幸運のキューピッドはヤナセ謹製“ロクナナ”ビートル
ひと言でクルマといっても、メーカーや車種など、欧米やアジアといった地域まで含めるとその数は数千というバリエーションが存在している。さらに旧車まで含めて考えると、もはや数え切れないほど膨大な数となってしまうだろう。そんな無数のクルマの中から出会った愛車は、まさに奇跡的な巡り合わせ。それに加えて、自分のライフスタイルや趣味趣向にジャストフィットするものとなると、もはや運命と呼ぶべき縁によって結びついているとも言えるのではないだろうか。そんな運命の愛車、1966年式フォルクスワーゲン・1300(タイプ1)に25年近く乗り続けているのが吉田さんだ。
ポルシェの生みの親、フェルディナント・ポルシェによって設計され、1938年から2003年まで生産されたタイプ1。丸みを帯びた独特のフォルムから『ビートル』の愛称で親しまれるドイツの大衆車は、世界各地へと輸出され今も多くのファンによって大切に乗り継がれている。特に1960年代以降のアメリカでは、リーズナブルな価格帯とあって若者などの日常の足としても活躍。それに伴って様々なカスタマイズが施されるようになった。
そして、そのムーブメントに注目したファンによって人気はさらに高まり、現在にもつながるアメリカ西海岸のカーカルチャーを代表するモデルへと成長。日本国内においても、ドイツ車としてよりもカリフォルニアスタイルのアイコンとして古くから親しまれているほどだ。
もちろんカスタマイズの素材としてだけでなく、その歴史的な価値に愛情を注いでいるオーナーも少なくない。このタイプ1オーナーの吉田さんも、そんな歴史的価値を大切にしながら、オリジナルの状態を可能な限りキープし続けることを重視しているひとりだ。
「初めての空冷VWは大学4年生の時に、親が乗っていた1975年式タイプ1を譲ってもらったのがスタートですね。だからVWとの付き合いは30年くらいになります。その最初の1台もオリジナルで乗っていたんですが、事故で全損になってしまったんです。そこで次のタイプ1を探していた時に、友人から紹介されて手に入れたのがこのタイプ1です。ちょうど自分と同い年ってこともあり、コレは手に入れなきゃって思いましたね。それ以来、ずっとこのタイプ1とともに人生を送っています」
ちなみに65年という長い期間製造されたタイプ1は、年代によってディテールが異なり、いくつかの世代に分けることができる。まず大きな区分で言うと、電装が6Vを採用していた1966年式以前のモデルと、12Vに変更された1967年式以降モデルに分けられる。またその中でもリヤウィンドウの形状やサイズ、テールランプの形状などで分かれるため、想像以上にバリエーションが豊富なのだ。
吉田さんのクルマは、初度登録年が1966年式ながらモデルイヤーとしては1967年式になるため、12V化された最初のモデルだという。
12V化されるとともにその顔つきも変化したのが1967年式の特徴。それまではフェンダーの湾曲に合わせて寝かされたライトベゼルを採用していたが、この年式からライトベゼルが直立しシャープな目元を作り上げるようになる。この顔つきの違いによってファンが分かれることもあり、カスタマイズでは1966年式までのフェンダーやライトを移植する6Vルックなども存在しているほどだ。
また、バンパー形状も6Vと12Vでは異なるが、唯一1967年式だけには6V世代のダブルバンパーが装着される。12V化とともにこの独特な新旧混合の装備を持つことから、1967年式は『ロクナナ』と呼ばれ、タイプ1ファンの中でも一目を置かれる存在となっている。
そんなロクナナだからこそオリジナルの状態を維持したいと考え、装備するアクセサリーなども素性がしっかりしたモノのみを使用している点も、吉田さんのこだわりとなっている。
「ルーフラックは純正オプションで用意されていたものですが、このヤレた感じがロクナナの雰囲気に合っているかなって思うんです。やっぱり年代としてはレアなパーツになるので、『木の板をリペアしたり、サビが出てきたスチール部分を塗り直したり、レストアした方が良いよ』って言われることもあります。でもラックだけピカピカになるのも嫌なので、この雰囲気を保ちながらヤレていく様を楽しんでいるんですよ」
