「僕の好きがすべて詰まってる」いすゞ・ピアッツァは僕の人生の原動力となる相棒

  • いすゞ・ピアッツァ


「ジョルジェット・ジウジアーロのデザインに惹かれてピアッツァを購入しました。」

そう語るのは、人生初のマイカーに1983年式のピアッツァ(JR130)を選び、現在まで6年間乗られてきたという、ごっちゃんさん27歳。
カーデザイナーという職を夢見ながらピアッツァと共に過ごしてきたカーライフは、とても充実したものだったと力強く話してくれました。

そんなごっちゃんさんが発起人として開催したイベント『横浜カーセッション』が複数のメディアで取り上げられイベントのみならずごっちゃさんご本人も注目を浴びましたが、このピアッツァがそうしたイベント開催する原動力にもなっているようです。

今回は、ピアッツァ×ごっちゃんさんのお話です。

――初めてのマイカーはピアッツァに乗ると、元々決めていたんですか?

学生の時、デザイナーのジョルジェット・ジウジアーロがデザインしたコンセプトカーが、ほぼそのまま実現されたというのを知って感銘を受けたのがきっかけでした。彼の作品は本当に自分好みで、昔からずっと尊敬しているんですよ。

なので「ジウジアーロがデザインしたクルマに絶対乗りたい!」ってずっと思っていたんです。彼がデザインしたクルマは他にもあるのですが、総合的に良いなと思ったのがこのピアッツァだったわけです。

――愛車のピアッツァとはどんな出会いだったんですか?

ピアッツァが欲しいと思っていて探していたんですが、なかなか良い個体が無かったんですよね。そして7年前に、ふと「これ良いかも!」って思えるピアッツァをネットで見つけたんですよ。

いすゞの旧車専門店で販売されていたんですが、ほどなくして、当時僕が住んでいた横浜でイベントがあり、そのお店も出展することを知ったんです。すごく近くだったので、ピアッツァのお話を聞いてみたいという思いで足を運びました。

自分の仕事のことやピアッツァのデザインのことを熱弁しちゃったんですが「気になるなら1回店頭に見に来てください」って言ってくださり、お店にも見に行ったんですよ。

――初めてピアッツァの実車を見たわけですね。当時はどんな心境でしたか?

初めて目の当たりにして、想像通りすごくカッコ良いなって思いましたよ。デザイン面がやっぱり素晴らしく、デザイナーの魂を感じました。

お店では車内に乗せてもらえたりもして、見積もりまでしてもらったんですが……。当時、まだ就職先が決まっていなかったのもあり考慮した結果、その時は買わずに終わったんです。

社会人になり、すぐにそのお店に電話したんですが、お店の人が覚えていてくれたんです。その後条件に合うピアッツァが見つかったとご連絡をいただき、購入することが出来ました。

――愛車のピアッツァに初めて乗った日のことは覚えていますか?

鮮明に覚えています(笑)。初めてのマイカーだったので、走りがどうこうというよりも「これが最初に買ったクルマなんだ!」っていう高揚感の方が大きかったですね(笑)。

「これからピアッツァとどこへ行こう」っていうワクワク感も同時にあったのを覚えています。

――ごっちゃんさんがクルマのデザイン面に興味を持ちはじめたのはいつだったんですか?
小学2年生くらいだったと思います。幼少期からずっとクルマが好きで絵を描くことも好きだったんですが、叔母が子供向けのカーデザインコンテストがあるっていうのを教えてくれたんですよ。その時にカーデザインの仕事があることを知り、それからはカーデザインの仕事に就きたいとずっと言い続けていました。

――現在のお仕事はクルマのデザイン関係ということでしょうか?

カーデザイナーではなく、空間ディスプレイのデザインをする仕事に就いています。展示会とかモーターショーなどのブースデザインや設計の仕事ですね。

今の心境的には、クルマ関係は趣味で十分だなって思っていて……。先日はプライベートで大きめの規模のイベントを企画して実行することが出来たんですよ。

――実は筆者も偶然、ごっちゃんさん主催の「横浜カーセッション(若者たちのカーライフ)」に遊びに行ってました(笑)。その時はお声がけができなかったのですが、本当に素敵なイベントでした。イベントはよく主催されているんですか?

ありがとうございます。イベントは頻繁にやっているわけではないですね。あくまでも、思い立った時に開催しているだけです。

――なぜこのようなイベントを横浜という地で開かれたんでしょう?

実は、もう2人主催者がいるんですが、この2人が過去に別のクルマのイベントをやっていて、経験者だったので声をかけました。その3人とも揃って横浜育ちなので、地元でもある赤レンガ倉庫という華やかな場所で、自分たちの愛車を展示するイベントをやってみたいっていう、その願望だけで成し遂げたイベントだったんです。

横浜カーセッションというイベントは“一般の人も見に来られる”っていうのもポイントでした。当日展示した車両は105台だったんですけど、それは全て我々主催3人と縁のあるオーナーのクルマなんです。

展示するクルマは仲間のクルマで、それを見に来るのは一般の方っていうちょっと面白いイベントをしたかったんですよね。実はここまで本格的に準備して開催したのは初めてでした。

――実際にイベントを主催してみてどうでしたか?

赤レンガ倉庫という場所の影響もあって、準備段階ではかなり苦戦したんですが、イベントを頻繁に開かれている、とある大人の方のご協力もあり、無事にやり遂げることが出来ました。大変だった分、イベント後の満足感はめちゃくちゃありましたよ。

――イベントの反響はどうでしたか?

それが、めちゃくちゃあったんです。色々なメディアの方々が予想以上に知っていてくださったり、ネット記事にもなったりして、お陰様でさらに注目してもらえて僕的には大反響をいただいたと思っています。

それと、展示車オーナーの皆さんからも「楽しかった!」って言ってくれたり「すごく貴重な経験ができた」というお声をもらえて、本当に感無量です。

「クルマに触れることの楽しさ」や「カーライフを楽しむ人はこんなにたくさんいるんだよ」というイベントのメッセージもお客さんに伝えられたので、やった価値があったなって本当に思いますね。

僕も当日、愛車を展示したんですが、そもそもこのピアッツァに乗っていなかったら、このイベントは開催されていなかったと思います。そう思うと、このピアッツァにも感謝ですね。

――ピアッツァが出会いの輪を広げたということでしょうか?

まさにそんな感じで、僕があのクルマに乗り始めてから、すごい勢いでクルマ仲間が増えたんですよね。人生がガラッと楽しくなったんです。その集大成が横浜カーセッションだったんだなと今では思っています。ピアッツァに乗っていなかったら、主催の2人にも出会っていなかったのでね。

――今後このピアッツァとはどんなカーライフを歩みたいですか?

今まで通りのカーライフを送りたいです。何よりも変わらずに手元にあって欲しいという気持ちが強いです。

――ピアッツァはごっちゃんさんの中でどんな存在になっているのでしょう?

今振り返ってみると、人生を変えてくれた相棒って言っても過言ではないです。好みが全て詰まっているクルマなんだと思います。この先もずっと僕の好きなピアッツァでいて欲しいですね。

今でもふと駐車場に停まっているピアッツァを見た時に、見惚れてしまう瞬間があるというごっちゃんさん。
彼の中でのピアッツァは、幼少期からずっと変わらない、尊敬の念さえ感じる唯一無二の存在なのだと感じます。

そしてピアッツァがいるからこそ、横浜カーセッションのように仲間と共に成し遂げるイベントへの大きなエネルギーも生まれ続けるのでしょう。

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ごっちゃんさん

YOKOHAMA Car Session

(文:秦 悠陽)

MORIZO on the Road