【カーライフメモリーズ ~愛車と家族の物語~】兄弟と共に楽しんだ20代の思い出を、呼び起こしてくれたボクサーサウンド(1000スポーツ/A12)

学生時代や働き始めの若かりし頃。まだまだ自由になるお金が少ない中で、自分の乗りたいクルマに乗るために、さまざまな工夫をして愛車ライフを送っていたという人も少なくないはず。

今回紹介するスバル1000スポーツ(A12)のオーナーである矢島和夫さん(73才)は、20代前半に兄弟3人と協力しながら大好きなクルマ遊びを楽しんでいた思い出が、現在の愛車へと繋がるキッカケになっているという。

16才で二輪免許を取得し、学生時代はバイクにはまっていたという矢島さんが、自動車の免許を取得したのは20才になってから。

「当時はまだお金がなかったので、兄弟3人で給料からお金を出し合ってN360、カローラスプリンターと乗りついでいました。そんな頃に友達のスバル1000スポーツを運転させてもらう機会があったんですが、その乗り味が衝撃的でね。加速が良くて回転の上がり方もスムーズで『自分らのクルマとは全然違うなぁ』と感銘を受けたのを今でも覚えていますよ」と語る矢島さん。

早速乗り換えようとしたものの、1年しか販売していなかった1000スポーツはなかなか見つからず、後継モデルのff-1スポーツを2台買って、3人で協力しながらクルマ遊びを楽しんでいたそうだ。

そして、24才のときに、結婚を機にようやく“自分専用”として手に入れたのが、ff-1後継モデルの1300Gだった。

「ちょうど1300Gから後継モデルのレオーネへの切り替え時期で、売れ残りの新車にラリー仕様のチューニングパーツをフル装備してもらった1300Gを安く購入できました。自分の1300Gを手に入れてからは、妻に助手席でナビをお願いして仲間内のコマ図ラリーに参加したりサーキットを走ったりと、それまで以上にモータースポーツを楽しんでいましたね」

しかし、子供が生まれたのを機に『危ないクルマ遊びはやめよう』と、ファミリーカーに乗り換えることに。

こうしていったんスポーツタイプのクルマとは距離を置くことになった矢島さんだったが、それでも車輪付きの乗り物が大好きな気持ちを抑え続けることはできず、健康にもいいからとはじめたのが自転車だったという。

もともと凝り性で負けず嫌いだという矢島さん。自転車への入れ込み方も普通ではなく、なんとそこから40年間どっぷりとその世界にのめり込み、自分でオリジナルの自転車を製作するようにまでなってしまったというから驚きだ。

「自転車で日本全国の林道を走ることにハマったんです。でも好みの自転車が世の中になかったので、自分でオリジナルの自転車を作り始めてみました。そしたらそのうちに『俺のも作ってほしい』とオーダーの自転車製作を頼まれることが増えたので、オーダー自転車を販売するようになったんです」

ちなみに、家業だった靴職人から、自転車を作るために溶接を覚えて金属加工業に転職したそうで、現在もステンレス製品の加工などを現役でおこなっているという。

そんな自転車ライフに没頭していた40年の間も、実はずっと大好きなスバルff-1系スポーツセダンに乗りたい想いを持ち続けていたという矢島さん。

子育てや家庭が落ち着いた10年ほど前から本格的に車両探しをスタートし、6年ほど前にネットオークションでスバル1000スポーツセダンが売りに出されているのを発見した。

「探していたff-1や1300Gではなかったんですが、自分がスバリストになるきっかけを与えてくれた思い出深いモデルでした。すでに入札がたくさん入っていたんですが『ここで逃したら一生乗れないな』と即決価格で購入しましたね。即決したからか、売り手のオーナーさんは新品のガソリンタンクなど予備パーツみたいなものまで全部譲ってくれました(笑)」

