2人との子どもとの約束を果たすために乗り続ける、27年目のトヨタ イプサム
日本にミニバンブームが沸き起こったのは、1994年10月にホンダが初代オデッセイを発売したのがきっかけだった。それまで多人数乗車が可能なファミリーカーと言えばキャブオーバータイプが主流だった。
バブル景気が終焉を迎えて人々のレジャーが“安・近・短”志向になる中で、キャブオーバーをラインナップしていなかったホンダは乗用車のプラットフォームを使って多人数乗車ができるモデルの開発を余儀なくされた。そうして生まれたのがクリエイティブ・ムーバーの第1弾となったオデッセイだった。
ホンダとしては苦肉の策だったのかもしれないが、結果的に乗用車のような乗り心地と走りを手に入れたオデッセイは大ヒット。これによりミニバンは乗用車ベースで開発されるようになっていく。
そして、初代トヨタ イプサムは1996年5月に登場した、オデッセイの対抗馬となるモデルだった。搭載エンジンは2L直列4気筒で、全幅が1700mm以下の5ナンバーサイズ。3ナンバー車だったオデッセイよりも日常での使い勝手を高めようという思いで開発されたことがうかがえる。
今回出会った中野俊一さんと富士スピードウェイで待ち合わせし、愛車を目にした第一印象は「懐かしすぎる!」だった。ミニバンブーム初期のモデルを街で見かけることはほとんどなくなったし、中古車情報サイトを見ても初代イプサムはたった1台しか掲載されていない。
それもそのはずで、ミニバンはユーザーの利便性にこだわり進化し続けている。わかりやすいのは両側電動スライドドアだ。今や当たり前の機能だが、初期のミニバンはヒンジ式ドアが主流だった。中古車なら10年落ちくらいで総額100万円前後のものも見つけやすい。
「私がイプサムを手に入れたのは1997年3月ですから、もう乗り始めてから27年目になりました。20歳でトヨタ セリカXXを手に入れて、次にAE92型のトヨタ カローラレビンに乗りました。そうしたら息子が生まれて『2ドアだと狭いし大変だね』となり、イプサムに乗り替えました」
その後、中野さんはいろいろあって離婚してしまうが、イプサムに乗り続けているのはその息子さんの一言からだった。
息子さんはすくすく育ち、気づけば高校生になり、その後中野さんの知り合いの会社に就職した。社長はとても面倒見のいい人で「息子、頑張っているぞ」と連絡をもらい、誇らしく思っていた。
そんな矢先、なんと息子さんががんを患ってしまい、長期間会社を休まなければならなくなった。最愛の息子が病に倒れ、中野さんは生きた心地がしなかっただろう。半年後、息子さんの身体からがんが消え、奇跡的に病から回復することができた。
「息子が病を克服した後、20歳くらいの時になんとなく話をしていたら、『親父、イプサムにはずっと乗り続けてくれよ。30年乗ってくれ』と言われまして。小さい頃の思い出が詰まっているからですかね。一度命を落としかけた息子から言われたことですし、『よし、乗り続けてみるか!』という気になったのです」
中野さんがイプサムに乗り続ける理由はもう一つある。実は離婚後に東京で再婚し、現在14歳になる子どもがいる。その子も小さな頃からイプサムに乗っていて、ずっと乗っていたいと言われているのだという。
正直に言うとこれまでイプサムから別のミニバンに乗り替えようと思ったことは何度もあるそうだが、最愛の2人の子どもたちから「大好きなクルマだから手放さないでほしい」と言われ、「よし、30年は乗ってやろう!」と思ったそうだ。
古いクルマだし、いろいろなところにガタが出てきた。そのうえ、ファンが大勢いてパーツが潤沢にあるモデルではない。それでもネットでなんとかパーツを見つけ、意地で乗り続けているという。
また、乗り替えようと思う度に思い出すのが、初めての愛車であるセリカXXのこと。憧れのクルマをやっとの思いで手に入れ、知り合いの整備工場に頼み込んで部品持ち込みで整備をしてもらいながら維持した。フリマサイトはもちろん、インターネットすら普及していない時代だ。中野さんは解体屋さんなどを回ってセリカXXの部品を必死に探したそうだ。
「この時はとにかくお金を持っていなかったのですが、それでもどうしてもセリカXXに乗りたかった。だからパーツを探すこと自体がものすごく楽しかったですね。最終的に20歳から24歳までセリカXXに乗ってレビンに乗り替えたのですが、やっぱり手放さなければよかったとものすごく後悔しました。あの時の思いは二度としたくない。だからイプサムは何があっても手放さないと決めたのです」
