山の中にあるジュエリーショップの活動を支える、働きもののアルトラパン

  • スズキ・アルトラパンとオーナーのkimiさん

頂上から雄大な富士山を間近に眺められる、山梨県にある杓子山。その登山道の入口にあるゲストハウスの片隅に、クリスタルをはじめとする天然石を使ったジュエリーショップがある。
山の中に突然現れる、苔むした屋根が周囲に溶け込むおしゃれな空間。このショップを運営するのが、今回お話を伺ったkimiさんだ。

友人が河口湖の湖畔で訪日外国人向けのゲストハウスやレストランをオープンさせることになり、そこの内装製作を手伝うことになった。しばらくは週末だけ手伝うために東京から通っていた。河口湖周辺はどこにいても富士山を近くに感じることができる。その雰囲気が気に入り、移り住むことになったという。

「ちょうど自分のお店を出すことを考えていた時でした。何度か通ううちにせっかくなら東京ではなくこっちでオープンさせたいと思うようになったんです」

  • 杓子山長日向縄文遺跡オープンガーデン
  • 杓子山長日向縄文遺跡オープンガーデンの看板

kimiさんは子どもの頃からアートが身近にあった。20代になるとアジアやオーストラリアなどを旅しながらさまざまなアートに触れるとともに、仲間とチームを組んで野外フェス会場のデコレーションを行うようになった。
北海道で行われるフェスでは1ヵ月前から会場近くに住み込んで壮大なデコレーションを作り上げたという。

「北海道では数万円で手に入れたMTの軽トラックにたくさんの資材を積み込んで動いていました。もうボロボロだったのでしょっちゅう壊れて、そのたびにみんなでお金を出し合って直していました。この経験で私は中古車にいいイメージが持てなくなって、自分で買うなら新車がいいなと思うようになったんです」

その後、kimiさんは関東に戻り、子どもが生まれた。最初は親が乗っていたセダンを借りて買い物や送り迎えをしていたが、クルマの大きさになかなか慣れることができなかったそうだ。

そしてある日、そのクルマを派手にこすってしまう。これに懲りて、kimiさんは小さなクルマを買うことを決意。選んだのはスズキが日産にOEM供給していたトールワゴンの2代目モコだった。

「モコは後ろの席を倒すとキレイにフラットになったので、ベビーカーや子どもの荷物を積むのがすごく楽でした。デコレーションの活動も続けていたので、たくさんの資材を積んで会場まで出かけたりもしていましたね」

  • スズキ・アルトラパンのロゴ
  • スズキ・アルトラパンのうさぎのマーク

ところで、ほとんどの人は新車をオーダーする時にカタログを見ながらグレードやボディカラー・オプションなどを決めていくもの。しかしkimiさんは一応カタログにも目を通すが、ほとんどフィーリングで決めていたようだ。

モコのボディカラーを決める際は、実家のクルマが青系だったのでそれ以外にしようということになった。するとお子さんが「ピンクがいい」と言ったのでkimiさんは淡いピンク色をイメージしてオーダーしたという。ところが2代目モコのピンクは『モコルージュ』というショッキングピンクに近いカラー。

「納車されてビックリしましたよ。『超ピンクじゃん……』って(笑)」

  • スズキ・アルトラパンのリアビュー

そんなkimiさんの現在の愛車はスズキ アルトラパン。このクルマは山梨で暮らすようになってから手に入れたものだ。山梨は冬になると雪が降る。kimiさんは迷わず4WDを選んだ。

実はこのアルトラパンにも、購入時にkimiさんらしいエピソードがあるのだ。モコはかなりの距離を走ったこともあり、「そろそろクルマを買い替える時期かな」と思っていた。

次はどんなクルマに乗ろうかと考えた時、街なかでアルトラパンを見かけて、「あれに乗りたい!」と思ったという。友人から「スズキのアルトラパンだよ」と教えてもらい、kimiさんはスズキのディーラーに足を運んでアルトラパンをオーダーしたという。

