スポーツカーへの興味、サーキット走行の楽しさ、仲間との繋がり。父の送迎車として購入した4ドアセダンが開いてくれた未体験の扉【取材地:福岡】

ひとがクルマに興味を持ち、どんな愛車を手に入れて、どんなカーライフを楽しむのか? それを決定付けるキッカケはひとそれぞれだ。

勘木厚裕さん(50才)が乗るランサー・エボリューションVII(以降ランエボ7)は、三菱のモータースポーツ活動を象徴する存在だった『ラリーアート』のステッカーを中心に、メーカーロゴを各所に配置していて、その外見からはさながら現役ラリーカーのような雰囲気を醸し出している。

しかし意外にも、このクルマを購入するまではモータースポーツへの興味はおろか、スポーツカーへの関心もそれほど高いものではなかったという。
「20才のころ、就職してから通勤の足が必要だったから父が乗っていたカローラをお下がりでもらったのが最初でした。通勤や日常に使う手段のクルマとして、特にこだわりもなく乗っていましたね」

「カローラは父親が長く乗っていたので、自分が乗るようになってから不調が出てきたんですよね。その頃は日産自動車の関係の仕事をしていたので、日産車に乗り換えようと思っていたんですが、ちょうど当時通勤している最中に毎日見かけてカッコいいな、と思っていたクルマがあったので調べてみることにしました」

父親から譲ってもらったカローラから、2台目の愛車として乗り継いだのは、Z32型の日産・フェアレディZだった。

「当時も正直車種とかはさっぱり詳しくなくて、子供のころに『日本を代表するスポーツカーにフェアレディZというクルマがある』ということを何かで覚えたくらいで、唯一名前を知っていたスポーツカーという印象でした」
実は、そのときに初めてフェアレディZが日産車だということも知ったほどだったという勘木さん。しかし、乗りはじめるとそこから愛着も生まれ、Z32には10年近く乗り続けたという。

ところが、転機は突然訪れる。「父親が入院することになって、クルマで送り迎えをする必要がでてきたんですよね。でも、乗っていたZは2ドアでTバールーフの2×2だったので不便だったんです。同時期に雨漏りなどのトラブルもあって、ちょうどいい乗り換え時だなと思ってセダンを探し始めました」

そして、現在のランエボ7を購入することになったわけだが、そこにいたるまでの勘木さんの心境の変化というのも聞いていて興味深いものがあった。

「Zはクーペで見た目からもスポーツカーという感じじゃないですか。それで街中を乗ってると『自分はカッコいいクルマに乗っている』という優越感を感じることも、正直あったんです。そうすると他に走っているクルマにも自然と視線が向くようになって、その中にファミリーカーっぽいセダンにやたら大きいハネ(ウイング)を付けてるのがいて『物好きもいるもんだな〜』と不思議な気持ちでいたんです。たぶん今考えると、それはランエボ3だったと思うんですが」。

意外なことに、Zに乗っているころに勘木さんがランエボに抱いていた印象というのは、どちらかというとマイナスなイメージだったようだ。

しかし、ちょうどZからの乗り換えを考えていたタイミングで、偶然にもそのとき勘木さんが持っていたランエボへの印象を180度変える出来事があった。

「夕方のテレビでWRCのレースを放送する番組を見ていたんですね。山の中をどんどん走ってる姿がカッコいいなと思って見ているところに、三菱がランエボで参戦していたわけです。調べてみると、ランサーをベースにモータースポーツのために特別に作っているモデルがランエボだと。『街で見かけて印象に残っていたクルマはこれだったのか!』と興味が湧いて、ランエボについて調べていくとどうやら性能の面でも凄いらしいと知り、セダンだから送迎にもちょうどいいからとランエボを購入することに決めました」

ついに、そこから現在まで17年となる付き合いとなる愛車を手に入れることとなった勘木さん。だが、ここまで長い間乗り続けることになったのは、ランエボそのものを気に入っているという理由の他に、購入当時のエピソードにもうひとつ大きな理由があった。

「もともとは入院している父のために母と通う送迎のためのクルマ選びだったので、購入にあたって父親に『ランエボの頭金として使うお金を貸してくれ』と頼みに行ったんです。そしたら『リヤスポがついているクルマは絶対にダメだ!』と猛反発されました。それで一度は諦めようかとも考えたんですが、結局は母を通じて父がお金を貸してくれて、購入することができました」

「本当はそのランエボに乗せて父ともどこかへ行きたいと考えていたのですが、その夢は敵わず、購入した年に父は亡くなってしまいました。そして、時間はかかりましたが父が貸してくれたお金も母に返し終わったんですが、父は頭金を貸すときに『もう最後だから、もうアイツの好きに使っていい。貸したお金も取り立てなくていいよ』と母に話していたというんですね。正直言うと、父親が亡くなるまでそこまで仲がいいわけではなかったんです。でも、それを聞いてから、もうこのランエボは壊れて乗れなくなるまで乗り続けるしかないな、と思うようになったんです」
ちなみにレース車両のスポンサーロゴのようにランエボ7に貼られている『日豊洗機』は、勘木さんの父親が働く際に使用していた屋号なのだという。

