父が手に入れ娘が引き継ぎ、合わせて50年。愛車遍歴はこの1台のみ。1974年式いすゞ 117クーペ XG(PA95型)
「1台のクルマが1つの家族にずっと寄り添う」。逆の見方をすれば「1つの家族に1台のクルマがずっと寄り添う」でも成立するかもしれない。
父から娘へ。50年という年月を1台のクルマとともにするには「特別な何か」が必要に思われるかもしれない。いや、答えはむしろその逆だ。
自分の家族のように、そこにいるのがあたりまえ。いつもと変わらない「ごく日常」の1ページ。ひたすらこれを繰り返していけばいいだけだ。敢えて「特別な何か」をする必要はない。
そしていつしか、かけがえのない存在となっていることに気づく。今回の取材でオーナ一からこのことを教わった気がする。
「このクルマは、1974年式いすゞ117クーペ XG(PA95型/以下、117クーペ)です。父が購入したのち、私が譲り受けてトータルで50年。現在の走行距離は約15万キロです」
117 クーペがデビューした 1968年といえば、乗用車の生産台数がトラックを追い抜き、マイカー時代の到来を実感した年だ。そして、ジョルジェット・ジウジアーロがこのクルマのデザインを手掛けたことはあまりにも有名な話だ。
117クーペのボディサイズは、全長×全幅×全高:4310×1600×1320mm。駆動方式は FR。オーナーの所有する個体には「G181W型」と呼ばれる、排気量1817cc、直列4気筒 DOHCエンジンが搭載され、最高出力は125馬力を誇る。
そして 117 クーペには「前期型」「中期型」「後期型」の3つのバリエーションがあることを知っている人も多いだろう。ジウジアーロが手掛けた美しいフォルムは当時のプレス加工の技術では再現することができず、文字通り手作りで生産された。これがいわゆる「ハンドメイド(前期型)」だ。そして1973年のマイナーチェンジにおいてようやく機械化されたのが中期型。1978年のマイナーチェンジでヘッドライトが角目になったのが後期型である。なお、オーナーが所有する個体は中期型にあたる。
今回の取材はオーナーのリクエストで、オーナーのご自宅兼ピアノ教室&カフェで行った。
建物の1階が117クーペの駐車スペースとピアノ教室&カフェを兼ねているという。117クーペの隣にオーナーが愛用するグランドピアノ(100年以上前に作られたドイツ製のピアノ「グロトリアンシュタインヴェーク」が置かれており、それはまるで映画のセットであるかのように画になる光景だ。ビルトインガレージのように居住スペースとガレージを壁で仕切っているのではなく、1つの空間に収められている。このことからも「愛車である117 クーペと一緒に暮らしていること」を強く実感できる。
いまでこそ、家族の一員のように大切にされている117 クーペだが、ファーストオーナーである父親がこのクルマを手に入れた経緯は、拍子抜けするほどビジネスライクだったようだ。
「私の父は町工場を営んでいて、営業用でいすゞエルフなどを扱っていました。そんなご縁でディーラーの試乗車だったこのクルマをセールスマンから勧められ、父が買い取ったと聞いています。そんな経緯もあり、父がこだわってオーダーして新車で手に入れたわけではないんです(笑)」
もともとディーラーの試乗車だったこの個体をたまたまオーナーの父親が購入し、こうして50年経ったいまでも現役のクルマとして現存しているのだから人生何が起こるか分からない。当時、幼かったオーナーも、父が運転する117クーペの助手席に座り、ドライブした記憶が残っているという。
「小学生くらいだったと思います。父が117クーペのメーター周りの作りについて教えてくれたことを覚えているんですが、何しろ当時の私はクルマに興味がなくて(苦笑)。その後、18歳で運転免許を取得しましたが、父が営業車で仕事に出てしまうと他にクルマを運転できる人がいなくて、当時買い物等不便な所に住んでいたので生活のために免許を取った(取らされた)ようなものでした」
実はオーナーが運転免許を取得する際にもこの117クーペが一役買っているという。
「実は教習所の仮免許に落ちてしまったんです。当時は『貸しコース』という、自分のクルマを持ち込んで練習できるサービスがありました。父の運転で 117 クーペに乗って教習所に行き、クランクや縦列駐車の練習をしました。何しろ117クーペは“重ステ”ですから、縦列駐車のときのハンドルの切り返しなんて特に大変でした。もう汗だくだった記憶があります。
教官の方に『あんた免許取ったらこのクルマ(117 クーペ)に乗るの?』と聞かれたので、“そうです。ウチにはこれしかないので”と答えたら驚いていましたよ。運転免許を取り立ての女の子が117クーペに乗るってあまりないことだったのでしょうが、当時は何も考えていませんでした」
教習所の教官の気持ちも分からなくはない。そして、オーナーの同級生もそれは同じだったようで……。
