1980年式ダイハツ ハイゼット360(S38型)は17年越しで再会した「運命の愛車」かもしれない
愛車との出会い方は十人十色だが、「クルマに選ばれているとしか思えない」エピソードには、この取材をしていると何度も遭遇する(と同時に、意外なほど多いことに驚かされる)。
例えば、民家の軒先で偶然見かけた“憧れのクルマ”を見るため、通勤路を変えたあるオーナー。やがて憧れのクルマに乗る決意をし、中古車店に相談したところ、まさに見ていた個体が下取りに出されようとしていた…という話が実際にあった。偶然とはいえ、めぐり会わせを感じてしまう。
今回は、そんな言葉では片づけられないほどの運命的な出会い…というよりも、“再会”を果たしたオーナーを紹介したい。
「このクルマは、1980年式 ダイハツ ハイゼット360(S38型/以下、ハイゼット)です。この個体を迎えたのは2019年だったので、所有6年目に入っていますね。メーター表示は9万7000キロですが、5桁メーターなので1周しているかどうかは不明ですね。コンディション的に1周はしていないと思うんですが…。いま、私は30代ですが、中学生の頃からずっと気になっていた個体そのものを、縁あって譲り受けたので大切に乗っています」
ハイゼットは、高度経済成長が加速し始めた1960年にデビュー。当時のボディタイプは「ボンネットトラック」と「ボンネットバン」の2タイプが揃っていた。以来60年以上・シリーズ11代にわたり、日本の営みを支え続けている。
1960年代は、物流や移動のニーズが一気に高まった。狭い道でも機動力を発揮する、小さくて力強いクルマが求められた。自動車メーカー各社も積載性や耐久性・高性能エンジン・低価格などそれぞれの得意分野を活かしながら「働くクルマ」の開発に挑んだ。
ダイハツは、すでに大ヒットしていた軽三輪車「ミゼット」に続く新たな商用車として、四輪の軽トラック「ハイゼット」を発売。車名は「high(高性能)」と「midget(小型車)」を組み合わせた造語で「ミゼットよりも高性能なクルマ」という意味が込められている。
オーナーの個体(トラック)は、シリーズ4代目にあたる。生産期間は1971年から1981年までのロングセラーモデルだ。1976年に軽自動車の新規格が施行され、排気量が360ccから550ccへと拡大された。これを受けて各メーカーは順次550ccエンジン搭載車への切り替えを進め、ダイハツも1976年に550ccのS40型を投入した。いっぽうで、従来の360ccエンジンを搭載するS38型も、当時一定数いた「軽自動車限定免許」の保持者に配慮し、1981年8月まで販売された。
オーナーの愛車は、まさにS38型の最終期に生産された1980年式のハイゼット360だ。ボディサイズは全長×全幅×全高:2990mm×1295mm×1605mm、駆動方式はFR。搭載される排気量356ccの水冷2ストローク直列2気筒エンジン「ZM型」は、最高出力26馬力を発揮する。トランスミッションは4MTが設定されていた。
丸目ライトを持った愛嬌あるフロントマスクから、旧車ファンの間では「ドラえもんハイゼット」と呼ばれて親しまれている。商用車らしい実用性を備えながらも人懐っこく、ぬくもりを感じさせるモデルだ。
「商用車」というカテゴリは、旧車愛好家のあいだでは“ツウなジャンル”として一目置かれている。しかしオーナーは、もともとその道のマニアだったわけではない。フルサイズのアメリカ車に魅せられたカーライフの延長線上にハイゼットが現れた。その出会いを語るには不可欠な、クルマ好きの原体験とこれまでの愛車についてお聞きした。
「クルマが好きになったのは、たぶん3歳くらいの頃です。父親がそれなりにクルマ好きだったので、よくカタログやモーターショーのパンフレットをフリップ芸みたいにパッとめくって『これは何のクルマ?』と当てさせる、車種当てをしていました。そのおかげで車種をどんどん覚えていって、もっといろんなクルマを知りたいなって思うようになり、自分の意思で単独で動きはじめた気がします。これがきっかけらしいきっかけのいちばん古い記憶だと思われますね」
オーナーはあくまで親子の遊びだったと話すが、後のカーライフの土台が垣間見える、まさに“英才教育”だ。では当時、同世代のクルマ好きとの話が盛りあがっていたのかと思いきや・・・?
