こだわりすぎず自分流で付き合うVW・タイプ1『オーバル』との時間

  • GAZOO愛車取材会の会場、富山県射水市の海王丸パークで取材した1955年式のフォルクスワーゲン・タイプ1

    1955年式のフォルクスワーゲン・タイプ1

クラシックカーとカテゴライズされるクルマが好きなひとの中には、自動車メーカーの生産ラインから出たままの姿を是とする“フルオリジナル派”の人も多く存在する。
そのいっぽうで、長く乗り続けていれば壊れてしまうパーツもあるし、消耗品は定期的に交換する必要があり、車種によってはそういった交換部品が製廃などによってノーマルの状態に修復できない車両も存在している。そのため、厳密な意味で生産ラインから出たままの”完璧な姿”を維持することは難しく、楽しんで乗り続けようと思ったら、時には大らかな気持ちも必要になってくるというものだ。
1955年式のフォルクスワーゲン・タイプ1に乗り続けている軒田さんは、気負わず、過度なオリジナル信奉でもなく、自分が好きなスタイリングを楽しみながらクラシックカーライフを楽しんでいるという。

「この『オーバル』はもう20年くらい所有しているんですが、そもそもは19歳の頃に家にあった1976年式の『ビッグテール』に乗ったのがはじめてのタイプ1でした。そのビッグテールは父のクルマだったんですが、免許を取って譲ってもらい就職までの間はずっと乗っていましたよ。だから、早い段階から装備や走りに関して“クルマってこんなモン”という感覚が刷り込まれちゃったんですよね。大学を卒業して地元のトヨタディーラーに勤めるようになったので、そのタイプ1は手放しちゃったんですが、やっぱり空冷フラットフォーエンジンのサウンドが忘れられなくて。だから23歳の時に1957年式のコンバーチブルを再度購入しちゃいました。1台目と比べると年式はかなり古くなっていましたが、乗り始めて特に戸惑わずに済んだのは基本設計が変わらないタイプ1だからでしょうね」

可愛らしく特徴的なフォルムを持つタイプ1だけに、その雰囲気を味わいたいと考える人も少なくないが、実際に乗ってみるとお世辞にもパワフルとは言い難いエンジンや、エアコンなどの快適装備もなく、季節によっては過酷を極める。そんな過酷さを笑顔で乗り越えるには、やはりクルマに対する思い入れや慣れが必要なようだ。

「2台目のタイプ1コンバーチブルは、26歳の時に結婚するってことで手放しちゃったんですよ。新しい家族のためって割り切っていたつもりでしたが、やっぱり空冷フラットフォーのバタバタサウンドが懐かしくなっちゃって。30歳の時に友人が手放すっていうことでこの『オーバル』を手に入れたんですが、その時はタイプ1が欲しいというだけで、特にオーバルとか細かいことは気にしませんでした。『やっと空冷VWに乗れる』って喜びの方が大きかったのは確かです」

「子供が小さかった頃は、3台目となるこの『オーバル』で妻と子供と一緒にドライブにも出かけましたね。子供の成長とともにお金がかかるようになり、一時休止していましたが、3年ほど前に再び走るように車検を取り直しました。その際に足まわりなどバラせるところはバラしてリフレッシュするのと同時に、三角窓のフレームなど細かいパーツは近所のメッキ屋さんに再メッキしてもらいました。休眠期間は5年ほどでしたが、2桁ナンバーを維持するためにその間も毎年税金だけは納めていましたよ」

『ビートル』の愛称で親しまれ、1941年から2003年という長きにわたって生産され続けてきたVW・タイプ1は、細かく見ていくと年式によって様々な違いが設けられている。特に顔まわりでは電装系が6Vから12Vに変更となった1967年式を境に、ヘッドライトやフェンダー形状、バンパー、ウインカーなどが大きく異なってくる。熱心なVWファンの間では、乗り換える度に古いモデルへと先祖返りする人も少なくなく、やはり6V時代のフェイスは絶大な人気を誇っている。

そんな6V世代の中でも1954年から1957年まで生産された『オーバル』と呼ばれるモデルは、それ以前の中央に支柱が備わるスプリットウィンドウから、後方視界を高めるために1枚ガラスへと変更され、細長いリア窓を装備しているのが特徴だ。
1958年からはさらにガラス面を大きくしたスモールウィンドウと呼ばれるモデルへと発展したこともあって、この『オーバルウィンドウ』は熱心なファンからはお宝と呼ばれるほど世界的にも人気が高く、オリジナルからカスタム志向まで幅広いファンが存在している価値あるモデルなのである。
特に細部までオリジナルコンディションを維持し続けている車両は価値も高まり、市場ではとんでもない値段がつくことも珍しくない。

