免許を取ってからビートひとすじ! 風を感じながら全開で駆ける愉しさ

  • ホンダ ビート(PP1)

免許を取得してから2台のホンダビート(PP1)を乗り継ぎ15年。オープンカーだからこそ感じられる非日常感、そして非力だからこそ楽しめる全開走行の楽しさは「一生乗り続けていくつもり」と言うほどオーナーを魅了し続けているという。

少し背伸びをしてホンダ・ビート(PP1)を購入したという片岡進さん。初めての愛車となったオープンスポーツカーは、緊張と楽しさと興奮と…全部が入り混じったなんとも複雑な気持ちにさせてくれたそうだ。
「でも、これだけは言えます。ビートを愛車に迎えて良かった」と自信満々に答えた。

片岡さんがクルマに興味を持ち、ビートを購入するキッカケとなったのはSUPER GTの前身となる『全日本GT選手権』だという。そのレースに参戦していたカルソニックスカイラインがとてつもなくカッコよく、あっという間にモータースポーツファンになってしまったのだそうだ。
そして、その流れで様々なカテゴリのレースにも関心を向けるようになり、F1でホンダが大活躍する姿を知った片岡少年は『ホンダ車のエンジンは世界で戦える力があるのか!』と憧れを抱くようになったという。

「免許を取ったらホンダ車に乗ってみたい!と思うようになったんですよ。それで選んだのが、予算内で購入できるオープンカーのビートでした」
たとえクルマにそれほど詳しくなかったとしても“オープンカーという響きがオシャレで良い”と感じる人は少なくないだろうし、片岡さんもその1人である。

冷静に考えると屋根が開くというだけのことなのだが、それはその動作以上に特別な意味があるという。納車後に走ったショップから家までの10Km程度の道のりが、特別な道になったと思えるほどに。
「すごく新鮮でしたよ。だって、今までは親のクルマや教習車しか乗ったことなかったわけですから。天井が常にあるか無いかだけの差なのにこうも違うとは、と」

片岡さん曰く、走りだすと速度を上げた分だけ頭上を流れる風を感じて、空気を切り裂くノイズが心地良いのだそうだ。頭を日差しから遮るものがない代わりに、太陽に焼かれたアスファルトや渋滞中の道路に並ぶクルマの熱が地球の揺らぎを感じさせてくれるのだという。
「月並みな言葉かもしれませんが、所有欲を満たしてくれるクルマなんですよ。それと、ビート歴15年にして改めて思うことは、このクルマが僕のカーライフにすごく合っているということです」

  • ホンダ ビート(PP1)

1991年にデビューしたビートは、量産車としては世界初となるミッドシップのオープンモノコックボディを採用し、軽自動車初の4輪ディスクブレーキ採用やマニュアルミッション搭載モデルのみのラインアップなどなど、まさに開発資金に余裕のあるバブル期ならではの軽自動車といえよう。
660ccの直列3気筒エンジンE07A型は、自然吸気なのでパワーこそ見劣りするが、高回転エンジンであることや軽快なハンドリングが功を奏し人気を博していた。
また、前年に発売されたミッドシップスポーツのNSXと比べると、排気量は1/4以下となるが、車両価格が約1/6とかなりお財布に優しかったのも人気に拍車をかけたのかもしれない。

“パワーでは見劣りする"というのは、一見するとネガティブな要素のようにも思える。だが、片岡さんからすると、エンジンが小さく非力なのがビートの最大の魅力なのだという。というのも、非力だからこそエンジンを高回転域まで回して走らないといけないシーンが多々あり、それによって性能を使い切る楽しさや高回転域の良い音を、サーキットなどを走らなくても体感できるからだという。
それに加えて、片岡さんがモータースポーツにハマりだした頃のレーシングカーは高回転まで回すクルマが多かったそうで、そういった乗り方の共通点なども気に入っているそうだ。

「ビートは街中でも全開で走らないと周りのクルマに付いていけないんですよ。そのうえ、クルマが軽くて素直に曲がるから、そんなにスピードが出ていなくても体感的にはかなり速く走っているように感じるんです。そこら辺の交差点が、特別な道に感じられますよ。これがあるから、ビートはやめられない」