「同世代の男子はカードゲームなどに夢中でしたけど、私はクルマ一筋でしたね。自分でもよく飽きなかったなと思いますけど(笑)。父がクルマの楽しさを教えてくれなければ、ここまでクルマ好きにはなっていなかったかもしれません」
高校卒業後は、大学進学のため一度地元を離れたオーナー。しかし、クルマへの関心が途切れることはなかった。「就職してクルマを買う」という目標は早くから定まっていたという。初めての愛車に選んだのは、シボレー インパラ。しかもローライダー仕様だった。
「インパラを維持するためには、実家のある地元で暮らすほうがいいだろうと。だから就職もその条件から逆算して決めたようなものですね(笑)。いろんなクルマが好きだったんですけど、ローライダーに興味があったので、どうせなら大好きなインパラに乗りたいって思ったんです。ローライダー界隈では、ハイドロでクルマを跳ねさせるのが醍醐味みたいなところもあるんですが、私は車体に負担がかかるのがかわいそうに思えて興味はなかったです」
卒業後は再び地元に戻り、念願だったインパラでカーライフを満喫する。そんな日々のなかで、未来の愛車との出会いが訪れた。
「休日に近場をドライブしていると、向こうから1台の軽トラックが走ってきたんですよ。それが、中学の頃に通学路や地元のスーパーで見かけていた360ccのハイゼットだったんです。乗っているおじいちゃんも当時のままでした。大学4年間は地元を離れていて、その間すっかり忘れてたんですよ。数秒のすれ違いだったのにすごく衝撃で、まるで時間が巻き戻ったような感覚がありました。中学時代ですらもう珍しかった360ccの軽トラが、さらに4年以上も経っても元気に走っているなんて!」
思いがけないすれ違いが、過去の記憶を呼び覚ますきっかけとなった。のちに愛車となるハイゼットは、オーナーにとってどのように特別だったのだろうか。
「軽トラックとかハイゼットに憧れや特別な想い入れがあったわけではないんです。このハイゼットは、趣味の匂いが全然しなかったんですよね。もしあれがガレージ保管の愛好家のクルマだったら、ここまで印象には残ってなかったでしょう。完全に道具として、暮らしに溶け込んでいる雰囲気がかっこよく映ったんです。
高校生になってもよくすれ違っていました。病院の前で奥さんと降りてくるところを見かけることもありましたし、金曜の夕方になると、決まってスーパーに停まっているんです。あのハイゼットは間違いなく、家族と一緒に年を取ってきた相棒なんだと。だからずっと心に残っていたんですね」
それからさらに年月が経った、ある日のことだった。
「普段あまり通らない道をたまたま走っていると、道沿いに個人で営んでいるような整備工場があったんです。クルマ好きだから、軒先に珍しいクルマが置いてあるとつい見ちゃいますよね(笑)。なんと、そこにあのハイゼットがポツンと置かれていたんです。Uターンしてお店に突撃訪問してしまいました。店主さんに話を聞くと、やっぱりあのおじいちゃんが手放したハイゼットでした。店主さんは旧車好きで、自分で乗ろうと思って譲り受けたと聞きました」
再会の興奮も冷めやらぬまま、オーナーは中学時代から抱いていた思いを店主に伝えてみたそうだ。
「昔からずっと見ていてすごく印象に残ってて…という話をしたんです。すると店主さんが『良かったら譲ろうか?』と。もうね、その言葉を聞いた瞬間、心は決まりました。即決でした。気づいたら『お願いします』と勝手に口が動いていました。後のことはまったく考えていない(笑)。あのハイゼットに再会できた意味が大きすぎたんですよね」
まさに「バトンが手渡された瞬間」だったのかもしれない。こうして、長年見守ってきた1台のクルマが愛車となり、自分のもとへとやって来ることになった。ハイゼットとともに暮らしてきた前オーナーの記憶を自分が引き継ぐという意味。道具として、家族として大切にされてきたクルマを受け継ぐ責任と誇らしさに、オーナーの心は震えたに違いない。
「後日、店主さんからあのハイゼットがどうしてそこにあったのかを詳しく聞く機会があったんです。かつておじいちゃんが、新車で購入してから長年整備を任せていたのは、地元にある別の整備工場だったそうです。その整備工場が前オーナーから引き取ったところで、私が再会した車屋さんの旧車好きな店主が自分で乗ろうと交渉し、譲ってもらったと聞いています。晴れて旧車好きの店主さんが譲り受け、自分の店頭に置いておいたところ、たまたま私が見つけてしまった…という経緯です(笑)」
つまりこのハイゼットは、地元の整備工場同士の信頼関係によって偶然オーナーが訪れる場所にたどり着いたのだ。オーナーがたまたま通ったあの道が、すべてのはじまりだった。“めぐり会わせ”というにはできすぎている。
実はオーナー、ハイゼットを購入する前に一度だけ、前オーナーの男性にコンタクトをとっていたという。
