29歳のオーナーが受け継いだのは、父が引き取った“発注ミス車”の1990年式ホンダ プレリュード Si 4WS(BA5型)

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)

その人が持つ「運」が人生を大きく左右する場面があるように、クルマにも同じことが起こりうるのだろうか。

納車されたその日から生涯にわたって1人のオーナーの元で大切にしてもらえるクルマは幸せだ。なかには解体工場まで同行して、愛車の最後を見届けて涙するオーナーもいるという(愛車のキーだけは手元に残して大切に保管したそうだ)。

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)のホンダのエンブレム

その反面、雑に扱われ、傷だらけにされた挙げ句にまるでクルマをゴミ箱に捨てるかのように売却するオーナーも実在する。そもそもクルマは機械のカタマリであり、意思を持たない。どれほどていねいに、また酷使しようとも乗り手の意思に従うまでだが、日々、接していて意思のようなものを感じるのもまた事実だ。

今回、取材が実現したオーナーが所有する愛車も、数奇な運命をたどり現在にいたっているという。ひとついえることは、このクルマにとって、出生は不本意だったかもしれないが、結果として非常に幸せな環境にあることを強く実感できた。何しろオーナーの想い入れが半端ではないのだ。そのエピソードをご紹介する。

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)のメーター

「このクルマは、1990年式ホンダ プレリュード Si 4WS(BA5型/以下、プレリュード)です。父が新車で手に入れてからいちど手放したあと数年後に戻ってきて、私が18歳になったタイミングで譲り受けたクルマです。私はいま29歳なので、所有歴11年。親子間ではトータル30年くらいになります。現在の走行距離が約16万6千キロ。そのうち、私が稼いだ距離は5万キロくらいです」

プレリュードという車名を聞いて、往年のクルマ好きであれば「デートカーとして人気を博したスペシャルティクーペ」と記憶しているはずだ。初代モデルは1978年にデビュー、その後1982年に2代目へとフルモデルチェンジされ、オーナーが所有する個体は1987年にデビューした3代目の後期モデルにあたる。

その後、5代目までモデルチェンジを重ね、2001年に販売を終了した。昨年開催されたジャパンモビリティショー2023において「プレリュードコンセプト」が発表され、大いに注目されたことは記憶に新しい。

オーナーが所有するプレリュードのボディサイズは、全長×全幅×全高:4520×1695×1295mm。駆動方式はFF。「B20A型」と呼ばれる排気量1958cc、直列4気筒DOHCエンジンが搭載され、最高出力は140馬力(ATの場合/MTは145馬力)を誇る。なお、プレリュードの車名の由来は、英語で「前奏曲」または「先駆け」を意味する。

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)のエンジンルーム

まずはファーストオーナーである彼の父親がプレリュードを手に入れた経緯について伺ってみた。

「実はこのプレリュード、発注ミスでディーラーの在庫車となったクルマを、当時ホンダベルノ店のメカニックだった父親が引き取る形で買ったクルマなんです。もともと父は2代目プレリュードとこの3代目の前期モデルを乗り継いでいたようなんですが、どうもしっくりこなかったみたいで、他に所有していたランサーターボといっしょに手放してしまったそうです。次のクルマを探していたときに話がきて『半ば渋々』買い取ったと聞いています」

プレリュードといえばサンルーフ、そして手触りのよいエクセーヌシート。実車を拝見する限りでは、いったいどこが発注ミス車なのかさっぱり分からないほど豪華な内装だが…。これにはオーナーなりの見解があるそうだ。

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)の運転席

「あくまでも私の推測ですが『最上級グレードの全部付き(フルオプション)仕様』が、本来納車される方の希望だったのではないかと思います。しかし、実際に届いてみたらエアコンレス状態。…というのも、当時、オートエアコンはメーカーオプションで、マニュアルエアコンはディーラーオプション扱いだったんです。何らかの手違いでマニュアルエアコン仕様として発注されてしまったのだと思われます。結局、後にオーナーとなる父親がマニュアルエアコンを取り付けたそうです」

