23歳で新車を手に入れて26年!オーナーの人生に刻まれる1998年式 スバル インプレッサ 22B-STiバージョン(GC8型改)
工業製品であれ工芸品であれ、長く愛されるモノにはふたつの共通点がある。ひとつは「使われた時間が価値を生む」こと。そしてもうひとつが「大切に守られた時間が価値を生む」という点だ。
例えば、ヴィンテージギターは弾き込まれることで音が熟成し「完成」するといわれる。また、適切な環境で守られたギターは「生きた歴史」として語り継がれる。シングルモルトウイスキーも、飲むという行為で「完成」するものがあれば「熟成」によって深みを生むこともある。
それはクルマであっても同じだと思う。走り込んだ経験が染み込んだ個体と、オリジナルの姿を守り続ける個体。いずれも、オーナーとクルマが対話しながら歩んできた歴史が、クルマそのものの価値を育てるはずだ。
今回紹介するオーナーは、新車で購入した愛車と26年という年月をともにしている。それはつまり、1人のオーナーの色にしか染まっていない個体であることを意味する。この個体の歴史は、オーナーの人生の1ページそのものといっていい。
「このクルマは、1998年式のスバル インプレッサ 22B-STiバージョン(GC8型改/以下、インプレッサ22B)です。私は現在49歳で、23歳の頃に新車で手に入れました。ナンバーが2桁から3桁になる直前の2桁ナンバーを維持しています。現在の走行距離は、約3万6000キロです」
インプレッサ22Bは、1997年にスバルが世界ラリー選手権(WRC)マニュファクチャラーズタイトルを3連覇したことを記念し、翌1998年に400台限定で販売されたスペシャルモデルだ。フロントコンソールには、ナンバーが刻印されたシリアルナンバープレートが配されている。また、リアのトランクの「22B」のプレートも、このクルマがスペシャルモデルであることをさりげなく主張する。
なお、インプレッサ22Bの型式欄には「GC8改」と記載されている。つまり、改造届申請(持ち込み登録)が必要なモデルなのだ。工場のラインを一度離れ、スバルのモータースポーツを司る「STi(スバル・テクニカ・インターナショナル)」の手によって仕上げられた、いわば“公認チューンドマシン”だ。と同時に、1997年仕様のインプレッサWRカーのロードバージョンとしての位置づけでもある。
ボディには専用設計のワイドフェンダーや大型リアウイングなど、WRCで鍛え上げられたディテールが、そのまま落とし込まれている。インプレッサ22Bのボディサイズは、全長×全幅×全高:4365×1770×1390mm。駆動方式は4WD。トランスミッションは5速MTのみ。排気量2212ccの水平対向4気筒DOHCターボエンジン「EJ22改型」は、EJ20型をベースに2.2リッターにボアアップされた専用エンジンで、最高出力は280馬力を誇る。ボディカラーは、この時代のスバルを象徴するボディカラー「ソニックブルー・マイカ」にペイントされている。
オーナーのクルマ好きの背景には、幼い頃の環境が影響を与えているようだ。オーナーの実家はかつてガソリンスタンドを営んでおり、日常的にクルマが行き交う環境で育った。
「幼稚園くらいの頃はトミカが大好きでした。車名も覚えて遊んでいたんですが、小学校に上がる頃にはクルマに対する興味が薄れていったんです。クルマ熱が再燃したのは、運転免許を取得後に『頭文字D』や『湾岸ミッドナイト』を読んだことがきっかけです。ほぼ同じ頃に、テレビで見たWRCの中継で、インプレッサの走りを見て衝撃を受けました」
漫画やアニメに描かれていた世界観が、ラリーという現実の舞台で展開されていた。これまでフィクションとして描かれていたスピードや駆け引きの場面を目の当たりにしたことで、オーナーの胸は熱くなったに違いない。
「1993年から現在まで、毎回東京モーターショー(現ジャパンモビリティーショー)に行くようにしているんですが、22歳の頃、1997年に、モーターショーでインプレッサ22Bのプロトタイプを見たんですよ。それまで自分のなかで漠然とマツダ ロードスター(NB型)や日産 シルビア(S14型)あたりに乗ってみたいという気持ちだけがあったんです。しかし、インプレッサ22Bプロトタイプを見た瞬間、完全に心を持っていかれました」
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(写真提供:ご本人さま)
その後、自動車誌でインプレッサ22Bの価格予想や発売日など、あらゆる情報を追い掛けたというオーナー。最初は「600万円を超えるのでは?」との噂も目にしたが、最終的に約500万円という価格で登場することがわかった。
「情報がほぼ出揃った時点で“いける!”と思いました。正直高いとは思いましたけど、インプレッサ22Bだけはどうしても欲しかったんです」
正式発表は1998年3月16日。その直前、偶然仕事の休みとディーラーの営業日が重なった3月11日、オーナーはディーラーに足を運んだそうだ。