「毎週金曜の夕方に、スーパーに停まっているのを見かけていたんです。いつか話しかけるチャンスがあるかもと、ハイゼットのカタログを持ち歩くようにしていました。そうしたらいらっしゃって…!意を決して声をかけたんですが、年齢を重ねて耳が遠くなっているようでした。そこで持っていた当時のカタログを見せたら、じっと見つめて笑ってくれたんですよ。その笑顔だけでもう十分だと思いました」
あの瞬間、オーナーの胸には「伝えきった」という達成感があったはずだ。だからこそ、ハイゼットが現実の愛車となったとき、偶然ではなく「返事」として感じられたのだ。
ちなみに、このハイゼットには、モディファイは施されていない。もちろんレストアも行われたこともない。あらゆるものが当時のままだ。オーナーが唯一手を加えたのは、ドアバイザーとスマートフォンの充電器くらいなものだ。
「生活傷も、おじいちゃんの補修跡も全部残したいです。ピカピカにするとこの個体ではなくなってしまう気がします。普通この年代なら、車体がグサグサに腐食して穴が空いてたりするのですが、屋内に保管して、大事にしてたんでしょうね。まだまだ走れます。こういうにじみ出る変化を“味”というんでしょうね」
ヤレたクルマをよく「古着のような味わい」と形容する言葉を見かけるが、このハイゼットにとって、ヤレや傷はファッションではなく「記録」だ。きちんと整備され、現役で走り続けていることが、この個体の価値を何より物語っている。
この個体にはもうひとつの魅力がある。それが、カタログには載っていない“不思議な仕様”だ。
「グレードは『スタンダード』なんですが『スーパーデラックス』にしかない装備が、チラホラ装着されています。ホイールキャップ、ラジオとか。逆に、スーパーデラックスなら標準で付く助手席側のバイザーは付いていません。まるで中間グレードみたいな仕様になっているんですよね。
おそらくですが、昭和の時代って販売店が柔軟だったじゃないですか。おじいちゃんが新車で注文したときに『ホイールキャップつけといて』とか『ラジオ欲しい』と伝えたら、スタンダードをベースに、部分的に装備を足してくれたんじゃないかなと推測しています。
あと、これもおもしろいのですが、キャビンの後方窓の裏に鳥居(ガードフレーム)が付いてるんですよ。これもカタログに載ってないので、たぶんディーラーが特注で付けたか、当時の職人さんが現場で取り付けたんじゃないかなと。少し歪みがあって手作り感があるんですけど、逆にそれがいい。ちゃんと使えるし頑丈ですよ」
近所の買い物はもちろん、旧車イベントに足を運ぶことも増えたと話すオーナー。数多くの名車たちの中でも、ハイゼットの持つ生活感に惹かれて近寄ってくる人は少なくないようだ。その佇まいと物語に注目が集まり、旧車専門メディアから取材を受ける機会もあるという。
そんなハイゼットと、これからどう接していきたいかを伺った。
「自分もまだまだ未熟ですが、受け継いだ身としてできる限りの愛情をかけていきたいです。このクルマがずっと掲げてきた新車時のナンバーを守ります。もし、自分の身に何かあって手放さざるを得ない状況になったなら、ナンバーを引き継げる方が譲渡の条件です。
ハイゼットは自分よりも年上で、この街の景色をずっと見てきたはずです。公園のあたりや古い松並木のあたり、昔から変わってないらしいんですよ。このクルマはそこを何度も走っていたんだろうなと。自分の知らない地元を知っていると思うと、一層感慨深いです」
最後に、前オーナーへのメッセージを伺った。
「大切に乗り続けてくださって本当にありがとうございます。きちんとお礼を言えなかったのが心残りです。カタログを見てくれたときの笑顔が、自分にはすべてだったように思います。ご高齢だと聞いているので、お元気だったら90代後半の年齢になるそうです。いつかお会いできたらこのハイゼットを見せたいですね。すぐに言葉が交わせなくても、見ればきっと思い出してくれる気がします」
「事実は小説より奇なり」。そんな言葉が自然と浮かぶような、不思議なめぐり会わせは確かにある。オーナーは、このハイゼットに「選ばれた人」としか思えない。
クルマに特別な力があるとは思わない。ただ、誰かの人生に深く溶け込んだ1台には何かが宿る。クルマとは、風景や手ざわり、声にならなかった想いまでを記憶する“外付けハードディスク”のような存在でもあるのではないだろうか。
モノの記憶が、今を生きる人の心を動かす。クルマがもつ不思議な力を信じたくなる取材だった。
(取材・文: 松村透<株式会社キズナノート> / 編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)
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