それにしても、オーナーの父親は気の毒としかいいようがない。

「当時のプレリュードは黒・赤・白が人気色でしたから、この“マジソンブルーパール”はどちらかというと不人気色だったようです。しかも最上級グレードの(フルオートエアコン以外は)全部付き仕様ですから、好みが分かれるためお客様には売りづらい。そこへ前述のようにクルマを探している父親に白羽の矢が立てられたわけですが、内心では4WSなんていらないし、グレードももっと低いモデルでいいのに…と思っていたようです」

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)

少なくとも当時は恵まれた環境とはいえなかったであろうプレリュードを眺めつつ、オーナーと筆者、同じことを考えていたようだ。

「その後どうなったのかは分かりませんが、本来の『最上級グレードの全部付き仕様』を手に入れたであろうオーナーさんがいまでもこの型のプレリュードに乗っているかというと…おそらく乗っていない気がするんですよね。それなのに、発注ミスで生まれたこのプレリュードが生き残っているって何だか不思議ですよね」

まったく同感だ。このプレリュードにとっても、本来嫁ぐはずだったオーナーに断られ、代わりに引き取られた先(つまりオーナーの父親)でもあまり歓迎されず……と、さんざんなスタートだったはずだ。しかし、30年以上経った現在でもこうして(しかも親子2代で)大切にされているのだから、人生(車生?)何が起こるか分からない。

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)のリトラクタブルヘッドライト

そしてオーナーが父親からプレリュードを受け継ぐきっかけになったともいえる「原体験」について振り返ってもらった。

「私が5、6歳の頃だったと思います。父はホンダベルノの整備士を経て、祖父の後を継いで実家の整備工場に勤めていました。そのとき私も父の職場に来ていて、夜、家まで帰るときにプレリュードのエンジンを掛けてヘッドライトを点灯する際、何もないところから“パカッ”とライトが光ったように見えたんですね。

助手席に乗り込んでみたら着座位置は低いし、天井を見ると不意にサンルーフが開いて空が見えたんです。当時の自分には未来のクルマというか、スーパーカーに映りましたね。そのとき父に“将来、運転免許を取ったら自分がこのプレリュードに乗るから、それまでとっておいて”と伝えたことを覚えています」

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)のサンルーフ

これぞまさに原体験!!その後のオーナーのカーライフが決まった瞬間かもしれない。しかし、当時のオーナーが運転免許を取得し、自らプレリュードを運転できるようになるまでまだ10数年掛かる。

「そうなんです。でも、父親も私が言ったことを覚えていてくれたみたいで、整備工場の敷地内に置いてくれていました。しかしその後、私が8歳頃、他の人にプレリュードを譲ってしまったんです……」

将来、自分が乗るはずだと信じていたプレリュードがいなくなってしまった。これは相当にショックだったに違いない。だが、オーナーの父親は整備工場を営んでいる。修理や車検などでプレリュードがいわゆる「里帰り」することもあったのだろうか。

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)のエンジンのホンダエンブレム

「プレリュードを他の人に譲ったあとも、車検整備などで工場に戻ってくることがありました。でも、何日かして、学校に行って帰ってくるとプレリュードが見当たらない。いま思えば整備が終わって戻っていったんでしょうね。あれは寂しかったですね。父親にも“約束が違うじゃん!”っていいましたし」

ところが、それから数年が経ち、無事プレリュードが戻ってきたという。

「譲った方があまり乗らなかったのと、ちょっと扱いが雑だったみたいで。父親としてもプレリュードを手放すのは本意ではなかったのかもしれません。その後、紆余曲折があり、私が11歳頃、手放してから4年くらい経って我が家に戻ってきました」

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)のステアリング

しかし、一難去ってまた一難。当時10代前半のオーナーはまだ運転免許を取得できない状況のままだ。

「無事にプレリュードが戻ってきたわけですが、当時私はまだ小学校高学年でした。ちょうどナンバーが2ケタから3ケタに切り替わるタイミングで、プレリュードの2ケタナンバーの価値も理解できていました。そこで父親に“2ケタナンバーを切らないで!”と頼み込んだんですが『誰がお金を払うんだ!』のひと言で却下(苦笑)。

しかも、ほぼ同じタイミングで母親が乗っていたグランドシビックも売却先から戻ってきて……。プレリュードとシビックの両方は置いておけないという理由で、シビックは廃車になってしまったんです。いま思えばもったいないですよね」

いわゆる旧車人気が高まってきている現在であれば「お宝」だが、当時は査定をしても価値がないといわれてしまった時代だ。なんとももったいない話であることは間違いないのだが……。

