ペンキで手塗りしたホンダ アクティ バンの、とてつもない「自由」
昔の列車の寝台客車のようにも見えるトレーラーハウスの前に、オリーブ色と緑の2トーンカラー、いやルーフのホワイトも入れて3色に塗り分けられたホンダ アクティ バンがある。だが緑のアクティ バンを近くからよくよく見てみれば、その塗装はきわめていびつである。
ここは、神奈川県横須賀市の長浜海岸を一望できる場所に作られたトレーラーハウス型ホテル『The Galaxy Express NAHAMA(ザ・ギャラクシー・エキスプレス・ナハマ)』。写っている人物はオーナーである井出玄一さんと、その娘さんだ。そして緑のアクティ バンは、井出さんと娘さんが2色のペンキで手塗りした宿泊客用の送迎車。ただし、同時に「井出家のファミリーカー」でもある。
「ゴージャス」「デラックス」「ビッグ」みたいな単語とは対極に位置しているように見える、井出さん所有のホテルと車、つまりは「井出さんの生き方」。だが井出さんは、もともとは大手プラントエンジニアリング企業のサラリーマンだった。
「大学は法学部だったのですが、『自分はやっぱりモノを作る仕事がしたい』ということで、卒業後は米国テキサス州の大学院で建築を学びました。日本の建築学科はたぶん完全理系だと思うのですが、向こうの建築学科には理系と文系の中間的な分野もあるんですよね」
3年かけて建築学修士の学位を取って帰国。そして前述した大手プラントエンジニアリング企業に入社し、巨大プラントを中東の砂漠のど真ん中に作るような仕事に5年間従事した。
「ビッグプロジェクトですからもちろん面白いですし、やりがいも感じられたのですが、『でも、自分がやりたいことはこれじゃなかったな』ということに気づいたんですね。私がやりたいのは、なんていうか、もっとこう『人にとって身近なモノを作っていくこと』だったんです」
小規模店舗の企画とデザインなどを行う会社を自ら立ち上げると同時に、「移動」をひとつのキーワードとする生き方に傾倒していった。
「今の僕ら人間というのは、一つの場所に生まれ育ち、そこにローンで家を建て、子どもを育てて養って――という、固定された場所にひもづいた生活をしていますよね。もちろんそれが悪いこととは思いませんが、そういった生き方を窮屈と感じている人も増えているんじゃないか……って思うんですよね」
人はもっと移動しながら暮らしても良いのではないか――と考えた井出さんは、店舗プロデュースという生業のかたわら、都市の水辺と水上をもっと楽しく活用することをテーマとする一般社団法人『BOAT PEOPLE Association』を立ち上げ、「移動するレンタルスペース」である『LOB表参道』も作った。
そしてその延長線上にある取り組みとして2019年12月、三浦半島の長浜海岸にオープンさせたのが、このトレーラーハウス型グランピングホステル『The Galaxy Express NAHAMA』だった。
「水辺を自由に移動しながら生きるような暮らしを、陸の上でもできたら楽しいだろうな――というアイデアが、The Galaxy Express NAHAMAの出発点でした」
長浜海岸から目と鼻の先に設置された合計3つのトレーラーハウスが、そこから実際に移動することは(今のところ)ない。だが「移動できる可能性を秘めている」という点が、人の精神に強い影響を与えるのでは――と井出さんは考えた。
そして「ゴージャス」あるいは「ビッグ」といった概念とは正反対の「ミニマムな空間で暮らすことの気持ち良さ」を、多くの人に知ってほしいという思いもあった。
そういった想いから設立準備が始まったトレーラーハウス型ホテルの「社用車」として2021年2月に購入したのが、ホンダ アクティ バンだった。
「お客様の送迎に使ったり、ホテルに必要な大きな什器を運んだりするには、やっぱりこういった軽バンが便利ですからね。それに、ゆくゆくはの話ですが、宿泊されるお客様に車を貸し出したいとも思ったんです。それには、ちょっとぶつけたりしても気にならないぐらいの車のほうがいいでしょうし(笑)」
18万円で購入した、ごく普通の真っ白な中古のホンダ アクティ バン。それをすぐに塗装した。業者にオールペンを依頼したのではなく、娘さん、息子さんと一緒にペンキと刷毛で塗ったのだ。
「どうやら世の中には格安オールペンというのもあるらしいことを最近知ったのですが、当時はまったく知らなかったので、ごく当たり前に『じゃ、ペンキで塗るか』ぐらいに考えたんですよね」
とはいえ雨風にさらされることになる車の塗装に、ごく普通のペンキはおそらく不向きであろうとは思った。
「そのため、実家近くのべンジャミンムーアというアメリカのペンキ屋さんに相談してみたんです。すると、『建材の外壁用ペンキならかなり食いつきが強いので、おそらくは車のボディにも耐えうるのでは?』という見解でした」
さっそく自己責任で2色の外壁用ペンキを1缶ずつ買い、春休み中だった娘さんと息子さんに手伝ってもらいながら、2日間でサッと二度塗りして完成させた。
「素人と子どもが刷毛で塗ったわけですから当然ムラはすごいですが、まぁこれはこれで味かなと。そして塗ってから1年以上がたちましたが、塗料のはがれとかはまったく起きてないですよ。今のところ、普通に大丈夫です」
ホンダ アクティを購入した時点での井出家のファミリーカーは、英国のランドローバー ディスカバリー2だった。当初はディスカバリー2とアクティ バンを併用していたが、すぐにディスカバリー2はエアサスペンションが故障したため手放すこととなり、結果として「井出家の車」は18万円+ペンキ代のホンダ アクティ バンのみとなった。
「子どもたちはイギリスの車に慣れていたので、最初は『え~!』みたいな感じで嫌がってました。でも、自分たちで色を塗ったあたりから愛着も生まれたみたいで、そのうち文句は言わなくなりましたね。もちろん、乗り心地とかに満足してるわけでもないのでしょうが(笑)』
緑系の2トーンカラーに生まれ変わった18万円のホンダ アクティ バンは、前述してきたとおりの宿泊客送迎用として、ホテルの大きな器具の運搬用として、そして3人の子どもたちをさまざまな場所まで送り届けるための車として、八面六臂の活躍をしている。
「とにかくこの積載力には驚いています。ディスカバリー2ではシートを全部倒しても積めなかったモノを、アクティ バンは軽く呑み込んじゃうのですから。4WDゆえに、この界隈に多い坂道にもめっぽう強いという部分と併せ、個人的には大いに気に入ってますね」
海辺にトレーラーハウス型の宿泊施設を作り、18万円の軽バンをペンキで塗装しながら乗っている人物――というと、「極度のミニマリスト」あるいは「昔で言うヒッピーみたいな人」という人物像を、もしかしたらイメージするかもしれない。
だが実際の井出玄一さんは――もしかしたらそういった部分も持ち合わせているのかもしれないが――そうではない。「さすがに都内の自宅から三浦半島までアクティ バンで長距離通勤するのはツラいので、もう一台、普通の車も買おうと思ってます」と言う人だ。
しかし井出さんは、同時にこうも言った。
「でも、もう大仰でゴージャスな新車を買うつもりはないですね。さらっとした、身軽に移動できるタイプの車が、人間にとっては結局はいちばんなのかな――と、今となっては思うんです」
(文=伊達軍曹/写真=阿部昌也)
The Galaxy Express NAHAMA https://gexnahama.com/
[ガズー編集部]
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