日本のモータリゼーションの中で金字塔を打ち立てた歴史的名車【60年目のカローラ/初代・2代目】

  • トヨタ・カローラ(初代)

1966年11月に初代が発売されて以来、多くの人に愛され続けるトヨタ カローラ。これまでに12世代が世に送り出され、派生モデルも数多く登場しています。そしてカローラは日本の、そして世界のベーシックモデルというコンセプトはぶらさずに、時代が求めるニーズを巧みに取り入れながら進化してきました。2025年11月に誕生から60年目を迎えるカローラの歴史を6回にわかって振り返っていきましょう。

ユーザーが求める満足感に応えた初代カローラ

  • トヨタ・カローラ(初代)のフロント

    初代トヨタ カローラ(1966〜1970)

1945年8月15日に終戦を迎えた日本は先人たちの底力に助けられ驚異的な復興を遂げます。1950年代半ばには高度経済成長期に入り、1964年10月に東京オリンピックを開催します。この戦後の一大イベントを機に高速道路や首都高速道路が開通し、東海道新幹線が営業を開始しました。

自動車業界では、1955年には通商産業省(現在の経済産業省)の国民車構想により、自動車メーカー各社が大衆車と呼ばれる軽自動車や小型車を相次いで発売し、マイカーが夢ではなくなりつつありました。

トヨタは1961年に0.7L水平対向2気筒エンジンを搭載した初の大衆車となるパブリカを発売します。そしてザ・ビートルズが日本公演を行った1966年に、パブリカと1.5Lエンジンを積んだ3代目コロナの間に位置するモデルとして、初代カローラを発売することとなりました。

  • トヨタ・カローラ(初代)のフロントシート

1960年に当時の池田勇人首相が打ち出した国民所得倍増計画。そして驚異的な経済成長によって「もっと豊かな暮らしがしたい」と考えるようになった人々の声に応えるように、初代カローラは実用一辺倒ではなくオーナーの満足度を高める仕様になっていました。

搭載エンジンは1.1L(1077cc)水冷直列4気筒。1Lエンジンが主流だった時代にこのエンジンを搭載したことで、デビュー時には「プラス100ccの余裕」というキャッチコピーがつけられました。

フロントベンチシートで乗員のパーソナル感を高め、パブリカよりも大きな排気量のエンジンで余裕ある走りを実現。日本製乗用車で初採用されたマクファーソンストラット式フロントサスペンションがもたらす快適な乗り心地も人々の憧れでした。もちろん1964年に登場した3代目コロナが行った名神高速道路での10万km連続高速走行テストに裏付けられる耐久性と高速性能もカローラに盛り込まれ、コラムシフトが主流だった時代にフロアシフトの4速MTを搭載し人々を驚かせました。

初代カローラはデビュー時に3つのグレードが用意されました。
■スタンダード 43万2000円
■スペシャル 47万2000円
■デラックス 49万5000円
※いずれも東京価格

カローラの「80点主義+α」

  • トヨタ・カローラ(初代)のリヤ

ところで、初代カローラを表した有名な言葉に「80点主義」があります。この言葉だけを聞くと、「どんなことでも完璧を目指さずそつなくこなす」みたいなイメージを持つ人もいるはずです。しかし、トヨタが初代カローラで掲げたこの言葉は、意味が異なります。

初代カローラが掲げたのは「80点主義+α」が正確な言葉。ユーザーはクルマにさまざまなことを求めるもの。どんな要望に対しても落第点をとってはいけない。ユーザーの要望にすべて合格点を取れれば、トータルバランスに優れたクルマになる。しかし、すべてが及第点だとユーザーは満足しない。90点以上の突出した良さも備えていることで、初めてユーザーは満足感を得られる。

「80点主義+α」は、このようなクルマづくりを目指したのです。

人々の上昇志向が強かった時代に登場した初代カローラは、多くの人を笑顔にしたはずです。1966年に2ドアセダンが登場した後は、1967年に4ドアセダンとバンを追加。1968年にはカローラをファストバックの2ドアクーペに仕立てたスポーティモデル、カローラスプリンターが登場します。そして4速MTだけでなく、2速AT(トヨグライド)もラインナップに加わったことで、商業的に大成功を収めました。

  • 初代ダットサン サニー(1966〜1970)

    初代ダットサン サニー(1966〜1970)