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)

そして時は流れ、オーナーも18歳になり、無事に運転免許を取得できた。そしてついに念願のプレリュードを受け継ぐときがやってきたのだ!が、そう簡単にコトは進まなかった。

「父親に『初心者のときからあんなにいいクルマに乗るな』と、しばらくは整備工場にあった代車で運転を練習しました。いちばん最初に運転したのは、トヨタ スターレット リミックスでした。リアゲートに背面タイヤが装備されている、ヤリスクロスの先駆けみたいなクルマです。当時もですが、いまは相当レアな1台ですよね。結局、プレリュードに乗っていいといわれたのは18歳になった年の秋に入ってからでした」

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)の正面

ナンバーは2ケタではなくなってしまったが、新たにナンバーを取得する際、父親が粋な計らいをしてくれたのだという。

「父親が希望ナンバーを申請してくれて。数字を見て“?”と思ったんですが、私の誕生日にしてくれたんですね。あれはうれしかったですね。いま、通勤で使っている先代のシビックのナンバーも同じ数字にするくらい気に入っています」

時間が掛かったが、ついに念願のプレリュードオーナーとなった。晴れて自分の運転でプレリュードに乗れたときの率直な感想について伺ってみた。

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)のリア

「小さい頃から間近で見てきたプレリュードがついに自分の愛車になって……。もう何ともいえない高揚感を味わいました。運転してみると、プレリュードとならどこにでも行けるっていう感覚になりましたね」

まさしくオーナーの人生を変えたクルマが愛車になった瞬間だ。

「そうなんです。このプレリュードがなかったら、祖父や父と同じ自動車整備士の道を目指していなかったかもしれません。自宅から自動車整備の学校が離れていたため寮生活でしたが、学生時代の4年間は基本的にバイクでしたが、冬場は寒いので、春先までの数ヶ月間は寮の近くに駐車場を借りてプレリュードで帰省していたんです。学校を卒業して寮を出る最後の日、学生生活のことを振り返りながら自宅まで帰宅したことも覚えています」

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)のホイール

オーナーの原体験でもあり、人生を変えたプレリュード以外、例えば現代のクルマに興味はないのだろうか?

「現代のクルマで唯一、興味を持ったのが先代モデルのシビックだけですね。実際に所有してみたら、燃費がよく、パワーもある。さらに安全装備も充実している本当に“イイクルマ”だと実感しました。ただ……、運転しているときのワクワク感はプレリュードの方が上なんです」

失礼ながらクルマ好きなら誰もが思うであろう質問をぶつけてみた。なぜシビックはタイプRを選ばなかったのだろうか?

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)の運転席

「シビックは通勤がメインなので、ランニングコストで諦めました(笑)。先代のシビックタイプRのタイヤサイズは20インチ、ブレーキはブレンボ製です。私のシビックのタイヤサイズは18インチ。まだこちらの方がコストパフォーマンスがいいので。あとシビックタイプRは4人乗りだけど、ノーマルのシビックは5人乗りなんですよね」

本当に必要なクルマを見極めて選ぶあたり、さすがに現役のメカニックというべきか。

「あとは、これはマニアな発言かもしれませんが、タイプRやVTECよりも、さらにはSi-Rよりも“Si”に惹かれてしまうんです。これはもう原体験が影響しているでしょうね。もし父親がVTECエンジンやタイプRのホンダ車を所有していたら確実に影響を受けていたはずですから」

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)のシフトノブ

そしてオーナーのプレリュードをじっくりと拝見してみると、オリジナル度が高いことが分かる。特にオーディオに関しても当時モノのようだ。

「いちど他のオーナーさんの手に渡ったとき、社外のオーディオに交換されていたんです。自分としてはそれが納得できなくて。時代考証を意識して選んでいます。カセットデッキは前期モデルの純正品、CDもほぼ同年代のオプション品です。ヤフーオークションで30機くらい落札して、もっとも状態がいいものを装着しています。試行錯誤しましたが普通に使えますよ。

あと、リアの3ウェイスピーカーも当時モノの純正品です。コーンが破けていたので、電装系に強い友人に直してもらいました。ドアの部分にツイーターを付けていますが、カバーを加工しないと装着できないので、すぐにノーマル戻しができるようにもう1セット用意してあります」

