カーニバルイエローのホンダ・ビートと歩み始めたハタチの初愛車ライフ

  • GAZOO愛車取材会の会場である虹の松原森林浴の森公園で取材した1992年式ホンダ・ビート(PP1)

    1992年式ホンダ・ビート(PP1)

“クルマ好き”というDNAは、親から子へと受け継がれるケースが多々ある。弱冠ハタチのムラヤマさんもそんなひとりだ。
彼が自身より10歳以上も年上の1992年式ホンダビート(PP1)に出会ったキッカケは、もちろんクルマ好きなお父さんの影響だという。

熱狂的なクルマ好きであるお父さんの英才教育のもと、クルマにバイクと乗り物が大好きな青年にすくすくと成長したムラヤマさんは、父の教えに則ってメンテナンスやカスタマイズは自分で行いつつ、ネオ・ヒストリックカーを無理なく、自分目線で楽しむイマドキのZ世代である。
ちなみに祖父もホンダ党らしく、シティやシビックに乗っていたとか。親子3代でクルマ&ホンダ車好きのDNAが受け継がれているというわけだ。

とにかくクルマ大好きだったお父さんが、特に好んで乗っていたのはホンダのN360。「可愛い可愛い」と溺愛し、ムラヤマさんが幼少時には自宅のガレージに常時2~3台のN360が入れ替わり立ち代わり入っていたそうだ。そして現在も父は3台のN360を所有しているという。
「N360は子どもの頃から身近な存在で、自分も大人になったらN360に乗ると思っていました。クルマのイベントへも父にいろいろと連れて行ってもらい、いつかはN360を所有してイベントに行きたいと思っていました」
特に思い出に残っているのが、ムラヤマさんが8 歳の頃、大阪で開催されたN360のイベントに兄と一緒に連れて行ってもらったことだという。そのイベントのアトラクションで行なわれたジャンケン大会にてムラヤマさんは勝ち残り、最後の賞品だったN360の大きなイラストポスターを獲得、そのポスターは今でも父のガレージに飾っているそうだ。
そしてもうひとつ思い出がN360の窮屈さ。「イベントに行く時は、いつも自分が後部座席でした。足もとには工具類も載せていたので、子供ながらに『狭いな~』と感じていたんです(笑)」

そんなN360と共に成長していったムラヤマさんは、高校3年生の冬に普通自動車と普通自動二輪車の免許を取得。ホンダのスーパーカブとCBR250RRを購入し、まずはバイクにハマっていくことに。高校卒業後、社会人となっても継続してバイクを楽しんでいたムラヤマさんだったが、ある日突然、父が『これイイ!』と、ビートを買ってきたことをキッカケに変化が訪れたという。
「父が友人に『このクルマ面白いよ』とビートを試乗させてもらったところ、エンジンの吹け上がりの良さ、ショートストロークシフトの気持ち良さに感動して、即、購入を決めたみたいです」

1991年5月にホンダから登場したビートは量産車世界初のミッドシップ・フルオープンモノコックボディの採用をはじめ、各気筒に独立したスロットルを装備し、ホンダF1テクノロジーを応用したエンジンなど、多くの話題を呼んだ2シーターの軽自動車。
自然吸気ならではのエンジンの吹け上がり、キビキビとしたハンドリング、ショートストロークによる小気味良いシフトチェンジ、そして愛くるしくも洗練されたスタイルと、発売から30年以上が経過した今もなお、多くのファンを魅了し続けている。

「父が絶賛しまくるビートに興味が無いワケがなく、試しに乗ってみたんですが、オープン走行時に感じる風の爽快感、それと低床なのでスピードをひときわ体感したのを覚えています。小回りも抜群だし、とにかく乗って運転していて楽しかったです。バイクと感覚が似ているし、オープンカー特有の解放感に圧倒されました!」
この試乗を機に自分専用のビートが無性に欲しくなったムラヤマさんが「欲しい! 欲しい!」と父に熱望したところ、カーマニアの友人が所有していたビートを譲ってもらえることになり、ムラヤマさんの愛車としてカーニバルイエローのビートがやってきたという。父がビートを購入して数ヶ月後、2023年8月のことだ。

「1992年式で、走行距離は18万kmを超えていましたがエンジンは好調! メーターもオーバーホールされ、バージョンZと同じブラックフェイスのパネルに変更されていました。ボディも全塗装され、幌も交換済みでとても綺麗でしたね。そして、なによりボディのサビが少なく状態はとても良かったです」
ムラヤマさんにとって初めて“自分の愛車”となったビート。所有して数ヶ月が経過した現在も、大きなトラブルも無く快調だという。