「当時はネット申し込みができる時代ではなかったので、電話より先に直接店に行こうと。すると『申込書と一緒に申込金(100万円)が必要です』といわれたので、申込金を支払って書類も出して手続きを完了、あとは連絡待ちという形になりました」
店舗に行けば必ず買えるというわけではない。何しろ限定400台という狭き門のうえ、販売店での申し込みも、あくまでも予約の列に並んだだけにすぎない。その時点で購入が約束されたものではなかった。
「買えることを願ってただひたすら“待つしかなかった”んです。それから少し経って、セールスの方から『インプレッサ22Bの枠を確保できました!』と連絡があり、正式に契約しました。その後、納車まで4ヶ月ほど待ったと思います。その間に現金一括払いで支払うための貯金もしました。あのとき申し込むタイミングが1週間でも遅かったら、おそらくインプレッサ22Bは買えていなかったでしょうね。それに、もっと早くこのクルマが世に出ていたら、絶対に買えていなかった。資金的にも気持ち的にも踏み出せなかったと思います。本当にいろんなタイミングが奇跡みたいに重なった千載一遇の出会いでした」
オーナーは当時20代前半であったが、インプレッサ22Bの購入資金はすべて自力で用意しており、親からの援助も受けていないという。しかし、高額な資金をどうやって用意したのだろうか。
「当時は独身でしたし、それまで他に大きな出費がなかったことが幸いでした。私はお酒も嗜む程度で、喫煙もしません。旅行に行くようなこともほとんどなかったですし、お金のかかる趣味も持っていませんでした。社会人になってから少しずつ貯金していたお金をインプレッサ22Bの購入資金に充てたため、当時の貯金はほぼゼロになりました」
聞いた瞬間、思わず「えっ…そこまでされたんですか?」と驚いてしまった。だが、オーナーは特別なことだとは思っていないようだ。オーナーにとって、手に入れるために当然のことをしただけなのだから。それほどまでにインプレッサ22Bを手に入れたい!という想いが強かったのだといえる。
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(写真提供:ご本人さま)
念願叶って手に入れた「新車ワンオーナー車」のインプレッサ22Bは、納車からこれまで約3万6000キロを走破したに過ぎない。
この数字だけを見ると温存されていると思うかもしれないが、そこには明確な意図とスタイルがある。走行距離が700キロを過ぎたあたりから現在にいたるまで、オーナーは今も手書きで「マイカー管理」を記録しているそうだ。
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(写真提供:ご本人さま)
「その日乗った距離、洗車したあとにどこへ行ったかなど、だいたいの出費も含めて手書きのメモで残しています。あとから読み返すと、当時のことが思い出せるんですよ。何も目的がなくても、天気が良ければちょっと走ろうかなって思うんですよね。休日前の夜とか、昼間ふらっと」
現実的な記録が中心ではあるが、数字の裏側にある思い出を書き留めてきたからこそ、愛車がともに時間を重ねてきた存在になっていく。オーナーにとっての“心のログブック”でもあるのかもしれない。
そんな愛車への向き合い方は、保管や維持の仕方にも表れている。納車前、保管場所を確保するために2台分の駐車スペースを借り、ガレージ(イナバ物置のガレージ)を建てた。
「1台分のスペースだとガレージが建てられなくて…。だから駐車場のオーナーさんに直接お願いして、並びで2枠分貸してもらえるように交渉したんです」
こうして確保したスペースに、既製品の組立式ガレージを設置した。交渉のすえに月極駐車場にイナバ物置のガレージを建ててしまうオーナーの情熱も驚かされるが、その申し出に理解を示した地主の方の寛大さにも驚きだ。現在は実家の建て替えに伴い、敷地内の空きスペースへ移設しているという。このとき購入した同じガレージを今も大切に使い続けているそうだ。
「インプレッサ22Bを手に入れたときから生涯手放さないと固く決めていました」と語るオーナー。まだ20代前半の若さで、そこまで先のことを考えていたというのは驚きだ(しかも、その決意が現在まで1度もブレていない!)。その思いは「純正のスタイルを守る」という選択にも表れていた。
「後付けは何もしたくないので、ETCも付けてないんです。高速道路を利用するときは一般ゲートです(笑)。ここまで来ちゃうと、何かを付けることは“異物混入”なんですよね。ただ、“若気の至り”でトランクにKENWOOD製のウーファーを取り付けてありますけどね(笑)。趣味車なのでトランクに荷物を積むこともないですし、特に困っていません」
「アップデート」ではなく「違和感」として、より鮮明に感じられるのだろうか。唯一、ウーファーのコントロールスイッチだけはやむを得ず取り付けてあった。だが、あくまで音を楽しむための最低限の妥協点だ。むしろそれがあることで、インプレッサ22Bの空間がどれだけ完成されたものかが浮き彫りになっているともいえる。