長く乗り続けているとだんだんと塗装がヤレてくるもの。8年前にムラが目立つようになってきたルーフを塗装してもらった。そして2023年にはボディ全体をリフレッシュしようと思い全塗装を依頼した。合わせてボディサイドに貼られたデカールも新調した。
「このデカールがとにかく大変でした。新車当時は9000円ほどで売られていたのですが、もうどこを探しても残っていません。そんな話を知り合いの自動車屋さんに話をしたら『仕方ない。うちでなんとかしてあげるよ』と言ってくださって、税込み16万5000円かけてワンオフで作ってもらいました」
愛する子どもたちとの約束を果たすために、最良の状態でイプサムに乗り続けている。このクルマにはそんな中野さんのこだわりが詰まっているのが写真からもわかるだろう。ここからはその一端を見ていこう。
まず、この初代イプサムのグレードだが、前期型(1997年式)のベーシックなSセレクションになる。だが、外観を見ると、1997年8月に追加されたスポーティグレードであるエアロツーリング仕様になっている。
「私はこのクルマを1997年の1月に注文して3月に納車されました。注文時点ではまだエアロツーリングが出るということを知りませんでした。乗り続けているうちにせっかくならエアロツーリングにしちゃおうとエアロパーツをオークションサイトで手に入れて、ボディに自分で穴を開けて取り付けました。塗装はプロにお願いしています」
アルミホイールはwedsのレオニス。センターキャップにはレオニスの“L”が入っていたが、同じLならレクサスのほうがいいとディーラーでセンターキャップを手に入れて自分で加工した。
リアスポイラーは2001年まで販売された初代イプサムの歴史で最後の半年間だけ付けられていたハイマウントストップランプ付きのものにしている。これはデザインが前期型のものより好みだったので敢えて後期型のものを選び、他のエアロパーツと同じように自分で加工したそうだ。
車内にはまだお子さんが小さかった頃にリアシートで観るDVDを繋いでいた3ピンケーブルの配線が残っていた。古い配線を見て、お子さんがもう大人になっていることを感じる。ちなみにDVDを再生していたカーナビはお子さんが小さかった頃のものを今でも使っている。
「当時のナビは5.1chで、これで映画を観ると迫力がすごいんです。子どもも喜ぶし、僕も音が動く感じを味わいながらドライブできるので気持ちよくて。地図データは2015年のものを使っていましたが、先日2017年の地図データに更新されたものをオークションサイトで見つけたので思わず買ってしまいました」
カーナビの上に目をやると、ワイドレンズのルームミラーが付けられていた。これはなんと中野さんが20歳の時に手に入れたもの。セリカXX、レビン、そしてイプサムと、中野さんの愛車にずっとつけられてきたことになる。
利便性を考えれば、最新のミニバンの足元にも及ばない。だが、イプサムには今の箱型ミニバンにはないスタイリッシュさがあるし、利便性の部分も比較しなければさほど気にならないと中野さんは笑う。
「まずは“30年間”乗るという子どもたちとの約束を果たすために、あと3年は頑張ります。その先のことはわかりませんが、手をかけてキレイにした状態をあと何年維持できるかなと考えると、結構いけちゃうのではないかと思っています」
人生の半分以上の時間を一緒に過ごし、自分の分身のような存在になっているイプサム。約束の30年に達したからと言ってすぐに手放したら、“イプサムロス”で抜け殻のようになってしまうのではないかと聞くと、中野さんは「自分もそう感じている」ととまどった表情を浮かべた。それもあってイプサムは手元に残しつつ、サーキットも走れるようなセダンを1台増車したいと考えているそうだ。
「実は数年前からガレージハウスに住みたいと思って物件を見ていたら、上の子から『近所にいい感じのガレージハウスができた』と連絡をもらいました。内見に行って気に入りすぐに契約しました。その後、イプサムが全塗装から上がってきてガレージに入れているので、いい状態を保つ環境は整っています。今後増車したとしても、ガレージに入るのはイプサムになると思います」
中野さんの人生の酸いも甘いも見てきて、こだわりがたくさん詰まった初代イプサム。もし最後に軽い気持ちで手放してしまったら、後悔するのは間違いない。しかも買い直そうと思っても同じクルマを探すのは困難を極めるし、万が一同型のクルマが見つかってもそこには想い出がないのだ。ここまで来たら、納得がいくまでとことん乗り続けてほしいと心から思う。
(文:高橋 満<BRIDGE MAN> 写真:中村レオ)
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