「特に意識せずに 117 クーペに乗って出掛けると『このクルマで来たの?』って驚かれました。そんなことが続くうちに“このクルマってもしかするとイイクルマなのかも……?”と思いはじめました。でも本当は、マツダ ファミリア(初代)やホンダ シティ(初代)に乗りたかったんですけどね(苦笑)
この117クーペとは長い付き合いだけに、忘れられないエピソードは他にもいろいろありそうだ。
「後付けでクーラーを取り付けましたが、私が小さい頃はなかったので、暑いときは三角窓を開けていました。三角窓って本当に優秀ですね!なぜなくなってしまったのだろう?って思います。
あと…忘れられないエピソードとして、私が運転免許を取得した直後に弟がバイクで事故を起こしてしまい、地元の救急病院では対応できないということで、当時親戚の医師がいた離れた大学病院に連れて行くことになりました。搬送の範囲外なので救急車を使えないため、自力で行かなくてはなりません。私が117クーペ を運転して、親が後部座席で意識がなく痙攣を起こしている弟を抱き抱えて介抱していました。そんな弟の様子も気が気ではない上、未知の世界でもあった真夜中の高速道路を怖々走らせながら何とか病院に到着しました。幸い弟は一命を取りとめましたが、いま思い出してみても、震えるほどに怖かったです。そしてこの頃から何となくこのクルマって頼りになる子だな、なんて思うようになりました」
50年も一緒に暮らしていれば、良いこともあれば辛いできごともある。そしてオーナーや兄弟の成長とともに、117クーペはあちこちが痛んでいく。いわゆる経年劣化だ。これは仕方がないことではあるのだが……。
「父は『117クーペはおまえの癖がついているから乗りにくい」といっていたし、妹や弟もこのクルマを運転することはなくて、事実上、私だけのクルマのようになっていました。我が家に来てから20年くらい経ったあたりからボディの傷みが目立ちはじめ、不具合も多くなりました。なかでも致命的だったのがキャブレターの故障でした。いよいよダメかと諦めかけたとき、雑誌で「鈴の音クラブ117』というグループの存在を知ったんです。さっそく入会したところ、若い女性オーナーは珍しいということもあってか、皆さんに世話を焼いていただきました。本当に助かりました」
絶版車、そして旧車を個人で維持するには限界がある。横のつながりがあってこそ成立するのではないかと思う。助けたり、助けられたり。困っているときはお互いさまだ。
「117クーペには20年も乗ったし、父も『もうそろそろいいんじゃないか』くらいの心境だったようです。私も、ピアッツアに気持ちが傾いた時期もありましたし。でも鈴の音クラブ 117の皆さんに助けていただいたこともあり、同じクルマに乗っている方たちと出会っていなかったら手放していたかもしれません。主人は私と結婚してからビークロスを手に入れ、現在はランクルに乗っていて、今は亡き父もパジェロやビッグホーンに乗っていましたが、私だけはずっとこのクルマ。これまでの愛車遍歴ってこの117クーペだけなんですよね」
結果論かもしれないが、長きにわたる人生において 1台のクルマとだけ向き合い続ける。なかなかできることではない。いまでこそ、レストアを終え、屋内保管の効果もあってコンクールコンディションの美しさを保っているが、青空駐車だった時代も長かったという。
「カーポートのようなものもなく、“野ざらし”の時期もありました。さすがにボディカバーくらいは被せてはいましたが、鈴の音クラブ 117の会長さんの 117クーペはピカピカで、エンジンルームまでワックス掛けしているのを目の当たりにしていたので、いつか自分も 117クーペをこんな風にレストアしたいと思うようになりました」
幸いなことに、オーナーの自宅はいすゞ車専門店から比較的近いところにあり、ついにレストアを決意する。
「車検を受けるたびに不具合が目立つようになってきていて、レストアを決意したのは2016年のことでした。それまで2回ほど全塗装したことはありましたが、ボディに錆が目立ちはじめていましたし、何より板金などの職人さんがご高齢でいつ引退してもおかしくない状況と知ったんです。かなりの費用が掛かることは承知していましたが、“もう一台クルマを買うと思えばいいんだ!”と、覚悟を決めました。現在の主治医であるイスズスポーツさんが近場だったのも運が良かったです」
旧車を維持する上で、横のつながりと同様に専門店や主治医の存在も重要だ。オーナー自身が愛車をメンテナンスするとしても、板金塗装やエンジンの積み下ろしなど、専門的な技術や設備が整っていなければ手に負えない作業も少なくない。そういう意味では、オーナーも、そして117クーペにとってもレストアできる環境が整った専門店が近くにあったのは幸運だったといえる。
「愛車を載せたキャリアカーがイスズスポーツさんに向けて走り去る姿を見えなくなるまで見送りました。それからご迷惑を承知で足しげく菓子折り持参で工場にお邪魔して、レストアの様子を見せていただきました。そこにはバラバラになった 117クーペが置かれていて、ボディもドアの付け根やフェンダーの下の方が錆びだらけ。鉄板の一部に穴が空いているような状況でした。大切にしていたつもりだったのに厳しい現実を目のあたりにして絶句しました。本当に元どおりになって帰ってこられるのか…。さすがに不安になったくらいです」
