セラはオーナーの人生そのものであり「戦友」。1992年式トヨタ セラ(EXY10型)は幻の「アムラックス セラ」
いま「旧車」を取り巻く空気は変わりつつある気がする。
トヨタはGRヘリテージパーツを展開、日産もNISMOとして部品供給に取り組んできた。マツダもNAロードスターの工場レストアを公式メニュー化。ホンダも2026年春からは「純正互換部品」のグローバル供給を開始予定だという。
変化は技術だけではない。クルマと歩んできたオーナーの「物語」が、自動車メディア以外でも取り上げられるようになった。記憶に新しいのは、80歳の女性が長年連れ添った愛車RX-7をマツダに託したエピソードだろう。テレビのニュースでも取り上げられ話題となった。また、豪雨災害で水没したフェアレディZを、自動車整備学校の学生たちが甦らせたというニュースもあった。
EV化などの自動車技術の転換期が、物語の価値を際立たせているのかもしれない。それに伴い、クルマを所有するという価値観自体が変わりつつある。その結果として「旧車」と呼ばれるクルマは、ノスタルジーよりもいまを生きる人に寄り添う「パートナー」として変化しつつあるように思う。
今回登場するオーナーの愛車も、オーナーの人生に寄り添う大切なパートナーといってもいいだろう。さまざまなクルマを所有してきたオーナーが、もっとも長きにわたって所有している愛車とのカーライフが、ここにクロニクルとして浮かび上がってきた。
「このクルマは、1992年式トヨタ セラ(EXY10型/以下、セラ)です。『アムラックス セラ』という50台限定で、実際に生産されたのは20台ほどといわれているモデルです。この個体を迎えたのはいまから10年ほど前なんです。それと並行して、私はこれまで、30台ほどのセラに乗り継いできました。私は「セラ」の存在そのものが好きなんです」
トヨタ セラは、1987年の第27回東京モーターショーに登場したコンセプトカー「AXV-II」から着想を得て市販化され、1990年から1996年1月まで販売された。ベースとなったのはシリーズ4代目スターレットだったが「ニューライブコンパクトビークル」という独自のコンセプトを掲げたモデルだった。
最大の特徴は、上半分をガラスで覆った「グラッシーキャビン(グラスキャノピー)」と「バタフライドア」だろう(※なお、当時トヨタは「ガルウイング」として統一していた)。当時の量産モデルでは極めて珍しく、スーパーカー的な演出を日常に持ち込む試みとして注目を集めた。
ボディサイズは全長×全幅×全高:3860mm×1650mm×1265mm。駆動方式はFF。搭載される1496ccの水冷直列4気筒DOHCエンジン「5E-FHE型」は、最高出力110馬力を発揮する。軽量な車体との組み合わせで、日常使いの範囲でも扱いやすいフィーリングを実現している。
今回のセラは、希少なアムラックス限定仕様車である「アムラックス セラ」だ。1990年に池袋に開業したトヨタの複合型ショールーム「アムラックス東京」の開業2周年を記念して企画された特別仕様車で、わずか50台のみが先着順に用意されたが、実際に販売されたのは20台ほどとされている。
専用ボディカラーやオリジナルデザインのファブリックシート(このモデルのみの表皮だ!)、2シーターに見える後部座席用のトノカバーも設定・現存している。極めて貴重な存在であるにもかかわらず、なんとこのクルマのオーナーは日常使いしているそうだ。お子さんの保育園の送迎や近所の買い物にも気負わず出かけるというから驚きだ。
「気にしていたら楽しめないですし、クルマは乗らないと傷みます。それならばきちんと手入れして乗ってあげたいんです。これはけっこう誤解されるんですが『セラって暑いでしょ?』っていわれるんですよね。実際、そこまで暑くありません。屋根の内側にはちゃんとカバーがありますし、エアコンも効きますから。オープンカーに比べたら、むしろ快適だと思います」
グラッシーキャビンは、たしかに見た目のインパクトが大きい。しかしそれ以上に、オーナーの手できちんと整備されているからこそ、快適に走らせることができている。撮影場所までの移動の際に、オーナーのご厚意で助手席に乗せてもらった。撮影日は猛暑日だったこともあり、暑いといえばたしかに暑い(笑)。とはいえ、このモデルには熱線反射コーティングガラスが採用されている恩恵なのか、思いのほか快適だ。なんといってもこの開放感がたまらない。サンルーフ付きのクルマとは次元が違う、むしろオープンカーに近い感覚なのだ。
