憧れのチェイサーを、生涯の伴侶と一緒に楽しむ充実の日々

  • GAZOO愛車取材会の会場であるジーライオンミュージアムで取材した、1997年式のトヨタ・チェイサー(JZX100型)

    1997年式のトヨタ・チェイサー(JZX100型)



『生涯このクルマにしか乗りたくない』
そう思えるほどの愛車に出会えることは、とても幸運だ。さらに人生の伴侶にも『このクルマしか考えられないよね』と、同じ価値観を持ってもらえることは、もはや幸運を通り越して奇跡に近い確率であろう。

『マサシーK』さんの愛車は、1997年式のトヨタチェイサー(JZX100型)。チェイサーは、マークIIおよびクレスタと並ぶ“マークII 三兄弟”の一角として知られるFRのスポーツセダン。1977年に発売された初代から、2001年に生産を終了した6代目まで存在する。

マサシーKさんのチェイサーは最終型となる6代目で、型式名から100系(ヒャッケイ)チェイサーという通称で呼ばれることも多い。
グレードは2.5リッターの1JZ-GTE型直6ターボを搭載したツアラーV。数ある100系チェイサーの中でも特に人気の高いグレードだ。

「実家のクルマもチェイサーで、父は4代目と5代目のモデルを乗り継いでいました。子供の頃からそのチェイサーが大好きで、100系が新車で出た時も父にディーラーに連れて行ってもらって『めちゃくちゃカッコいい! いつかこのクルマに乗りたい!』と興奮したのを覚えています(笑)」

小学校に入学するかどうかという時期から、すでにチェイサー熱に浮かされ、将来の愛車と決めていたマサシーKさん。だが、免許を取得し、クルマを購入する適齢期を迎えた頃にはさすがに100系でも古く、ドリフト競技などのベース車として選ばれることも多いことから、中古車として流通するクルマはかなり使い込まれていたり、あちこち改造されたりしている車両がほとんどだった。

実は双子の弟さんがいるマサシーKさん。一卵性ゆえに顔も考え方もそっくりで、負けず劣らずのチェイサー好きなのだとか。そして、その弟さんがマサシーKさんよりも先にチェイサーTRDスポーツツアラーSを購入したものだから、さあ大変。

弟さんに『お前も早くチェイサー買えよ』と勝ち誇った表情で言われたのが悔しくて、枕を濡らす日々が続いたという。

そんなマサシーKさんに転機が訪れたのが、お姉さんの結婚式でのこと。親族が集まる待合室で中古車情報を見ていたところ、前日には掲載されていなかったチェイサーを発見! しかも地元の中古車店の掲載物件であり、当時は転勤で福岡県に住んでいたため『結婚式で帰省したタイミングにラッキー!』と運命を感じるに余りある出会いだった。

「姉には申し訳ないんですけど、式の間ずっとチェイサーが他の人に取られちゃんじゃないかとヒヤヒヤしっぱなしで、まったく集中できませんでした(笑)。式が終わって、そのままお店に直行してクルマと対面したら、一目惚れすると同時にこのクルマが自分の愛車になるんだという直感を感じました。遅い時間だった上に翌日には福岡に帰らなくちゃいけなかったので、その時は外観を写真で撮るだけに留めて、後日両親にお店に行ってもらって内装とかも確認してもらいました。それで契約すると決めたので、その後の作業も親にお願いして、書類を揃えるのに弟にも手伝ってもらいました」

希望していたツアラーVのAT車で、走行距離も5万6000kmと少なめ。しかも、かなりノーマルに近い車両ということで、家族の協力も得ながら、その中古車を手に入れることにしたマサシーKさん。
納車は福岡の職場で行なわれ、待ちかねたお昼休憩時間にエンジンをかけてみたら、念願のチェイサーを愛車として迎え入れたことを実感。「一生大事に乗っていこう」と心に決めたという。