そういった視点で改めて軒田さんのオーバルを細かい部分まで注目して拝見してみると、随所にオリジナル度の高さが際立つ。
たとえばフロントフードに取り付けられるメダリオンは、1962年式まで採用されていた装飾。VW発祥の地として知られるウォルフスブルク市の紋章が描かれた図柄は、カスタマイズによってモールごと外されていることも多いが、しっかりと残されているのだ。

また、インテリアについても、シート表皮やルーフライニングは美しく保たれ、タイプ1でありがちなフロアやバッテリーパネルの腐りなども皆無。さらに純正ジャッキなどの装備品までしっかりと残されているのは、複数のオーナー歴があるヴィンテージカーには珍しいと言えるだろう。
また、ドイツ仕様として用意されていたアクセサリーの『パーセルシェルフ』は、収納が皆無のタイプ1にとっては定番のアイテム。休日の奥さんとのドライブなどの際にあると便利なアイテムなのだ。

いっぽうで、オーバルウィンドウの前期ではハウジングの上面にブレーキランプが備わる通称『ハートテール』が標準なのだが、軒田さんのオーバルは北米仕様として採用された『エッグテール』が装着されている。また、前後バンパーに関しては当初装着していたものが錆びてしまったため、社外のリプロパーツに交換しているという。
熱心なオリジナル派なら純正部品を探したり、再メッキを施すという意見もあるだろうけれど、最小限の手間でこのノーマルのスタイルを楽しむためなら利用できるパーツは純正だろうと社外リプロだろうと問題はないというのが軒田さんの考え方。

「勤めているトヨタカローラ富山では、50周年記念の行事として、2017年に初代カローラ(KE10)とパブリカ(UP20)のレストア作業を行ったんですよ。けれど、やっぱり部品を探すのがすごく大変で、純正にこだわってしまうと作業が進まないんですよ。無いパーツは作ったり、類似のパーツを流用したりと、それはそれは大変でした。その点、タイプ1の場合は国内外に多数のリプロパーツが揃っているので、こういったパーツを利用するのは維持していくうえで理にかなっていると思うんです。あくまでも自己満足の世界ですから、自分が納得できればそれでいいんですよ」

ちなみにこのオーバルを再始動させるために行なったリフレッシュでは、足まわりなどを中心に行なっていたため、エンジン周りについては燃料ホースの引き直しくらいでその他は手付かずの状態。しかし耐久性が高くシンプルな構造のエンジンは、わずかなオイルにじみがある程度だという。今後はエンジン周りのリフレッシュを行なうのが目標のひとつなのだとか。

「タイプ1は乗って楽しみたいクルマなので、暇を見つけては妻ともドライブに出かけるようにしています。ただ、やっぱり古いクルマなのでトラブルもあったりして…。昨年も走っている最中にベルトが切れてしまったんですが、過去に経験したことがあったのでスペアのベルトや工具を積んでいたんです。妻はびっくりしていましたが、その場で淡々と直して何事もなかったようにまたドライブを続行しました。単純な構造だからその場ですぐに直せるのは空冷VW全般に言えるメリットですから、もし壊れても直せばいいんですよ。この感覚が妻にも伝わっているかどうかは疑問ですが(笑)」

  • GAZOO愛車取材会の会場、富山県射水市の海王丸パークで取材した1955年式のフォルクスワーゲン・タイプ1

    1955年式のフォルクスワーゲン・タイプ1

フィーリングの合うタイプ1を長く気楽に乗り続けようと考えている軒田さん。素のスタイリングが好みという中でも、過度にオリジナルにこだわるのではなく、状況に応じて社外パーツも取り入れるなど、フレキシブルなスタイルで付き合っているのが印象的だった。
製造から70年近く経過したクラシックカーと肩の力を抜いて自然体で接することができるのは、経験とともに長年の付き合いから得た“大らかさ”があるからこそ、なのだろう。

取材協力:海王丸パーク(富山県射水市海王町8)
(文: 渡辺大輔 / 撮影: 平野 陽)
[GAZOO編集部]

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