初代カローラが発売される7ヵ月前には、日産がダットサンブランドから1Lエンジンを搭載する初代サニーを発売しました。日産は1966年1月から新型大衆車の車名を広く一般から募集。締め切りの1月31日までに850万通に達する応募があり、車名数は37万9000種類に達したと言います。このニュースから多くの人が新しい小型車にさまざまな期待を持っていたことが伝わってきます。

2月19日には車名がサニーに決まったことを発表。車名を決めるにあたり、サニーが「ソニー」と似ていることから、事前にソニーと協議をして、両社のイメージを損なわないよう協力しあうことも決まったそうです。

サニーとカローラは好敵手として、日本の小型車市場を盛り上げていきました。そしてカローラは発売からわずか3年5ヵ月で100万台を達成することとなりました。

ハイウェイ時代に対応できる性能が与えられた2代目カローラ

  • 2代目カローラ(1970~1974)

    2代目カローラ(1970〜1974)

2代目カローラは、日本が大阪万博に沸く1970年5月にフルモデルチェンジされました。合わせてカローラスプリンターもフルモデルチェンジを受け、車名がスプリンターになり、カローラから独立したモデルへと変貌。そのスプリンターのクーペとボディを共用するカローラクーペもラインナップに加わりました。

1963年に開通した名神高速道路に続き、1969年5月に東名高速道路が全線開通。日本は本格的なハイウェイ時代に突入します。カローラは2代目の開発目標のひとつに、高速連続走行性能の向上が掲げられました。

初代のエンジンが1.1L(1077cc)エンジンだったのに対し、2代目は約100ccアップの1.2L(1166cc)エンジンを搭載。馬力と最高速度も初代より高められています。
■SL、クーペSL:最高出力77ps、最高速度160km/h
■ハイデラックス:最高出力73ps、最高速度150km/h
■クーペデラックス:最高出力68ps、最高速度150km/h
■デラックス、スタンダード、バン系:最高出力68ps、最高速度145km/h

また、高速連続走行性能を高めるために、燃料タンクも初代の39Lから45Lに拡大されています。

  • 2代目カローラ(1970~1974)のリヤ

高速道路を使って家族でロングドライブを楽しむ人が増えると、広い室内や快適性も求められるようになります。

2代目カローラは室内長1700mm、室内幅1290mmという広い空間が与えられ、後席はシートの幅とショルダー部分の幅を初代よりも広くしてゆったり座れるようにし、2ドアセダンとクーペの上級グレードには後席両側にひじかけと小物入れを設置して、快適性が高められました。

前席も465mm×540mmというコンパクトな大衆車とは思えない、大柄のシートを設置し、160mmの前後スライド機構でどんな体格の人でもベストなシートポジションをとれるようにしました。前後ともに快適性が高められたことで、週末に家族とクルマで出かけるのが楽しみになる、2代目カローラはそんな新しい価値観を提示したモデルになりました。

1970年9月には1.4Lエンジンを追加。1971年4月にはクーペに1.4Lツインキャブエンジンと5速MT搭載車が追加されました。そして1972年3月にはクーペのホットモデルとして、カローラレビンが登場。前後のオーバーフェンダーで迫力を増したスタイルは、走り好きの若者から絶大な支持を集めました。

  • 初代カローラレビン(1972~1974)

    初代カローラレビン(1972~1974)

モータースポーツで活躍したカローラのライバル

  • 2代目ダットサン サニー(1970〜1973)

    2代目ダットサン サニー(1970〜1973)

コロナのライバルである日産 サニーはカローラのフルモデルチェンジの4ヵ月前、1970年1月に2代目へとフルモデルチェンジしました。初代カローラが「80点主義+α」で大衆車=簡素という概念を打ち破ったことを受け、2代目サニーはボディサイズを拡大し、エンジンも1.2Lに大型化されました。

2代目サニーはフルモデルチェンジから3ヵ月後に高性能グレードであるGXを設定。砲弾型フェンダーミラーやGXマークを付けたグリルでスポーティさが強調されました。そしてGX5には5速MTを搭載。サニーGXはツーリングカーレースで大活躍したモデルです。

快適性だけでなく、走りでもガチンコ勝負を繰り広げる。カローラとサニーは宿敵であると同時に、競い合いながら進化をし続けていた、互いにとってなくてはならない存在だったのです。
このカローラとサニーの熾烈な競争は “CS戦争”と呼ばれ、日本の黎明期のモータリゼーションをけん引するという重要な役割を果たしたのでした。

(文:高橋満<BRIDGE MAN> 写真:トヨタ自動車、日産自動車)

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