日常の足として使われ、レストアを依頼した時点で生産されてから40年以上も経っているのだ。それ相応のヤレがあって当然だ。レストアする以上、徹底的に錆を除去することになるわけだから、ボロボロの状態を目のあたりにしたオーナーが心配になるのも無理はない。
「2016年秋にレストアを依頼して、完成したのは 2018年5月でした。他の急ぎのクルマを優先していただいて構いませんとお伝えしていたので、実際の作業期間は1年くらいだと伺っています。その間、ご迷惑だと知りつつも何度も工場にお邪魔して撮り溜めた写真をフォトブックにまとめてみました」
レストアに際してボディカラー、カムカバーはオリジナルのままの同色に塗り直していただきました。マフラーはフジツボ製の新品を装着しています。それとレストア時に憧れだったクロモドラ製のマグネシウムホイールに交換するか迷いましたが、イスズスポーツさんのアドバイスもあってこれまで使っていたATS製のホイールを再塗装して使うことにしました。当時高くて手が出なかったクロモドラの代わりに似たデザインだという事で購入したATSですが、今となってはこれも私のクルマの大切な一部です」
オーナーの気持ちも痛いほど分かるが、ここはプロショップのファインプレーといえるだろう。こうして、新車当時のような美しいコンクールコンディションに蘇った117クーペ。自宅に戻ってきたときのことも振り返っていただいた。
「レストアの期間中に自宅の1階を改装して、117 クーペが駐車できるスペースを用意しました。サイズがギリギリで壁を削ったりで、リフォームも苦労しました。今までガレージにきちんと収まっている他のクルマを見るたびにうらやましいと思っていたので、ようやくその夢が叶った瞬間でした」
美しく蘇った117クーペ。レストア前後でクルマに対する接し方にも変化があったようだ。
「休日などに旧車が集まっている場所に顔を出してみたり、イベントにも参加するようになりました。納車されてから10年くらい経ったときにいすゞ自動車藤沢工場に里帰りさせたんですが、今回もレストア完成記念ということで、同じ場所で撮影してきました(笑)。最近の旧車ブームのせいもあるのか、きれいになった途端、注目されるようになった気がしてなりません!交差点で信号待ちをしていると声を掛けられたり…と、注目されることが増えました。なんだか恥ずかしいので、街中などでは主人に運転してもらい、私は助手席に座っています」
取材当日はすがすがしいくらいの晴天だった(数時間後にゲリラ豪雨が予想されていたので早めに撮影を終わらせた)。初夏の日差しに照らされた 117 クーペのフォルムが引き立つ。思わず見とれてしまうほどの美しいラインだ。それはオーナーも同様だった。
「117クーペのスタイリングが好きです!特に真横からみた曲線のラインです。皆さん、ハンドメイドがいちばんっておっしゃるんですけれど、私はこのクルマが見慣れているせいなのか、こちらの方がむしろすっきりしていていいなって思っています。まあ、親バカですけど!詳しい方曰く、DOHCエンジンを積んだこのモデルはハンドメイドより生産台数が少ないらしいです」
最後に、野暮な質問だが今回も敢えて聞いてみたい。この 117クーペと今後どう接していくつもりなのだろうか?
「私が乗れる限り乗り続けることはもちろんなんですが、“私がこの世を去っても、すぐに生まれ変わってまたキミを探すから、それまで頑張っていてね”という想いが強いですね。こうして取材していただいて次のオーナーさんに「あっ、あのときの117クーぺだ」って気づいてもらえたら、私以外の人が所有することがあっても大事にしていただけると信じたいです」
どれほど愛情を注いだ愛車であっても、悲しいかないつかは必ず別れが訪れる。必ずだ。
オーナーは「いつか必ず訪れてしまう『愛車との別れ』という未来」のためにレストアを決意し、美しく蘇らせたのだろう。オーナーがいずれ 117 クーペを断腸の思いで手放したとして、これだけ素晴らしいコンディションを誇るこの個体を次のオーナーがむやみやたらに改造したり、ましてや部品取り車にしてしまうとは考えにくい。そういった「念のようなもの」は、黙して語らずとも分かる人にはきちんと伝わる。また、その念を感じ取れる人こそ、このクルマの次のオーナーに相応しいといい切れる。
世の中のクルマのほとんどがひっそりと最後を迎えるなか、この 117 クーペは未来永劫、原形を留めていくように思えてならない。また、そうであって欲しい。このクルマのため、そしてオーナーのためにも…。
そう願わずにはいられない取材となった。
(取材・文: 松村透<株式会社キズナノート> / 編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき / 取材協力: necco cafe)
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