以上経過した自家用車は車検の有効期限が1年に変更されてしまったため、毎年車検を受けなくてはならない手間や費用を考慮して乗り換えを選択するケースが圧倒的に多かったのだ。
そんなこともあり乗り換えを勧められたのだが、三嶋さんは免許を取得して以来カーライフを共にしてきた愛車を手放す気にはならず、修理することを選択したのだという。

  • 横浜ヒストリックカーデイで取材させていただいた1965年式トヨペット・コロナ(RT40-D)

    オドメーターは小さな数字を示しているが、実際は50万km超えトヨペット・コロナ

それ以後、現在に至るまで乗り続けてきたコロナの走行距離はなんと50万km超。オドメーターは10万の桁がないので、10万kmごとにゼロに戻るから、現在6周目の距離を示していることになる。

  • 横浜ヒストリックカーデイで取材させていただいた1965年式トヨペット・コロナ(RT40-D)

    2RTエンジン4気筒直列頭上弁式 1490CC

もちろんこれだけの走行距離となれば一般的なメンテナンスだけで済むはずはなく、例えばクルマの心臓となるエンジンは24万kmでオーバーホールが施され、さらには42万kmで低走行の程度のいいエンジンに載せ換えているという。
「24万kmの時は、まだ部品を入手できたのでディーラーでしっかりオーバーホールできましたが、42万kmの時はオーバーホールするための部品が無く、もうダメかと思ったんです。でも、旧車の整備を得意とするショップさんが、走行距離10万kmの中古エンジンを用意してくれて、載せ換えることで復活できたんですよ」

メカニカルな部分だけでなく、ボディや内装もしっかりと手を入れることで、現在の美しい状態を保っている。
「乗り始めてから25年が経過した時点で、フロントフェンダーやドアに錆びが発生していたので、ディーラーでパネルごと交換しました。それ以外の部分は基本的に純正ペイントを保っています。それから、内装は8年ぐらい前に3回に分けて自動車内装の職人さんに再生してもらったんです。もちろん純正部品の供給は終了していましたから、元のモノに近い色や風合いの生地やレザーを使って作ってもらったんですよ」
その甲斐あって、内外装ともに、とても半世紀を経たとは思えないコンディションを保っていた。

  • 横浜ヒストリックカーデイで取材させていただいた1965年式トヨペット・コロナ(RT40-D)

    オールウェザータイプのデュアルヘッドランプ

60年近く乗り続けるコロナを操る印象を伺ってみると「見切りが良いので運転しやすいのが気に入っていますね。ボンネットがなだらかに傾斜しているので、クルマの先端が把握しやすいんです。フロントバンパーの左側には、新車で購入した時からコーナーポールを付けていますから、本当に運転しやすいです。それからシンプルで見やすいメーターや3速MTのコラムシフトも、運転しやすく感じる部分だと思います」

ちなみに現在では、MTというとフロアのセンタートンネルからシフトレバーが生えているのが一般的だが、昭和の時代には、乗員スペースを確保するなどの理由から、シフトレバーをハンドルコラムに配置するモデルが多かった。特にタクシーに使われる車種ではコラムシフトの採用率が高く、タクシーとしても重宝されたコロナにはコラムシフトが採用されていた。
「手前の上がリバースで、その下が1速、奥上が2速でその下が3速です」と三嶋さんがシフトパターンを解説して下さった。コラムMTは手前上が1速というものも多かったので、乗りなれないと前進するつもりでクラッチをつないだら、バックしてしまうなんてこともありそうだが、半世紀以上コロナと過ごしてきた三嶋さんは、無意識で手前下にコラムレバーを操作して前進しているのであろう。

赤レンガ倉庫で展示されていたコロナの傍には、三嶋さん手作りのサインボードが置かれていた。そこには「総走行距離数 500,000km 到達」と記される他、50万kmまでの通過点となる10万〜40万kmの到達日と、所要日数なども記されていた。
新車から乗り続けるワンオーナー車だからこそ、そしてしっかりと走行やメンテナンスの記録を残してきた愛車だからこそ、記すことができる内容だ。
そして、そのボードは「これからも相棒コロナ君と、二人三脚で共に長生きできれば嬉しい!」という言葉で締めくくられていた。
60万kmまでの道のりはまだ始まったばかりだが、三嶋さんとコロナ君なら、二人三脚で達成できてしまう気がしてならない。

<クレジット>
取材協力:横浜ヒストリックカーデイ

(⽂:坪内英樹 / 撮影:土屋勇人)
[GAZOO編集部]