それは内装に限った話ではない。こだわりは、走らせる日にも及ぶ。
「雨の日は極力乗らないですね。オフ会も、天気が悪ければ休むようにしています。そこは仲間も理解してくれていて、天気予報や雨雲レーダーのアプリを見て判断しています。もしゲリラ豪雨に降られたら、ガレージで水滴を残さないように拭き上げてから自宅に戻ります。そうでないと、その日の晩に落ち着いて寝られないですから(苦笑)」
その言葉に筆者も大きく頷いてしまった。旧車を所有する同じクルマ好きとしても、オーナーの気持ちは痛いほど分かる。この気持ち、分かる人には分かるが、オーナーは決して自身のポリシーを押し付けたり誇示するタイプでは断じてないことは取材を通じてひしひしと伝わってきた。インプレッサ22Bを守るために淡々と続けてきたルーティンのひとつに過ぎないからだ。
そんな数々のこだわりのなかで、オーナーがもっとも気に入っているのがフェンダーの造形だという。インプレッサ22Bを特徴づけるブリスターフェンダーは、WRCのマシンをモチーフにした一体感のあるデザインとなっている。
「理屈抜きにかっこいいですよね。面を強調したデザインでもなければ、派手に張り出しているわけでもない。感覚で伝わるデザインなんです」
ちょうどこの話をしている最中、若いクルマ好きが声を掛けてきた。たまたまインプレッサ22Bを見掛けてわざわざ引き返してきたそうだ。いったん取材を中断してしばしクルマ談義。「フェンダーライン、すごくかっこいいですね」という言葉に、オーナーも照れくさくもうれしそうに答えていた。
インプレッサ22Bで育まれた造形へのこだわりは、オーナーが所有するもう1台の愛車にも通じている。そのクルマはBMW M3(E46型)。インプレッサ22Bとは異なるキャラクターのクルマだが、2台に共通するのは、機能美と調和した造形美であることだ。リアフェンダーの自然な張り出しや、そこからつながる流麗なラインに惚れ込んだという。
「後付け感のない、自然に張り出したあのラインが好きなんです。パワーは、BMW M3と比べるとインプレッサ22Bのほうが低いんですが、身軽さは圧倒的に上ですね。軽いっていうか、ちょっと浮いているような感じなんですよね。ヒラッと動いてくれる感じがあって。乗り味の異なる2台はどちらも乗っていて楽しいです」
とはいえ、BMW M3の購入には家族の理解が必要だったという。
「2台体制になるので、妻の許しが出るまでは6年掛かっています(笑)。でも、最後は背中を押してくれました。理解してくれた妻には本当に感謝しています」
さて、長く乗り続けるうえで避けて通れないのが、部品供給の問題だ。そこをふまえつつ、インプレッサ22Bと今後どのように接していくつもりなのかを伺った。
「最近は日産やマツダ、トヨタが純正部品の再生産を進めていますよね。スバルにも、いずれそういう動きがあればうれしいなと思っています。あくまでも希望でしかないですけど……。手に入るものは、なるべくストックしておくようにしています。それでも、インプレッサ22Bを手放すつもりはありません。どれほど高額なオファーがあっても売らないですし、この個体よりコンディションの良いインプレッサ22Bの売り物が出たとしても乗り換えるつもりは毛頭ありません。万が一走らなくなったら、ガレージに保管して眺めるだけでもいい。この個体でなければダメなんです」
WRCで戦うマシンを再現し、専用の工程で細部におよぶまでこだわり抜かれたインプレッサ22Bの設計思想は「神は細部に宿る」という格言そのものといえるのかもしれない。
そして今、このクルマを長きにわたって空気感ごと守り続けてきたオーナーの精神が格言に重なってくる。記録と記憶を重ねながら、愛車はオーナーの人生の1ページに深くその歴史を刻んでいく。いうまでもなくその歴史は現在進行形であり、いつ、どのような形でエンディングを迎えるのか。そもそもエンディングなるものが存在するのか?オーナーはもちろん、クルマの神様にだって分からない。
ただひとついえることは、オーナーが人生を掛けてインプレッサ22Bに惜しみない愛情を注いできたという揺るぎない事実だ。契約時からの書類やマイカー管理記録など、これまで取材してきた「数10年単位で大切に乗ってきた新車ワンオーナー車あるある」の条件にも驚くほど合致する。長きにわたり、これほど大切にされてきたインプレッサ22Bは、このうえなくシアワセなクルマだと思う。
「愛車と大切に接する最適解とは?」と問われたとしたら……、オーナーとインプレッサ22Bのカーライフは、ひとつの答え(=最適解)ではないだろうか。それが間違いないと断言できる取材となった。
取材・文: 松村透<株式会社キズナノート> / 編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)
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