さて、実はこのチェイサーにまつわるストーリーには、もうひとり主人公がいる。それがマサシーKさんの奥さんだ。

ふたりは同じ大学の同級生として出会い、1年生の時から交際をスタート。ちなみに双子の弟さんも同じ大学に通っていたため、クラスメイトからよく間違えられたそうだが、なぜか奥さんだけは最初からふたりを見分けられたそうだ。クルマ好きはよく似たクルマでも個体差を見分けられたりするものだが、奥さんもビビビと来たマサシーKさんの顔を誰より詳細に記憶できたのかもしれない。

大学を卒業後、就職したマサシーKさんは転勤が多く、福岡の次は愛知県と静岡県に引っ越すことに。それでも遠距離恋愛で愛を育んだふたりは、交際10年目で晴れて結婚した。

それは静岡に勤務していた時のことで、チェイサーの購入はそれより前の福岡時代。つまり奥さんも交際していた時からチェイサーをよく知っており、長距離を移動する時には交代してよく運転していたそうだ。

奥さんもお父さんが自動車関係の仕事に就いていたこともあって、もともとクルマには興味があり、セダンが大好きだったという。そのためチェイサーにも自然と愛着を覚え、今ではマサシーKさんより奥さんの方が用品やグッズ、プラモデルなどを積極的に探して購入しているといった微笑ましさである。

「結婚式は、姉の時と同じ兵庫の式場で行うことになって、打ち合わせの度に静岡と往復していましたから、妻に運転をしてもらうことも多かったですね。式場で前撮りする時にチェイサーと一緒に撮ってもらおうという話になって、弟のTRDスポーツを借りて撮影したんですけど、チェイサーと出会うきっかけが生まれた場でもあったので印象深かったですね(笑)」

今回はせっかく(?)なので、その前撮りした際のポーズを再現して頂いた。いろいろ話を伺った後だったせいか、不思議とチェイサーもふたりと息を合わせてポーズを取っているように見えてしまった。

結婚式の後に出かけた新婚旅行も、静岡を起点に淡路島、高知、広島、鳥取と巡って、最後は地元兵庫の城崎を訪れる長い旅路を走破。夫婦にとってはチェイサーと過ごしたすべての瞬間が愛おしい想い出となっている。

現在は職場も大阪府に移り、昔ほど長い距離を走ることはなくなったが、気づけば走行距離は21万kmを数えていた。

「ボーナスの直前にオイルが漏れたり、真夏を過ぎた9月にエアコンが壊れたり、いつも絶妙なタイミングで不調を訴えるんですよね(笑)。一度出先でアイドリングが怪しくなって、それでもなんとか動いて帰宅できたんですけど、到着した瞬間にエンジンが掛からなくなったり。後でスパークプラグの不良だったことが原因だと分かったんですけど、気を配るべき大事なメンテナンスポイントを、ギリギリ困らないですむ範囲でチェイサーが教えてくれているような気もしています」

溢れんばかりのチェイサー愛は誰にも負けないが、メカ的な知識には少し疎かったと語るふたりも少しずつ成長。ホーンはDIYで交換した思い出のポイントだ。

ボディはクリアが剥げてしまった部分もあるので全塗装をする予定。その他、劣化した部分もコツコツと直していき、いつまでも大事に長く乗っていきたいと語るマサシーKさん。いつかは我が子も乗せてあげたいと、未来の家族にも想いを馳せる。

「もちろん新しいクルマの方が快適なことは分かっているんですけど、妻もこのクルマが良いと言ってくれます。ですので、やっぱり我が家のクルマはこのチェイサー以外に考えられません!」

生涯通して守り抜く宝をふたつも見つけることができたマサシーKさん。やはり類稀なる幸運の持ち主と呼ぶべきだろう。

(文: 小林秀雄 / 撮影: 清水良太郎)

※許可を得て取材を行っています
取材場所:ジーライオンミュージアム&赤レンガ倉庫横広場 (大阪府大阪市港区海岸通2-6)

[GAZOO編集部]

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