そのカッコよさにみんなシビれた! 憧れた! 初代「日産フェアレディZ」を振り返る・・・懐かしの名車をプレイバック

米国で爆発的なヒットを飛ばし、日本でも見るものをとりこにした初代「日産フェアレディZ」。ロングノーズ・ショートデッキのスポーツカーがもたらした衝撃を、自身もZに憧れたというモータージャーナリストの清水草一氏が振り返る。

カッコよさは正義だ!

初代フェアレディZが誕生したのは、1969年。今から55年前のことだ。アポロ11号が月面着陸に成功した年、日産が送り出したこのスポーツカーは世界(主に北米)を席巻し、その後の9年間で52万台を売った。

私は初代フェアレディZについて、正直なところ詳しくない。運転した経験もたったの2回。しかもそのときはすでにネオクラシックカーになっていて、1台はガタガタ、もう1台は大改造車だった。新車時の実力についてはまるでわからない。しかしそれでも、フェアレディZの素晴らしさを十分に語ることができる。なぜならフェアレディZの魅力は、なによりもそのスタイリングにあるからだ。

初代Zの生みの親と言われる片山 豊氏(米国日産社長・当時)は、日産本社に対して「『ジャガーEタイプ』のようなスポーツカーをつくってくれ」と注文したという。1961年に発表されたジャガーEタイプは、超ロングノーズ・ショートデッキの古典的で美しいフォルムを持ち、アメリカで大ヒットしていた。その廉価版をフェアレディZは狙ったのである。

確かにジャガーEタイプは素晴らしく美しいが、私は初代フェアレディZ(2シーターモデル)のほうがカッコいいと思う。カッコいいと美しいは微妙に意味が異なるが、カッコよさではフェアレディZの右に出るクルマはほとんどない。同じロングノーズ・ショートデッキのスポーツカーたちと比べても、初代フェアレディZのカッコよさは際立っている。ジャガーEタイプよりも、「フェラーリ275GTB」よりもカッコいい(断言)。サイズが適度にコンパクトで凝縮感が高いうえに、フォルムのバランスがベストなのである。ノーズの長さ、厚み、尻下がりのルーフライン、すべてが完璧だ。全高は決して低すぎず、気軽に乗り込めそうなフレンドリーさもある。そして決して美しすぎず、最高にカッコいいのである。このカッコよさは奇跡的と言うしかない。初代フェアレディZの魅力は、スタイリングが7割くらいを占めるのではないだろうか。

一応スタイリングの弱点も挙げておくと、ノーマルのタイヤサイズは現代の基準から見てあまりにも細く、トレッドが狭く感じる。タイヤサイズは6.95H-14-4PR。現代語にすると175/82R14となる(たぶん)。実はノーマルの実車を目にしたのは、数年前、現行フェアレディZの隣に展示されていた個体を見たときが初めてで、やっぱりその点だけは気にかかった。もっとも、私が青年になったころにはすでに、ノーマルタイヤ/ホイールのまま走っている初代Zなど存在しなかったから、問題は解決済みだったのだが。

みんなの手が届くスポーツカー

もちろんフェアレディZの魅力は、デザインだけではない。アメリカでは、1t前後の車両重量に対する2.4リッター直6エンジンのパワーやトルク、4輪独立ストラットサスペンションの足まわりも絶賛されたという。それでいて価格がリーズナブル(当初3596ドル≒130万円)で、コストパフォーマンスが最高だったのである。

ただ、2.4リッターエンジン(L24型)を積んだ、いわゆる「240Z」(にーよんまるぜっと)は、日本国内では稀有(けう)な存在で、販売のほとんどを2リッター(L20型)モデルが占めていた。240Zは幻の存在に近かったし、“ハコスカGT-R”と同じS20型エンジンを積んだ伝説の「Z432」など、それこそ完全な幻だった。日本人が熱狂したのは、100万円前後で買うことができた2リッターモデルであり、その動力性能は、当時もそれほど優れていたわけではなかったはずだが、そんなことは問題ではない。

思えばあの時代、2シーターのスポーツカーというだけでものすごいぜいたく品で、それだけで憧れの的だった。3ナンバー車(排気量2リッターオーバー)も超ぜいたく品。その両方を兼ね備えた240ZGの2シーターモデルは、まず拝めない霊獣のようなものだった。その威光に誰もがひれ伏し、2リッターの2by2でも「Zだ!」「カッコイイ!」となったのである。

私は1980年代初頭、大学サークルの先輩が乗る2代目フェアレディの「280Z」(2シーター)を、ほんの少しだけ運転させたもらったことがある。そのとき何に感動したかといえば、L28型エンジンのドロッと重厚なトルクと、運転席から見るロングノーズ越しの景色だった。それだけでケタはずれの特別感。アメリカで初代Zが売れに売れた理由を、あの体験からおぼろげに理解している。

そして今、初代フェアレディZは、6代目にあたる現行フェアレディZのモチーフとしてよみがえった。Zの命はカッコにある。歴代Zのなかで最もカッコいい初代のカッコが、かなりの部分復活したのである。私は現行フェアレディZを見ると、微妙に目頭が熱くなる。それは、自分の脳内に存在する「世界で一番カッコいいクルマ」の復活劇なのである。

(文=清水草一)

初代 日産フェアレディZ(1969年~1978年)解説

今もその名が受け継がれる日産のスポーツカー「フェアレディZ」が誕生したのは、1969年10月のこと。ロングノーズ・ショートデッキの大胆なスタイリングや、パワフルな直列6気筒エンジン、そして手ごろな価格設定で、爆発的な人気を博した。

仕掛け人は当時アメリカ日産の社長だった片山 豊氏で、北米での日産/ダットサンの存在感を高めるべく、デイリーユースにも気兼ねなく使えて、パワフルでスタイリッシュなスポーツカーの企画を提案。その狙いが見事にはまり、後世に名を残す名車が誕生した。

日本ではスタンダードモデルに加えて、DOHCエンジンの高性能モデル「Z432」や豪華装備の「Z-L」もラインナップ。後に4人乗りの「2by2」なども設定されたが、特に憧れの的となったのは、北米仕様の2.4リッターエンジンを搭載した「240Z」と、さらにFRP製のノーズピース、ヘッドライトカバー、オーバーフェンダーを備えた「240ZG」だった。

上級グレードともなると動力性能も申し分なく、特に240ZGは、空気抵抗の小ささもあって210km/hという最高速を実現。モータースポーツの世界でも、サーキットを駆けるレースに道なき道をゆくラリーと、フェアレディZはさまざまな舞台で活躍した。

初代 日産フェアレディZ 諸元

乗車定員:2人
重量:1040kg
全長:4115mm
全幅:1630mm
全高:1290mm
ホイールベース:2305mm
エンジン型式:-
エンジン種類:直列6気筒
排気量:1989cc
最高出力:160PS/7000rpm
最大トルク:18.0kgf·m/5600rpm
サスペンション形式: (前)マクファーソンストラット(後)ストラット

(GAZOO編集部)