「クルマは、実際に購入して走らせてみないとわからないですから」と語るオーナーの愛車遍歴は、セラだけで前期・中期・後期、AT・MT、純正・カスタム、ターボ仕様など約30台を乗り継いできた。
同時に、クルマのジャンルにこだわらず多様なモデルを経験してきたオーナー。さまざまな国内外の自動車メーカーをはじめ、軽トラックやキャンピングカー、さらに原付ミニカーなど、あらゆるジャンルのクルマを所有し、楽しんでいる。
多様なクルマに乗る理由を尋ねると、返ってきたのは明快な答えだった。
「クルマが好きなので、多様な個性に触れたい。そのうえでやっぱりセラがいいと思えることを確かめたいのかもしれないですね。総合点で一番なのはセラなんです」
では、オーナーのクルマ好きはどのように醸成されたのだろうか。
「小学校の授業で『好きなものを描きましょう』っていわれたとき、いつもクルマ一択でした。父がクルマ好きで、ボディカラーにまで強くこだわるような人だったので影響を受けているのでしょう。私もクルマの内外装に対して異常なくらいこだわるんですけど、たぶんDNAなんでしょうね(笑)」
オーナーが幼い頃から、家にはいつも複数台のクルマがあった。それにも理由がある。
「父が好きなクルマのために、努力を惜しまない姿を子どものころから見てきました。なので私にとってクルマは『一家に1台が当たり前』ではなく『好きなら頑張って2台目、3台目を持てばいい』という感覚になったんです」
好きなものにまっすぐで努力を惜しまない。オーナーの原動力の中心にはいつも「クルマ」があった。セラとの出会いは運命的だったそうだ。
「中学生の頃、セラを見たときの衝撃は今でも忘れられません。それまで見てきたどのクルマとも違う存在だったからです。家にあるクルマは、大きくて角ばって四角いのに、セラは丸くて流れるようなフォルム。ドアは鳥が羽ばたくように開くんです。もちろん一般的なスーパーカーはカッコいいし好きだったんですが『18歳になって運転免許を取得したらセラに絶対乗るんだ』と決めました」
オーナーは成長するにつれて「セラのようなクルマを、いつか自分でデザインしたい」と強く思うようになっていた。インダストリアルデザイナーの道を模索すべく、フランスの高校へ進学する道を選んだ。
「留学中は、アルバイトをしながら生活費をまかなっていました。そのなかでセラの資金も少しずつ貯めていく日々。セラは生産終了していましたが、中古市場もこなれてきていたので、卒業したらすぐ買うつもりで準備していました。
その間、情報源は日本の自動車雑誌だけ。まだネット検索もままならない時代です。セラが載っているかどうかもわからないのに雑誌を買うしかない。でも現地で日本の雑誌を買うと、すごく高かったんです。春休みや夏休みで一時帰国したときにまとめて買って、それを飛行機で持ち帰っていました」
やがて18歳を迎えたオーナー。大学進学のタイミングで帰国し、念願の愛車を購入した。オーナーにとってのファースト・セラは、愛好家の間で「金セラ」と呼ばれる前期型でゴールドのボディカラーの個体だった。
「なるべく予算を抑えたかったので、個人売買で譲っていただいたんです。数日前からもうワクワクして寝られなくて。納車の日は、セラの中で一晩過ごしたんですよね。15年越しの恋が実った記念日。初デートと同じですから」
大学生活が始まってから、ホイール・車高調・オーディオなど思いつく限りのカスタムを楽しむオーナー。やがて「違う仕様にも乗ってみたい」という気持ちが強くなり、半年以内に2台目、1か月後には3台目のセラを増車した。
その後も「セラ熱」はますます加速していき、AT・MT・前期・中期・後期・ノーマルサウンド・スーパーライブサウンドシステム・色違いなど、さまざまな仕様を体験。若いときにはターボ化やフルエアロ、車高調&18インチホイールのカスタムも楽しんだオーナー。気づけば累計で30台のセラを乗り継いだという。その到達点がフルノーマルの「アムラックスセラ」というわけだ。
もちろん、学生という立場でクルマを複数所有するのは簡単なことではない。学業とアルバイトを両立させ、睡眠時間を削って維持費を捻出していた。あの頃に身についた習慣は、いまも変わらない。家族との時間を壊さないよう、夜が更けてから愛車とふれあう時間を設けている。「好きなものを優先するなら他を削る」という感覚は、この頃から続いているのだろう。