このように、いまでこそバリバリのレース車両のような外見の勘木さんのランエボ7だが、購入当時はまったくこのような仕様になるとは夢にも思ってなかったという。
「確かにランエボが凄いクルマなのはわかってましたけど、ずっと通勤などの普段使いだけでした。テレビで見たラリーやサーキットなんてとんでもない。あんなのは何百馬力もチューニングしたクルマでやっているような無茶な趣味だから自分とは無縁だと。自分はこのランエボを大事に乗ろうとこまめにオイル交換などのメンテナンスをしていました」

ところが、ふとオイル交換を依頼したショップのドライバーズカフェ フォレスト(福岡県京都郡)との出会いで、勘木さんとこのランエボの運命は大きく変わることなる。
「Zに乗っていたころ、ふと目にしたチューニングカーが停まっていたお店が印象に残っていたんです。そのときも自分とは無縁なお店だなと思って横目で見る程度だったんですけど、ランエボのオイル交換を頼む先を探しているときに色々お店を調べていたら、以前見かけたチューニングショップのマネージャーさんがやっているというお店を見つけて、興味があってオイル交換の依頼で持ち込んだんです。そしたらただのオイル交換でもクルマのことを気遣って丁寧な仕事をやってくれた様子を見て、ここなら信頼できるお店だと直感して、このクルマのメンテナンス全般をお願いするようになりました」

フォレストに出入りするようになると、勘木さんが以前まで持っていたサーキット走行に対しての意識も少しずつ変化してきた。
「お店がサーキット走行会を開いていて、走っている人たちの話を聞くと、チューニングカーというより普段乗っているようなクルマで参加されてる方も多いことがわかったんです。とんでもなく高いと思っていたハードルは意外と低くて、自分のクルマでもサーキットを走れるんじゃないか?と思っていたところにお店から誘いを受け、自分もチャレンジする気になりました」

「初めて走ったのはオートポリス(大分県)のレイクサイドコースでした。事前にYouTubeを見てコースをしっかり覚えて準備もしたんですけど、前日は緊張と興奮で朝まで寝られないくらいだったのを覚えています(笑)。当時すでに40才を過ぎていたので、ランエボで全開で走れる機会なんて、憧れこそあったけど絶対にありえないと思っていましたから。初めてのサーキット走行は言葉にならないくらい興奮して、このランエボの一番の思い出として残っています」。

今ではスーパーGTの開催地としても有名なオートポリスの本コースも走るほどにハマり、年に5~6回のペースでサーキットイベントに参加するようになった勘木さん。中には走行中の愛車をカメラマンが有料で撮影してくれるサービスがあるイベントもあり、そういった際に撮った愛車の記念となる写真も残すようにしているという。

「フォレストさんでブレーキや足回りのチューニングはしていますけど、エンジンはそのままでも十分速くて、これ1台で通勤も含めた日常生活からサーキット走行までこなせるんです。そういった意味ではランエボを選んだのはとても良かったと思っています」

ちなみに自衛官募集中のステッカーは、おなじくサーキットを走るフォレストのチーム員との縁で貼っていて「これのおかげで街中を走るときは一層、交通マナーを守って走るようになりました(笑)」と勘木さん。
目立つ外観から普段乗りの最中に視線を集めることも意識して、だからこそ一般道とサーキットの棲み分けをしっかりと考えた乗り方を心がけている。

「このランエボに乗っていると、街中で小さい子供から興味を持って声をかけてもらうこともあるし、ガソリンスタンドでも何気なく会話が生まれることもあって、そういうところもこういうクルマに乗っているからこその体験だと思うんですよね。サーキットでも同じ4WDのクルマに乗ってる人がいればセッティングや乗り方を聞いたりして、自然と知り合いができていくんです。今では、昔自分がサーキットの敷居が高いと思っていたのをもったいなかったと思うし、今同じように思っている人にも『サーキットを走るのは安全で楽しい遊びだよ』と知ってほしいと思うようになりました」

通勤、買い物、ドライブ、サーキットとジャンルを問わずこのランエボ1台でこなしていることもあって、現時点で走行距離は20万kmを超えている。一度はエンジンブローを経験したものの、それでもランエボに乗り続けたいと修理を施し、定期的なメンテナンスは欠かさず続けているという。

スポーツカーにこだわりのなかった勘木さんにとって、もともとは父の送迎という手段のために買ったクルマから、夢にも思わなかったサーキット走行という新たな趣味をもたらしてくれたランエボ7。もしもランエボを街中で見なければ…父の入院がなければ…フォレストと出会わなければ…すべて偶然が重なった結果が、いままでの17年もの間乗り続ける愛車とのカーライフにつながったことを思うと、撮影をしたこちらまでも感慨深さで胸がいっぱいになる気持ちにさせてもらったのだった。

(⽂: 長谷川実路 / 撮影: 西野キヨシ)

[ガズー編集部]

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