ダッシュボード下に取り付けられるクーラーユニットもマニア垂涎のお宝パーツ。というのも、この装備は正規輸入ディーラーのヤナセが設定していたパーツで、時代的にもクーラーはオプションで設定される贅沢装備。現在では並行輸入車も多いタイプ1では正規輸入車の比率は限られていて、さらに新車当時にクーラーを選択する人はわずかだったことから激レアパーツとなっているのだ。
また、ラジオに関しても日本国内の周波数に変換され『ヤナセ』と『ナショナル』のダブルネームが入るなど、日本仕様だからこそのアイテムも盛りだくさん。こういった貴重な装備品の数々もまた、吉田さんのオリジナル志向を表現するポイントとなっているのだ。
とは言っても、普段のドライブなどでは純正のAMラジオだけでは寂しい。そのためダッシュボード内には外から見えないように近代的なステレオユニットを隠して設置。このユニットによってFMやCDといったメディアを再生することができ、ドライブの楽しさも近代化してくれるという。
タイプ1をはじめとした空冷VWには、純正でも様々なアクセサリーが用意されていたのも特徴だ。中には車内に花を飾るための一輪挿しが設定されるなど、当時の日本のクルマでは考えられなかったモダンなアイテムも存在している。
この一輪挿しは、1879年創業のドイツ・ローゼタール社が手がけており、形状やデザインなどバリエーションも豊富だった逸品。そのため現在ではコレクターズアイテムとして取引されるものも少なくない。
貴重な装備といえば、純正工具セットが残されているのも見どころ。スペアタイヤのスペースに収まるスチールケースや、中に収納される『ハゼット』の工具などは、中古車ではまず残されていることのないレアアイテムなのである。
貴重な正規輸入車だからこそ、車検証入れもヤナセオリジナル。こういった貴重なアイテムやパーツはイベントやスワップミートで収集し、自宅ガレージにも数多くストックしているのだとか。
「VW系が集まるスワップミートでは、朝イチにダッシュで会場に行っています。やっぱり当時モノや貴重なオリジナルパーツとかはすぐに売れてしまいますからね。特にオリジナルパーツは、品質の不明確なリプロパーツとは異なり長く使えるモノばかり。だからこそ、これからも乗り続けるためにオリジナルパーツを収集して、ガレージ内にストックしているんです」
「このクルマを購入した時はまだ20代だったので、イベントやドライブなどには良く行きましたね。特に2000年くらいはVWのイベントが各地で多数開催されていたので、年間走行は1万kmくらいでした。徐々にイベントに行くペースは落ちてきているので、購入してからの走行距離は12万kmを超えたくらいだと思います。と言うのもオドメーターが5桁なので、正確な距離かと言われるとちょっと確かじゃないですね(笑)」
それほどの距離を走り、登録からほぼ半世紀が経っているにも関わらず、その間に行なっているメンテナンスはオイル交換くらいというタフさは、タイプ1が世界で愛される理由のひとつ。しかもシンプルな空冷水平対向エンジンは、補修パーツも潤沢に揃っているので万が一のトラブルにも即対応できるのだ。
パフォーマンス的には現代車のような期待は持てないものの、独特なボクサーエンジンサウンドを聴きながらのドライブは、他のクルマでは体感できないのんびりとした空気を楽しむことができる。という
『99.9%オリジナルの状態』と表現している吉田さんのロクナナ。気になる0.1%の違いを聞くと、タイヤなどの消耗品だけはどうしても当時の状態に戻すことができないと答えてくれた。もちろん乗って楽しむのならば消耗品の交換は必須。100%と言い切らないのは、このロクナナが飾りではなく趣味と実用を兼ね備えた愛車だからというわけだ。
「実はこのロクナナのほかにも、家には1972年式タイプ1スタンダードもあるんです。というのも、1972年式の方はもともと妻のクルマで、空冷VWがきっかけで出会って結婚したんですよ。だからそんな想い出が詰まった2台のタイプ1は、これからも一生手放すことはないんじゃないかなって思っています」
出会いから25年近くが過ぎ、なおロクナナへの愛情が増し続けているという吉田さん。その愛情が深まっていく理由は今の幸せを運んできてくれたキューピッドでもあったから。まさしくこのロクナナは運命のクルマなのである。
取材協力:横浜ヒストリックカーデイ
(文:渡辺大輔/撮影:中村レオ)
[GAZOO編集部]
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