こうしてはじまった、セラとのカーライフ。全国のセラオーナーと情報共有を積極的に行いはじめる。
「インターネットがなければ出会えなかった人たちと、クルマを通じてつながれたことは、自分の世界を大きく広げてくれました」
増車にも限界があった。新たなセラとの出会いがあるたびに、当時は維持費の問題で泣く泣く入れ替えていたという。その繰り返しが結果として、乗ってきた台数の多さにつながっている。しかし、オーナーの「もっと深くセラを知りたい」という探究心は、加速するいっぽうだ。ついにレースの世界に足を踏み入れた。
「内装はすべて取り払い、ドンガラ状態にしました。走行データも今のように簡単には取れず、ゲームの『グランツーリスモ』で富士スピードウェイなどのコースを覚えました。YouTubeもない時代に、試行錯誤しながらやるしかなかったんですよ。
実際にレースで走ってみて、これは無理だって思いました。理由は2つ。まずは命を賭ける世界の過酷さ。緊張感のなかで、心から楽しめる自分ではないと気づきました。レースを経験したことで、自分の限界とセラの特性を深く知ることができました。 同時に、レースは“戦う人”のための場所。自分は“楽しむ人”として関わる方が向いていると気がつきましたね。
レースを経験してから、街中でもスピードを出すことが怖くなりました。 “速さ”を知ったからこそ“普通”を大切にできるようになったのかもしれません」
壮大な「セラ・クロニクル」が浮かび上がってきた。さまざまな経験を通して「深く知ることこそ愛すること」という価値観が、オーナーのなかに確立された。そうしたクロニクルの集大成のような存在が、現在の愛車・アムラックス仕様のセラだ。あらためて愛車との出会いを振り返っていただいた。
「アムラックス東京は、長期休暇で帰国するたびに足を運ぶのがあたりまえみたいな感覚でした。展示車輌に乗れたり、モニターでRAV4のボディカラーを変えたり、センチュリーのカラーシミュレーションを試せたり。しかもすべて無料だったんですよ。
アムラックス仕様のセラ、ずっと欲しいと思っていたんですよね。街で見かけた個体を、自転車で必死に追いかけたこともありました。息が上がって止まったところでドライバーさんに『売ってください!』って声を掛けました。当然断られましたけど(笑)」
限定20台という現実。さらに市場ではほとんど出回っていなかったが「いつかは手に入れる」という意思は揺るがなかった。そして年月を経て、ついにアムラックス仕様のセラを手に入れる。
「手に入れたのは2009年です。状態はボロボロの不動車でしたが、逆にこれはチャンスだと思いました!整備や修復そのものを楽しめるタイプなので、ゆっくりレストアしていこうと」
当時は同時に別のセラを所有しており、別々の場所に分散して保管していた。そのなかで、オーナーが特に手をかけて仕上げていた「カスタムセラ」が、東日本大震災の被災地にあり、帰らぬ1台となってしまった。
アムラックス仕様は別の場所にあったため無事だったものの、結婚や子育て期と重なりしばらくセラとの距離を置くことになる。
「ある日、保育園に通っていた息子と保管していたセラを観に行ったんです。『このクルマで保育園に行きたい』というんです。その一言で、完全にスイッチが入りましたね。ちゃんと直して、走れるようにしようと。板金塗装やエンジン関係は業者さんにお願いしましたけど、内装や足回りなんかは自分でコツコツやりました」
レストアを経た愛車のモディファイについて、詳しく伺った。
「内装は全部バラしています。ダッシュボードからリアまでまっさらにして、配線も一回引き直しています。クリップも当然新品です。自分の手で行った作業は、室内のフル脱着、配線の引き直し、クリップ類の総交換、ウィンドウの機構やダンパー類のリフレッシュ、オルタネーターや燃料ポンプ、エアコンのエバポレーターの交換などです。
板金塗装や法定整備は、最初からプロにお願いするつもりでした。自分でやっても絶対納得いかないのがわかっていますから。信頼している方がいるので、そこはもう完全にお任せです」
「手を抜きたくない」という思いと、プロに任せる部分の線引き。オーナーのバランス感覚がセラの車体に行き届いているように感じられる。では、モディファイにおいてこだわっている部分は?