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)のサイド

それ以外のモディファイにもこだわりを感じる。

「純正マフラーは配管に穴が開いてしまい、部品がでないので、私がまだ10代の頃にフジツボ製の“純正っぽい”マフラーをアルバイトで貯めたお金をはたいてヤフーオークションで落札しました。ドアの部分のデカールは現行N-Oneのディーラーオプション品からの流用なんです。“デカールボディセット”として誰でも購入できます。

塗装はボンネットとトランク、ルーフの部分は純正色でオールペンしていますが、それ以外の部分はオリジナルの状態を維持しています。リアガラスのピラーとか、一部塗装が剥がれてメッキが露出している部分もありますが、これは経年劣化なので仕方ないです」

とオーナーは謙遜するが、このコンディションを維持するには日々の積み重ねが必要なはず。まさに親子2代にわたって大切にしてきた努力の結晶といえるだろう。

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)のマフラー

「そのときどきで可能な限り、保管環境には気を配ってきたつもりです。いまは、一人暮らしで普段はシビックに乗り、プレリュードは実家に預けているんですが、これまでは倉庫に置いていたのに追い出されてしまったんです。というのも、父が数年前にドラマ「華麗なる刑事」の劇中で草刈正雄が乗っていた三菱 ギャランラムダを購入しまして(苦笑)。父親にとって、ギャランラムダが私にとってのプレリュードにあたるみたいで。一応、屋根付きの駐車場にプレリュードを置かせてもらっているので、ボディカバーを被せつつ、定期的に窓を開けて換気するようにしています」

なんとオーナーだけでなく、父親も同様の原体験をしていたとは(しかもそのクルマを手に入れてしまったとは・笑)。

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)のPRELUDEロゴ

最後に、野暮な質問だが敢えて聞いてみたい。このプレリュードと今後どう接していくつもりなのだろうか?

「心境としては“もう自分の命が尽きるまでは乗りたい”ですね。自分が生まれる前から家にあるクルマですし、存在することがあたりまえすぎて“自分の人生において存在しない”という状況がまったく想像できないんです。

私と同じ年代のプレリュードが集まるイベントに参加したことが何度かあり、お互いの愛車の仕様をチェックするんですが“Si+4WS+ALB+エクセーヌ内装"を装備する仕様って他に見たことがないんですね。もしかしたら…この仕様のプレリュードで現存するのはこの個体だけかもしれません。もし本当にそうだとしたら、自分がきちんと面倒を見て維持していかなければと思わされますよね。

とにかくこの年代のホンダ車は専用設計の箇所が多くて、まったくといっていいほど部品がありませんが、部品取り車を見つけてきたり、アメリカから輸入したり、あらゆる手を尽くして直します。私が小さい頃の約束を覚えていてくれて、こうやってプレリュードを託してくれた父親にも感謝しています」

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)の運転席

5ナンバー車とは思えないほど存在感のあるフォルム、一瞬で表情を変えるリトラクタブルヘッドライト、高級感のあるエクセーヌ内装&シート。その魅力は30年以上経ったいまでもまったく色褪せない。それどころか、各部の造り込みやコストを掛けているであろう各部の仕上がり。当時の作り手のプライドを垣間見た気がする。

3代目プレリュードは17万台以上のクルマが世に送り出されたという。当時、このプレリュードに憧れ、無茶なローンを組んででも手に入れた若者もいたことだろう。しかし、最近は街中で見掛ける機会も激減したように思う。その多くが姿を消してしまったのではないかと推察する。

  • リトラクタブルヘッドライトを開いたホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)

この個体の出生は決して恵まれたものではなかったかもしれない。月日が流れ、あれほど街中で見掛けたプレリュードも、気がつけば多くの仲間が姿を消していった。

昭和という時代に一世を風靡したその雰囲気を色濃く残したオーナーの個体は、もはや後世に残すべき文化財の域に入りつつあることに人々が気づきつつある。オーナーとともにこのクルマの魅力を後世に伝えるプレリュード(前奏曲)が、いまはじまろうとしている。

  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)のサンフール越しの運転席
  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)のフロア
  • ホンダ・プレリュード Si 4WS(BA5)

(取材・文: 松村透<株式会社キズナノート> / 編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)

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