とてもフツーで超ぜいたくトヨタMR-S・・・懐かしの名車をプレイバック

MR2」に続くトヨタのミドシップモデルは、ルーフが開けられるしゃれた一台。キャラクターは先達とは違うものの、軽快な走りで多くのスポーツカーファンを魅了した。

新たな“MR”は超さわやか

バブル景気の大波がすっかり引けてから10年弱がたったちょうどその頃、小さな人文系出版社で働き始めた僕が選んだ3台目の愛車が「トヨタMR-S」だった。理由は恥ずかしいくらい明快で単純。

「大好きな緑色だから」

純正カタログのカラーバリエーションの端っこに、静かにスッと、いかにも遠慮がちに差し込まれていたグリーンマイカメタリックのボディーカラー。両目を覆ってもなお差し込んでくるまばゆい輝きに、中国人の彼女ができたばかりの29歳は激しく身もだえしてしまった。これ以上イケてるデートカーが、ほかにあるだろうか。ブラック、レッド、イエローの3色から選べるシートカラーは迷う余地なくイエローだ。

MR-Sが発売された1999年、ニッポンはどんなことになっていたか。インターネットで調べてみれば、小渕恵三、ヤマンバ、i-mode、バイアグラ、AIBO、700系。残っているのはバイアグラくらいか。人類積年の夢のクスリだもん、画期的にも程がある。

ではクルマは? 「ヴィッツ」「ファンカーゴ」「S2000」「インサイト」「スカイラインGT-R(R34)」……。次代の一手を模索していたそれぞれの自動車メーカーにあってトヨタは、ミドシップスポーツカーMR2の脂っ気をすっかり抜き取った(?)さわやかな一台を提案する。ヴィッツの基本コンポーネントを流用しながら「セリカ」に搭載する軽量な1ZZ-FEエンジンをリアに積んだシンプルなオープン2シーター、それがMR-Sだった。

イジって攻めるクルマじゃない

MR-Sはミドシップエンジンのレイアウトを採用していたが、そのこと自体はそれほど重要なファクターではなかったのかもしれない。そこまでシリアスにスポーツ性能を追い求めちゃいないと、当時買ってすぐ思わされた。事前に試乗? していない。緑色であればおおむねオーケー。ミドシップの響きはすてきだが、乗り味は二の次だったのだ。

日本の量産車では初となるシーケンシャルマニュアルトランスミッションの搭載も話題になったが、その“語感”が示すほどスポーティーな代物ではなかったことは、友人が僕のマネをして買った(と思っている)SMT車に乗ってすぐに理解する。どちらかというとAT限定免許ホルダーのための施策だったのだろう。

ワインディングロードで、サーキットで、スポーツドライビングに血道を上げる初代/2代目MR2オーナーの、“次の一手”とはならなかったMR-S。ファンが型式で呼称する「AW」「SW」の両MR2にはたくさんの社外チューニングパーツが用意されていたが、3代目になってからはその供給マインドは図らずも減退してしまったようだ。「これはイジって攻めて遊ぶ類いのクルマじゃないのかも」と、モータースポーツまわりの人間も直感したのだろう。

1800ccで4気筒、ノンターボで140PS。なんともノンビリとしたスペックだが、初期モデルに限って言えばシーケンシャルを装備してもなおすべてのグレードで車両重量が1000kgを切っていたし、小売価格も200万円前後だった。その両方の“ライトさ”は2023年の現況から見ても実にすがすがしい。

「オープンで軽快」こそが美点

しかしそれでもMR-Sは間違いなく「MRシリーズ」の血を継ぐ“ミドシップランナバウト”だ。チューニングすればきっと素晴らしい素養と本性が見えてくるはずと、かつて「スターレット(EP82)」でダートラにいそしんでいた僕もはじめの頃にちょっとだけカスタムしてみたりもした。純正オプションのヘリカルLSDより利きがダイレクトな機械式LSDを組んでみたり、怪しげなオールステンのマフラーを夜の東池袋路上で装着してみたり。

でもわりとすぐに気がつく。MR-Sの改造はそこそこでいいということを。ロールケージを組んでハードトップで覆ってしまうのもいいけれど、僕はどんどん幌(ほろ)を開けてオープンで走りたいと思った。北海道ツーリングへはひとりで2回行ったが、毎夏恒例だった単車ツーリングとさして変わらない気持ち良さで延々と続く海岸線のワインディングロードを走れたのは、とりもなおさずMR-Sが小さなオープンカーだからだ。

ちなみに僕はMR-Sを屋内ガレージには置いてあげられなかったので、傷みがちな幌は2回ほど張り替えた。そのとき、見た目よりも気持ちが驚くほどリフレッシュできたのはなぜか。まるで散髪みたいだなと思ったことが懐かしい。

「このクルマは速いのかね?」「たいして速くありません」
「このクルマは売れるのかね?」「それほど売れないでしょうね」
「このクルマは……」「とりあえず発売しちゃいましょう!」

……なんて、MR-Sの開発秘話を、上層部と現場スタッフのていで勝手に想像してみたが、真ん中にあるユルさだけはおおむねこんな感じじゃない? いや、当事者が見たら激怒しそうだけれど、受け手の僕はMR-Sにそのくらい突き抜けた“軽快フットワーク”を感じてほくそ笑んでいた。MR-SはマッチョなGTカルチャーにあらがう急先鋒(せんぽう)で、魂のパイセンは僕が生まれて初めて買ったクルマ、「ホンダ・ビート」だ。……まあ、局地戦だけど(笑)。

これ以上なにが要る?

とても気に入っていたグリーンメタのMR-Sは、僕の手元に13年ちょっといた。そんなMR-Sはどこが新しかったのだろうか。メカニズム? 取り立てて革新的ということはない。スタイル? 抜群にエモーショナルという感じでもない。走り? これもすごく普通だった。普通。でもパワーが足りないと思ったことは一度もない。むしろそのフツーさがよかった。ライトウェイトであることは何にも増して美点だ。

どこも新しくないじゃないかって? そう、そこが隘路(あいろ)。新しいことを盛り込まないと世に問う意味がないという強迫観念こそが、新車開発をいたずらに難しくしてきたことを思い出してほしい。スペックにこだわるからこそスペックに苦しむのだ。そのあたり、MR-Sは超然としている。

軽快に走って、マニュアルトランスミッションで、オープンカー。これ以上なにが要る? しかもコイツはなんてったって、ウフフ、最高な緑色。当時販売されたMR-Sのなかでこの緑色は、100台に1台も売れなかった超不人気色だったらしい。そんなトヨタのミステイクに謝々! 肩ひじ張らないMR-Sはそのアピールこそ控えめだけど、“なんでもない”ことのぜいたくさはピカイチなのだ。

幼稚園に通う頃から、一番早く使い切ってしまうクレヨンは黄緑色。母親にねだって買ってもらった最初のミニカーは真っ赤な「ランボルギーニ・カウンタックLP500」だったけれど、すぐにでも黄緑色に塗り直したいとジリジリしていたことは今でもちゃんと覚えている。

そしていま、僕の本棚には黄緑色のモデルカー「ランボルギーニ・ムルシエラゴ」が。MR-Sの次はコレを買おうと思ってからはや20年。どちらが欲しいかといま問われれば、こう答える。

「グリーンマイカメタリックのMR-S!」

(文=宮崎正行)