『クルマは最高のトモダチ』 わたしのハチロクは赤パン…山田弘樹連載コラム

みなさんこんにちは!普段はモータージャーナリストとして活動している山田弘樹が、「プロのクルマ好き」としてクルマの楽しさを書き綴るこのコラム、第2回目は私の愛車「AE86」についてご紹介しましょう。

私が現在乗っているのは、86年式のトヨタ スプリンター・トレノ。いわゆる元祖ハチロクです。

あだ名は、“赤パン”。

ハチロクといえば白黒ツートンの「パンダカラー」がド定番ですが、私の場合は珍しい赤黒ツートンだったので、友達から「赤いパンダ」を縮めて赤パンと呼ばれるようになりました。

ちなみにこの赤パンは、今でも現役選手として活躍しています。友人とのサーキット走行はもちろん、メーカーの試乗会や、スーパーGTの取材にだってこれで行きます。

私はモータージャーナリストという仕事柄、さまざまな最新のクルマに乗る機会があります。むしろ一年を通してその年に発売されたクルマにはきちんと乗らねばならないのですが、それでも基本に立ち返るために、結構な頻度でハチロクに乗って仕事へ出かけます。

30年も前のクルマに乗って壊れないかって? いやいや、カローラベースをなめてはいけません。シンプルかつ頑丈な構造だから、きちんと整備をしていれば十分現役ですよ。

そんな赤パンとの出会いは、いまからおよそ9年前、2011年のことでした。
とある輸入車系チューニングショップの社長さんが、「これ、誰かいらないかなぁ……」とボクに相談してきたのが、運命の出会いだったのです。

ただし、ドンガラ!(笑)。

というのも赤パンは、ショップの社長さんが自分のレーシングカーにしよう! とコツコツ作り上げていた個体だったのです。
傷みが少ないATベースのボディを選び、ぶつけていた部分をきれいに板金塗装して、ロールケージも張り巡らせ、「あとはエンジン載せるだけ!」というところで力尽きてしまい、そのままずーっと車庫保管されていたのでした。
そして、仕事で最近よく一緒になる若造がハチロク乗りだったのを知って、「誰かもらい手、探してくれない?」と頼んできたのです。

このときボクは、“ピーン!”ときました。
このまっさらなボディで“箱替え”(※1)したら、「板金代金浮くんじゃないか!?」って。
いまでこそハチロクは、オトナ買いする趣味グルマになっていますが、本来ハチロク乗りの基本は“ビンボー”ですからね。そのビンボー症がDIYを誘発して、あちこち壊しながらも、ハチロク乗りたちはクルマについて色々と学んでいったわけです。

※1 箱替え:中身はそのままに、ボディを入れ替えること。

当時ボクが乗っていたハチロクは、86年式の3ドアレビンでした。ボディは黒銀で、塗装するまで屋根が禿げていたから「モヒカン号」と呼ばれてました。編集部員時代はジェイズ・ティーポで連載もしていたので、知っている方もいるかもしれないですね。

モヒカン号も面白い逸話がたくさんあるのですが、ともかく当時で四半世紀を迎えたボディは、あちこちから錆びが出ていました。
そして「これからもずっとハチロクに乗りたいな」と思っていたので、当時モヒカン号を板金するかをずっと悩んでいました。

いまでこそハチロクをビシッとレストアする時代になりましたけれど、当時そんなことは考えられませんでしたからね。主治医のコシミズさんからは「100万円はかかるかなぁ」なんて言われていましたから(汗)。

コシミズモータースポーツといえば、東京オートサロンのGRブースでお披露目されたレビンはすごかったですねぇ。モノコック以外をカーボンにしてしまっているのも圧巻でしたが、あのレビンは本当に手塩にかけて作られています。
詳しくは記事を読んでいただきたいですが、たとえばスポット部分は最初から少し削りを入れて重量増加を防ぎ、施工後も盛り上がったトップを削って、まるでノーマルかのように見せているんですよ。

普通はとてもあんな風にはできないけれど、ともあれハチロクは、この頃から「いよいよボディがやばい!」と言われ始め、レストアが本格化して行くんです。

だからショップの社長さんには「誰かそんな人いるかなぁ…」なんてしれーっと言いながら、「とりあえずオレが引き取るよ!」と、結局私が赤パンのボディを手に入れたのでした。
ミイラ取りがミイラになった!? いえいえ、先見の明があったと言っていただきたい(笑)。

さっそくローダーをレンタルして、いそいそとボディを積み込んで、東海地区から茨城県までひとりで運んで行きました。その道中は冒険しているいみたいで、楽しかったなぁ。
そうして赤パン号は、コシミズモータースポーツの手によってモヒカン号のパーツとエンジンを移植され、再びこの世に生を受けたのでした。

あっ……ハチロクの楽しさを語るはずが、赤パンのルーツを話して終わっちゃった。
次回では今度こそ、ハチロクの楽しさについてお話しましょう!

今でこそレジェンドとなったハチロクも、私が若い頃は走り屋の「おかわりグルマ」だったんです。

(写真/テキスト:山田弘樹)

自動車雑誌の編集に携わり、2007年よりフリーランスに転身。LOTUS CUPや、スーパー耐久にもスポット参戦するなど、走れるモータージャーナリスト。自称「プロのクルマ好き」として、普段の原稿で書けない本音を綴るコラム。


[ガズー編集部]

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