愛機ロードスターは運転の基本を学ばせてくれた最高の“教科書”。万感の思いを込め、そのキーを次の世代へと託す

  • GAZOO愛車取材会の会場である大分大学 旦野原キャンパスで取材したマツダ・ロードスター(NB8C型)

    マツダ・ロードスター(NB8C型)


今回の愛車広場出張取材会の会場としてご協力を頂いた大分大学の在校生(2025年2月取材時)であり、同学内の自動車部主将も務めてきたオーナーの『Tomoki』さん。
子供の頃からクルマ好きで、運転免許を取得してからは実家のアクセラスポーツ(BM型)でのドライブを楽しんでいたが、大学への入学後、自動車部を見学に訪れた際に行なわれた、助手席での同乗体験走行で衝撃を受けることになる。

「広場にパイロンを立てたコースでサイドターンを連発するなど、車体を自在に操る先輩部員たちのテクニックに驚くと同時に、自分もこんな運転ができるようになりたい! モータースポーツをやってみたい! と強く思ったことを覚えています」

  • (写真提供:ご本人さま)

一年生の間は、競技会に参加する先輩の手伝いが主な役目だったが、二年生となったTomokiさんが選んだ競技はダートトライアル(通称:ダートラ)であった。
車両は自動車部の先輩と共同で購入したスズキ・スイフトスポーツ(HT81S型)。しかし、2度ほど実戦に参加した後、ダートラ会場の閉鎖に伴って走れる場所が無くなるという予期せぬ事態に見舞われてしまう。

しかもこの時期、Tomokiさんはすでに部を率いる主将という立場に置かれていた。そこで『自動車部の主将が競技をやっていないなんてダメだ!』と心機一転し、ジムカーナへの転向を決断。
この時、先述した先輩から格安で譲り受けることになったのが、現在の愛車であるロードスター(NB8C型)。その先輩とは、おなじく大分大学での取材会にご参加いただいたロードスター(NCEC型)に乗っているヤシロさんの友人でもあった。ちなみにスイフトスポーツは自動車部へと寄贈された。

「もともと先輩が競技向けに色々と手を入れてくださっていたクルマでしたが、スプリングのレートや2ウェイ式のLSD、1.6リッター用のファイナルギヤなど、細かい部分は自分好みの設定に変更しました。それから、現在はロードスターの純正ノーマル品に戻していますが、本戦に出る時には父親がハタチの頃に乗っていたAE86に付けていたというステアリングを使っていました。たまたま実家の倉庫で見つけたもので、表皮の傷みもほとんど無かったんです」

「ファミリーカーにアクセラの6速MTディーゼルターボ車を選んでいるという時点で、お分かりかも知れませんが、父は私が生まれる前にはギャランVR-4でダートラの地区戦に出ていたほどのクルマ好きで、今はルノーのメガーヌR.S.に乗っています」

そんなTomokiさんの日頃の練習走行は、学校敷地内の一角にある広場がメインとなっているが、大分大学自動車部の活動として時には学校から40分ほど離れた野津原方面にあるミニサーキットや、熊本のHSR九州での学生連盟主催の練習会に出向くこともあるという。

ちなみに学校敷地内の広場から道を一本隔てた場所には民家が…。ジムカーナの練習ともなると、当然タイヤのスキール音やエンジン音の発生などは避けられないが、長年の歴史と伝統を持つ同自動車部の存在は周辺住民にも認知されており、あたたかい目で見守られているとのことである。

「住民の方々だけでなく、学校内でもブーン! って音が聞こえてくると『ああ、今日も練習が始まったみたいだね』という感じで、皆さん意外とのんびり構えていますよ」と語るのは、取材にご同席頂いた同校総務課広報係の立花さん。
もちろん、各部員も日頃からマナーという点には最大限の注意を払い、走行は平日の16時半から18時までと、広場の利用時間を厳格に定めているという。

そんな限られた時間以外は、自宅でVR式シミュレーターでのトレーニングに励むなど、地道なスキルアップに取り組み続けたTomokiさんは、ロードスターに乗り始めて間も無い時期にもかかわらず、学生ジムカーナ大会でいきなり優勝を飾る才能を発揮。
その後も快進撃は続き、2024年に初めてシリーズ参戦したJMRC九州ジムカーナジュニア戦ではB-FRクラス(軽自動車を除くナンバー付き後輪駆動車が対象)において、排気量で勝るライバル勢を抑え、見事年間チャンピオンを獲得する快挙を成し遂げている。

ちなみに通常の競技車両といえば様々なパーツブランドのロゴやステッカーが貼られたスパルタンな姿が連想されるが、Tomokiさんの車両はロールバーやオートエグゼ製のエアロバンパーなど、一部モディファイが施されてはいるものの、車体周りはNBロードスターの10周年限定モデル専用色のイノセントブルーマイカ一色というシンプルな佇まいを見せている。

「ステッカーを貼りたくなかったから、あえて各メーカーのスカラシップ(パーツ類の協賛)は取らなかったんです。本格的にやるならば、ステッカーだけじゃなくて、全体のカラーリングからガッツリ変えたいという気持ちがあったもので。もちろんこれは私だけのこだわりですが」

「ブレーキパッドやタイヤ、油脂類など、パーツの消耗が激しい競技ではスカラシップの制度は活用した方が良いと思います(笑)。実際にやってみて分かったことは、ジムカーナはとても繊細な感覚が要求される競技。自分の性格的にはダートラの方が合っているけど、運転技術を磨いていく上で、大いに勉強になりました」

そんなTomokiさんはこの春で大学を卒業し、栃木県の某自動車メーカー関連会社の開発部門への就職が決定。と、同時に2年と数ヵ月あまりという短い間の付き合いではあったものの、ジムカーナ競技において数々の輝かしい戦績を挙げたNBロードスターとの別れの時がまもなく訪れようとしている。

「乗り始めた頃はまともに走られないほどエンジントラブルが頻発して修理に追われた時期もあったけど、おかげで整備の知恵やメカに関する知識を深めることができたし、FFしか知らなかった私にFR独特の走らせ方を身につけさせてくれたりと、このクルマからは本当に多くのことを学びました」

「私が降りた後は、1年生部員が共同で所有するという話も聞いています。部員数は以前まで5人でしたが、今年は新入生がたくさん入って10人体制となったのは嬉しいことですね。これから先、彼らの中からまた新たなチャンピオンが生まれてくれたら…。そんな願いを込めて、キーを託したいと思います。な〜んて言うと、プレッシャーになっちゃいますかネ(笑)」

関東での生活環境が落ち着くまで、今後しばらくの間クルマ道楽は封印すると語るTomokiさん。しかし、ゆくゆくはND型ロードスターを手に入れて、再びジムカーナのフィールドに戻ってきたいとの想いも。
この記事が公開される頃にはすでに新たな環境での生活が始まっているはずだが、有望な後輩たちの士気をより高めるためにも、ぜひ大分大学の自動車部で培った経験を、関東に行っても存分に見せつけてほしいところだ。

(文: 高橋陽介 / 撮影: 西野キヨシ)

※許可を得て取材を行っています
取材場所: 大分大学 旦野原キャンパス(大分県大分市旦野原700)

[GAZOO編集部]