「週休6日」の音響マンが初代トヨタ MR2に乗り続ける理由
18歳で運転免許を取るとほぼ同時に、S13と呼ばれる世代の日産 シルビアを「友人から500円で(笑)」譲ってもらい、その後はFCと呼ばれるマツダ RX-7を2台、そしてSW20こと2代目トヨタ MR2を乗り継いだ。
そしてその後は「なんだかんだで4台分のパーツを1台に投入してきた」という初代トヨタ MR2(AW11)に、ずっとずっと乗り続けている――と聞くと、「収入と時間の大半を車に注ぎ込んでいるゴリゴリのカーマニア」を想像するかもしれない。
しかし自宅の縁側というのかテラスと呼ぶべきか、まぁそういった場所でのんびりとコーヒーを飲みながら、庭に置かれた初代トヨタ MR2を眺める東谷秀彦さんの実態は、それとはずいぶん異なる。
いや「かなりの車好き」という意味ではそのとおりなのだが、「収入と時間の大半を車に注ぎ込んでる人」という勝手なイメージは、事実と大きく異なっているのだ。
そもそも東谷さんは、あまり働いていない。
いや東谷さんは決して無職というわけではなく、音楽関係の音響エンジニアとして十分なキャリアと経験を有している人物であり、現在もフリーランスとして、さまざまなイベント系の仕事を請け負ってはいる。
ただ、東谷さんは週休5日か6日ぐらいのペースで生きている人だ。つまり、たまにしか仕事をしない人なのだ。
……資産家または株長者だからか? と思うかもしれないが、それも違う。写真に映っている神奈川県南西部にある自宅は――さすがに正確な額はここで公開はしないが、けっこうお安い家賃の借家である。
要するに東谷秀彦さんは「お金をあまり使わない暮らし」をしているのだ。だからこそ、ならしてカウントすると「週に1日ぐらい働くだけ」という生き方であっても、生活と、初代MR2と、そして“自身の幸福感”を十分に維持していられるのである。
20代の頃は、さすがにちょっと違ったという。
「もともと上昇志向みたいなものが強いタイプではありませんでしたが、やっぱり人並みにガンガン働いて稼ぎたい――とは思ってましたよね。で、稼いだお金はMR2のガソリン代とタイヤ代に消えていく(笑)みたいな感じで生きてました」
転機は30歳のときに訪れた。音響関係の仕事で初めてインドへ行き、強烈なカルチャーショックを受けた。そしてそれ以降は年に1回か2回のペースで、東南アジアの各国へ長期の旅に出るようになった。
「現地の人々って収入は少ないですし、いわゆる生活レベルみたいなものもかなり低いんです。でも、なんだか『楽しそうに生きてる人』が妙に多いんですよね。で、彼らが楽しそうに見える理由はいったい何なんだろう? そして逆に、お金やモノはたくさん持ってるのに、あまり楽しそうには見えない人も多い理由は何なのか?
――なんてことを考えながら何度も旅をするなかで、徐々に気づいていったんですよね。『人はお金やモノがなくたってどうにかなるし、“幸福感”を得ることはできる』ということに」
そして「じゃ、自分もそういったライフスタイルにシフトしていってみようかな?」と思い始めたのが、30代後半の頃だった。
それまでは、あまりやりたくない類の依頼でも“お金のため”に受けていた仕事を、本当にやりたくないと感じた場合には「その仕事はやりたくないので、やりません」とはっきり断るようにした。そうすると当然ながら収入は減るが、その分だけ“使うお金”を減らすようにすれば、金銭的な帳尻は合った。そして内心「嫌だな……」と思っていたことをやらなくなったことで、幸福感は増した。
そしてさらに“使うお金”を減らすため、今から3年ほど前、東京都世田谷区の某所から神奈川県南西部にある庭付きの借家へと転居した。
「あまり仕事をしていないのでお金はありませんが(笑)、出ていくお金も極端に少ないので、特に問題ないんですよ。世田谷時代は、狭い部屋でも駐車場代と合わせてまあまあのお金を払ってました。でもここの家賃は安くて、しかも同居することになった彼女と折半しているので、本当に安上がりなんです。で、近くに飲食店なんかありませんからほぼ100%自炊で、食費もそんなにはかからないですしね。だから、『たまに働く』ぐらいで十分なんですよ」