そんな愛車ビートのメンテナンス等は、すべて自身で行っているムラヤマさん。
「父は整備などもほとんど自分で作業していたので、子どもの頃から“クルマいじりは自分でするもの”と思っていました。そのなかで、自分でできる作業は行いつつ、難しい作業はプロショップに依頼していました。でも父からは『その作業は自分でもできるやん!』とツッコミが入る事もあり、父にいろいろと教わりながら、頑張ってなんとか自力で作業をしています。どうしてもできない場合は、父に手伝ってもらっていますけど(笑)」

そんな父のスパルタ教育(!?)はバイク時代から続いてきたもので、今まで特にしんどかった作業は「スーパーカブのエンジンオイル上がりの修理」とのこと。エンジンをバラし、整備して組み立てて調整しての繰り返しで、二度とやりたくないトラウマレベルの作業だったとか。
また、ビートのサスペンションを車高調に交換する際には「長い方がフロント用で、短い方がリヤ用だったのに“ビート=前傾フォルム”という固定概念から、前後を取り違えて組み込もうとしていて、そのことに気がつかず正しい装着位置にたどり着くまで苦労しました」という経験も。

「それ以外の失敗談としては、幌の開閉をする時にリヤスクリーンのチャックを閉めた際、力が強すぎて勢いあまってリヤスクリーンを破いてしまったんです。当然これも自分で修理しようと思い、ホームセンターで計り売りしているテーブルクロス等で使う透明のビニールシートを2000円ほどで購入して、型紙を作ってその通りにカット…したつもりが実際に合わせてみると高さが微妙に足らなくて…」
残ったシートをビニールテープでつぎはぎ(笑)してなんとか完成。補修した箇所がスクリーンの上部とあり、幌に上手いこと隠れたのが不幸中の幸いだったそうだ。

お気に入りの愛車を自分仕様へとカスタマイズしていくのも楽しみのひとつだそうで、FELL'Sのビート専用バケットシートやシングル出しのマフラー、インテグラタイプR用の純正のチタン製シフトノブなど、好みのスタイルに近づけるべく少しずつパーツを交換しているという。
また、オープンカーに欠かせないウインドディフレクターは友人が自作してくれたものだそうで、今後は「クールな感じのカッコイイ系」にモディファイしていく予定だとか。

  • GAZOO愛車取材会の会場である虹の松原森林浴の森公園で取材した1992年式ホンダ・ビート(PP1)

    1992年式ホンダ・ビート(PP1)

「最近では、父のビートに装着していた15インチホイールを譲ってもらい装着しました。ビート純正ホイール用センターキャップも、Hマークを自分でイエローにペイントして流用しています」
なんでも、アフターパーツを装着した場合は父からダメ出しが入ることが多く、以前はブラックのツインスポークタイプのホイールを装着していたものの「そのホイールは似合わん。こっちの方ば履き!」と勧めてくれたのが、現在のホイールだという。純正オプション風の星形5本スポークがカッコイイと、お気に入りの様子だった。

「父は純正のスタイルが好きなので、サスペンションだったり、運転席のシートだったり、自分のビートから取り外した純正部品を父のビートに移植しています。そんな父ですが、実はもう1台、部品取りとしてビートを買ってきちゃいました(笑)。なので、父は2台のビートを所有していて、しかも同色のカーニバルイエローなんです」
えええ~、一家にビートが3台も! しかも全台カーニバルイエロー!? さらには、部品取りとして買ったはずなのに、エンジンの調子が良かったので車検を通してお父さんが乗っているという。黄色いビートが3台並んでいる風景は、まるでプチミーティングのようだ。

  • GAZOO愛車取材会の会場である虹の松原森林浴の森公園で取材した1992年式ホンダ・ビート(PP1)

    1992年式ホンダ・ビート(PP1)

「自分もクルマやバイクが趣味なので、父がむっちゃ喜んでくれています。父がクルマ好きって、息子にとってはメリットしかないですね!」と、お父さんとホンダ車が大好きなムラヤマさんは、いつかは父と同じN360に乗ってみたいと語る。クルマが繋ぐ親子の絆って、やっぱり素敵!!
きっとお父さんと同じくらい、いやそれ以上の想い出がこれからたくさん刻まれていくはず。ムラヤマさんと愛車ヒストリーは、まだ始まったばかりだから。

取材協力:虹の松原森林浴の森公園(佐賀県唐津市浜玉町浜崎)
(文: 櫛橋哲子 / 撮影: 平野 陽)
[GAZOO編集部]

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