「見た目は純正で、現代の装備を取り入れるなら見えない場所に仕込むことですね。現代の公道を走るには、ETCやUSB電源・電圧計といった現代装備も必要となりますが、見えないようにグローブボックスの中や視界に入らない場所に隠すように工夫しているので、外からは一切見えません」
さらに驚くのは、中学生の頃からコツコツ集めていたというオプションパーツが装着されていることだ。
「セラ用のオプションはほぼ全て所有しております。全部を付けたくなる気持ちもありますけど、アムラックス仕様という限定モデルなので、コンセプトに合うものだけを選んでいます。ピラースポットライトやインパネトレイ・シフトノブカバー・トップサンシェード・ナビボーイ(電子コンパス)・クリーンエース(空気清浄機)・コンソールボックス・フォグランプ・シートエプロン・カーケアセレクション…などなどです。あとはエアコン吹き出し口から香りが定期的に出るスペースフレグランサー「エアファンタジー」という激レアオプションもつけています。
愛車の世界観にそぐわないものは未使用のまま保管していますね。時にはパーツを取るためだけにクルマを丸ごと買ったこともあります。もちろん、そのクルマは必要な方に譲っています」
まさにセラを極めたオーナーならではの美学に基づいたチョイスといえるだろう。とはいえ「セラマニア」に見えながら実は「走ってナンボ」のリアリストでもある。その証拠にオーナーは雨でも臆することなくこのセラを走らせているという。この一見相反する価値観が、オーナーのなかで矛盾なく共存している。最後に、そんなセラと今後どう接していきたいかを伺った。
「自分が免許を持っている限りは、セラに乗り続けたいですね。息子も『セラおじいちゃん』と呼んでくれていて、いまも家族の一員として大事にしてくれています。まだ数年先ですが、息子が免許を取得したら乗ってみたいといってくれているので、準備しておきたいですね。幸い部品も手元にありますし、直してあげることはできると思っています」
オーナーのもとには、SNSなどを通じて多くのセラオーナーたちの声が届くという。フロントガラス交換に必須なモールをはじめ、ドアやハッチガラスのゴムモールも廃番だ。ヘッドライトやテールランプは破損すると購入不可。最近ではメーターやシートベルトのトラブルも年々増えているという。
維持の難しさは年々増し、これらの部品が交換出来ずに車検に通らず廃車という話も他人事ではない。オーナーは願う。
「全部の部品を復活させてほしいとはいいません。でも、最低限の補修パーツだけでも、細く長くサポートしてもらえたらと思います。セラと一緒に育ってきた世代としては、それだけでも救いになるんです」
自分のためだけでなく、仲間たちがもう一度ステアリングを握れるように。祈りにも似た想いがオーナーのカーライフの根底にある。
現在、オーナーは2台目のアムラックス仕様もレストア中だ。その背景には、自分が乗る以上に未来へバトンを渡すことまでを見据えた意図があるのかもしれない。オーナーにとってアムラックス仕様のセラは「到達点」。完成形であり、一緒に走り続ける“戦友”なのだろう。
1台の愛車ととことん向き合いつつ、並行してさまざまなクルマをレスキューし、公道へと復帰させている。しかも、すべてその道のプロに丸投げするのではなく、可能な限りDIYだ。雨の日にもガンガン乗る。汚れたら洗車をする。カタログや純正部品の蒐集欲も異次元のレベルだ。
とことんクルマ趣味を楽しみ尽くしているオーナーの取材は仕事であることを忘れてしまうほど楽しく、いつまでも話が尽きない。気づけば日が暮れてしまった。帰り際にアムラックスセラやオーナーの愛車たちと目が合う。
「つくづくオーナーのところに嫁いできたクルマは幸せだよなあ」
夏の夕暮れの駐車場にたたずむオーナーの愛車が、ホンの一瞬「ニカッ」と微笑んだように映ったのは気のせいではないはずだ。また、そうだと信じていたい。
(取材・文: 松村透<株式会社キズナノート> / 編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)
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