スバル1000スポーツセダン(A12型)は、1966年に発売されたスバル初の小型乗用車、スバル1000に追加された2ドアセダンのスポーツグレード。
スバル1000はFF方式や水平対向4気筒エンジンなど当時の最先端技術が搭載されていた注目モデルで、1000スポーツセダンはさらにツインキャブエンジンを搭載し、最高出力67psを発揮した。

スバル1000の後継モデルだったff-1や1300Gにもスポーツセダンがあり、矢島さんはこの“スポーツグレード”にこだわりを持っている。

こうして40年以上の月日を経て、1000スポーツセダンのオーナーとなった矢島さん。実際に乗ってみてどう感じたのか尋ねてみた。

「乗り心地は正直自分が昔感じていたほどでもなかったなって(笑)。でも50年以上前の車だからしょうがないし、乗っていると若い頃を思い出すんですよ。それにクルマ自体は4段階に車高を変えられるフロントのトーションバー機能がついていたのが当時としては画期的でしたし、今もカッコよく見えるように気持ち下げて乗っていますね」と笑顔で語る。

速さや走りの性能を求めていた当時とはちがって、長い年月を経た今だからこそ感じる新たな魅力を楽しんでいるようだ。

もちろん乗り心地だけでなくその車体のフォルムや内外装にもこだわりを見せる。

「スタイルは全部好きですけど、特にヨーロッパ調でお尻が下がっていて、そこがいいかな。国産車じゃないようなデザインだし。外装関係は買った状態から、マフラーを純正品に戻したり、再メッキしたリヤバンパーを装着したりと、なんとなく気に食わないところを自分なりに直したりオリジナルのカスタムをしたりしています。あとはホイールだね。昔1300Gの時に気に入って履いていたビッグライトホイールがどうしてもほしくて、インターネットで探してやっと手に入れました。ホイールナットは自分で「SUBARU」とレーザー加工して装着しています(笑)」

また、矢島さんが「他に見たことがない」というのがフロントガラスに装着されている日よけバイザー。「昔ラリーをやっていたときにつけている車両が多かったので、インターネットで箱入り新品を見つけて買って長さ調整して付けてみました」とのこと。

一方、ビンテージ感の雰囲気漂う内装はほとんど購入時のままということだが、ETCやカーナビ、扇風機などもしっかり取り付けて普段乗りが快適になるよう工夫されている点はさすがだ。もちろんトランジスタラジオも健在。

またオリジナル状態の後部座席に座布団やカバーをかけているが、これはすこしでも日焼けを防ぐための策で、スバルに合うようスター柄をチョイスしているという。

ちなみに、当時いっしょにクルマ遊びを楽しんでいた兄弟たちはその後すっかりスポーツタイプのクルマとは無縁の生活を送っていたそうだが、矢島さんがこの1000スポーツを買ったことにより、わずかな変化が。

冒頭の写真の真ん中に写っているように「兄弟のなかでいちばん運転がうまかった」という弟さんが、1000スポーツに試乗したり一緒にイベントなどに参加したりと、この1000スポーツをキッカケに、またいっしょにクルマ遊びを楽しむようになったのだという。

「この1000スポーツは、自分が免許を取って、兄弟とともに少しモータースポーツにのめり込んだ時に乗っていたff-1スポーツや1300Gの前モデル。当時1000スポーツは乗ってなかったけどすごく魅力あるクルマだなと思っていました。そして巡り合わせで手に入れることができて実際乗っていると当時を思い出してやっぱり楽しい。飽きることは絶対にないし、これからもずっと大事に乗っていきたいです」

矢島さんの若い頃に培われた“スバルのスポーツモデル”への愛情は、40年の時を経て、維持するどころかさらにパワーアップしているようす。そしてこれからも、また兄弟や家族をも巻き込みながら、さまざまな思い出を重ねていくに違いない。

エンジン音を動画でチェック!

(文: 西本尚恵 / 撮影: 土屋勇人)

[ガズー編集部]