もちろんディーラーではカタログを提示されたが、kimiさんはモコのときと同じように詳しく見ずにオーダーした。そしてアルトラパンが納車されたとき、こう思った。

「私が見たラパンとちょっと違う……」

  • スズキ・アルトラパンの運転席
  • スズキ・アルトラパンの前席

その理由はすぐにわかった。実はkimiさんが欲しいと思ったのは、2002年にデビューした初代だったのだ。アルトラパンは3代目となる現行型まで、初代のイメージを残しながらデザインを進化させている。
とはいえ、フロントライトは丸型に変わっているし、フェンダーやバンパー下にはモールのアクセントも入っている。イメージが違うのも無理はない。

ちなみに初代アルトラパン以外にもうひとつ「かわいいな」と思っていたクルマがあったという。それは1999年にデビューしたダイハツ ネイキッド。kimiさんの感性には2000年前後に登場したややレトロな軽自動車のデザインが刺さったのだろう。

「でも乗ってすぐにこのラパンを気に入りました。助手席の前がテーブルのようになっていて使いやすいし、ちょっとした小物を入れられるスペースもたくさんあります。

そしてモコと同じようにリアシートを倒すと床面がほぼフラットになるからすごく便利。毎日お店がある場所とふもとの町を往復していますが、急な坂道でも頑張って走ってくれるんですよ」

  • スズキ・アルトラパンのオーナーのkimiさん

kimiさんのショップ『minure』が現在の場所にオープンしたのは1年ほど前。なんとkimiさんは店の内外装をほとんど自分一人で作り上げたそうだ。

「ここはもともと物置だったんですよ。それを使っていいよということになって、ホームセンターで買った資材やペンキをラパンに積んで、床も自分で張って、外装や窓枠を塗って……。

私は電動ドリルを使えないからそこだけは知り合いに手伝ってもらいましたが、イベントのデコレーションでは何でもやっていたからその経験が役立ちました。DIYしている時間はすごく楽しかったです」

  • kimiさんのショップ『minure』
  • 天然石のジュエリーを扱う『minure』

ふと気になって、2015年6月に3代目アルトラパンがデビューした時のプレスリリースを読み返してみた。そこには『女性がクルマに求めるものの調査・分析を行い、企画から開発、デザイン、機能・装備、アクセサリーの設定にいたるまで女性視点をふんだんに盛り込んだ』と書かれている。

女性が日々の通勤や買い物などでこのクルマを楽しく使うことをイメージしながら開発されたアルトラパン。まさか山梨の山の中で、ショップをオープンさせるために職人の現場グルマさながらの使われ方をしているとは、開発者も想像していなかったに違いない。

もしかしたらkimiさんのアルトラパンは日本一働いているのではないだろうか。そんなことすら考えてしまった。

アルトラパンのプレスリリースには『自分らしい一台を楽しんで選び、愛着を持っていただけるよう』という言葉も出てくる。メーカーが想定した使い方とは違っても、kimiさんは自分らしく、愛着を持ってアルトラパンを使っているのは間違いない。

  • ジュエリーを制作するkimiさん

東京を離れ、人里離れた山の中にショップを開く。これはkimiさんにとって大きな転機だったはずだ。おせっかいだが、東京にショップをオープンしたらお客さんはもっと気軽に足を運べただろう。

「ここに来てくださるのは、わざわざ来てくださる方。確かに気軽に来られる場所ではありませんが、お客様とは深くお付き合いできていると思います。今はWEBを見てくれた方ともメッセンジャーでコミュニケーションを取りながら、楽しい日々を過ごしています」

  • 『minure』の前でスズキ・アルトラパンとkimiさん

kimiさんはアルトラパンで東京に行くこともあるが、空気の重さに驚くという。そして山梨に戻ってくると、ヒノキなどの山の香りにホッとする。

「山での生活に体が慣れてしまったのでしょうね」というkimiさんの笑顔からは充実した暮らしを楽しんでいることが伝わってくる。

「山で使うことを考えると次はジムニーに乗りたいなって思うのですが、ジムニーは後ろが狭いから長い木材とかが積めるかちょっと心配……。私のライフスタイルに合っているか、もう少し考えていこうと思います」

確かにジムニーは王道の選択だろう。でも話を聞いているとkimiさんのキャラクターにはアルトラパンがピッタリな気もしてくる。愛らしいスタイルなのに、実はタフな使い方にも応えてくれる。

やっぱり日本の軽自動車はすごい!

Instagram:@minurecrystal

(取材・文/高橋 満<BRIDGE MAN> 撮影/柳田由人 編集/vehiclenaviMAGAZINE編集部)

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