ちなみに、片岡さんが現在乗っているビートは2台目だそうで、最初に買った平成3年式のベースグレードから、平成5年式のベースグレードへと、ほぼ一緒のスペックのビートに乗り換えているのだ。
「最初のビートには免許を取ってから9年間乗っていました。そろそろエンジンミッションをオーバーホールしようかなぁと話していた矢先に、事故で助手席側からぶつけられて廃車になってしまったんです。まぁこればっかりはしょうがないですけど、初めての愛車で僕にとっては特別な存在だったから、かなりショックでしたね」

1台目の赤いビートは、片岡さんの青春の真っ只中にいたという。それまでは電車やバス、はたまた自転車などの何処へでも行けるがそれなりに労力のいる移動手段を使ってきたため、どうしても行動範囲が限られてしまっていたのだという。それがビートに乗るようになり、好きな場所に行き、新しいモノやコトに触れる機会が増え、青春の充実度はどんどん加速していったそうだ。
それは、カーライフの充実度にも比例したという。目的地までの時間を楽しく過ごすことができ、新しい仲間や同じ趣味を共有する仲間ができる、その経験は自分にとって今でも大切なものだと話してくれた。

「あの頃は、よくマフラーを取っ替え引っ替えしていましたね(笑)。音が少し大きめ系からノーマル系まで色々なメーカーから様々なタイプのマフラーが出ていたし、それによってフィーリングもガラッと変わるから、楽しくて頻繁にやっちゃうんですよ」

  • ホンダ ビート(PP1)

就職してもらった初任給でマフラーを購入した際はどこに行くでもなくクルマを走らせたし、最初はちょっと派手かな?と思っていた赤いボディもいつの間にかスーパーカーっぽくてカッコいいじゃん!とお気に入りに。そういった心境の変化も、青年から大人の間という一番生命の濃度が濃かった時期だからこそかもしれない。そんな時間を一緒に過ごしたビートは、この先も一生忘れられないクルマになるはずだ。

そんな、赤いビートの空気感や匂いを2台目のビートに引き継ぐために、リアスポイラーベースやバケットシート、オーディオ類やシフトノブなど使えそうなものはすべて移植したそうで、特に外観で1番気に入っていたリアスポイラーの移植はマストだったとのこと。
「純正スポイラーの下にデフト製の黒い部品が付いているんですけど、これがあることによってスポイラーの高さが出るんです。迫力があってカッコいいでしょ?」

「ビートって、エンジンの上に鉄板があって外からまったく見えないんですよ。せっかくミッドシップなんだからNSXやフェラーリみたいに、窓を閉めている時にエンジンが見えたらカッコいいのになぁ〜と思っていたんです。そこで、ヤフオクでアクリル製のカバーを購入して、鉄板の代わりにアクリル板を敷いて、外からエンジンを見えるようにしたんです」
いかにカッコよく見せるか?ということを試行錯誤した力作も、初代から2代目へとしっかり継承されたというわけだ。

そして、初代の頃からお世話になっていたビート専門店で購入した2代目は、エンジンとミッションのオーバーホールをはじめ、ロールケージや車高調などのサーキットで走るための装備など、自分がやりたかったカスタムが購入時からすでに施してあったのも嬉しいポイントだったという。

ちなみに、片岡さんはそこからさらに手を加え、エンジンとミッションを再びリビルド品に載せ替えている。さらに、ミッションはオーバーホールついでに、機械式LSDを装着したそうだ。
ここまでする理由は?と聞くと「ビートというクルマが好きだから」というシンプルな答えが返ってきた。良い所もダメな所も、すべてがビートなのだという。
きっと片岡さんは、この先一生ビートから離れられない。愛車について話す顔を見て、そう確信した。

取材協力:
『神栖1000人画廊』(茨城県神栖市南浜)
『日川浜海岸』(茨城県神栖市日川)、かみすフィルムコミッション

(⽂: 矢田部明子 撮影:平野 陽 編集:GAZOO編集部)