飲食店もないような街で、いや“町”で、節約しながらひたすら自炊する――と聞くと、なんだか地味でつまらない日々をイメージするかもしれないが、それもまた違う。
仕事をセーブした結果として生まれた時間(と、お金はあまりない生活)のなかで東谷さんは、かなり本格的ではあるものの、ごく普通か普通以下の値段で買える食材や調味料を使って行う麻婆豆腐づくりとチャーハンづくりに、ひたすら没頭した。
そしてその結果――東谷さんがつくる麻婆豆腐とチャーハンの味は“プロの域”に達してしまった。いや筆者は取材時にごちそうになったが、誇張はいっさい抜きで「名店の味と同等か、それ以上」であった。
そんな追求の日々のなかで東谷さんが感じていた心の内は、他人である筆者としては想像することしかできない。だがおそらくは、「地味」とか「つまらない」とかいった形容とは真逆の「素晴らしく充実した日々」だったのではないか。つまり「幸福度はきわめて高かった」ということだ。
そして麻婆豆腐やチャーハン、あるいは東南アジアについて長らく記述したきたこのお話は、やっと初代トヨタ MR2へと行き着く。
若い頃はこのAW11型MR2で峠を走りまくっていたという東谷さんだが、近頃は「たまに行く程度」だという。
その代わりに行っているのが「ニッポン全国下道の旅」だ。
「いや別に全国へ行っているわけでもないのですが(笑)、ふと行きたくなったときはMR2に乗って1週間ぐらい、旅をするんです。先月は九州の福岡県に住む友人と会いたくなって、MR2で走って行きましたし、去年は青森県まで行きましたね。高速道路はいっさい使わず、全部いわゆる下道です」
下道を使う理由は、まず第一には「お金を使わずに済むから」。実はけっこうな高額になる高速道路料金がなければ、あまり働かずとも旅に出ることは可能になり、そして高速道路料金の分だけ旅の日程を延ばすこともできる。
そして第二の理由は「気が向くままに寄り道できるから」だ。
ガチガチのスケジュールはいっさい立てずに自宅を出発し、「とりあえず今日は◯×市ぐらいまではたどり着けそうだな……」とわかった時点で、◯×市の空いている宿を予約し、そこに泊まる。そして翌日もまたノープランで出発し、気の向くままに寄り道をする。
旅の最中、特にスピードは出さない。出す必要がない。なぜならば、東谷さんには“時間”がたっぷりあるからだ。そして初代トヨタ MR2という車は、無理に速度を上げずとも「運転というものの面白み」を強く感じることができる車だからだ。
「基本的に乗りにくい車ではあるんですよね。ピーキーで、上手く走らせることができたときはすごく気持ちいいのですが、でもその『上手く走らせる』というのがけっこう難しい。でも難しいからこそ楽しいですし、別にスピードなんか出さなくても――ワクワクできるんですよね」
手間ひまかけて整備してきた初代MR2ではあるが、最近はさすがにあちこちの故障が目立つようになってきたという。特にこの夏場にエアコンが壊れたのは、修理にけっこうなお金がかかる部位であるということもあって、ややキツかったという。
「でも考えてみると、初代MR2みたいな古い車でも、新しい車でも、維持にかかる総額ってだいたい同じぐらいだと思うんですよ。僕がこれを買った頃は今みたいに中古車相場が高騰してなかったので、車両価格は安かったのですが、でも古くなると修理代はどうしてもかかってしまいます。逆に新しい車を買えば修理代なんてほぼかからないと思いますが、その分だけ車両価格は高いですよね?」
確かに、そうかもしれない。
「全部だいたい“同じ”なんですよ。そして同じであるならば、僕は自分が気に入ってるものに、今の車では味わいにくい魅力がある車に、できる限りずっと乗り続けていたいんです。ほかの人がどう思うかはわかりませんが、この古いミッドシップカーに乗ることが、僕にとっては“幸せ”なので」
幸福とは何か――と書いてしまうとやや大げさかもしれないが、筆者は今、少なくとも「そもそも“豊かさ”って何だっけ?」というシンプルな問いを、東谷秀彦さんならびに1989年式トヨタ MR2から投げかけられたような、そんな気がしている。
(文=伊達軍曹/撮影=阿部昌也/編集=vehiclenaviMAGAZINE編集部)
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